2011年の振り返り。
東日本大震災について。
3月11日、その時僕は三浦半島のホテルで部署による合宿中だった。
激しい揺れのあと、とにかくホテルの外に皆で非難した。
集まった高台の広場は寒さがきつく、お年寄りの宿泊客も多い中、ホテルの従業員の方々が毛布を配ったり、一生懸命に働いている姿に心打たれた。
日が傾いてきたため、停電している真っ暗なホテルで一夜を過ごすことになった。
その時点では、携帯電話もろくにつながらず、なにが震源地で起こっているのか誰も知らなかった。
ろうそくの明かりの中、ホテルが用意してくれたおにぎりを食べた。
たまたまワンセグがつながった人がいて、携帯の小さな画面の中で、町が津波に飲み込まれていく映像を皆で衝撃とともに食い入るように見た。
それからは、毎日のように胸が苦しくなるようなニュースがテレビや新聞から流れ続けた。
4月になって、震災をニュースとして受け取るだけではなくて、自分から何かできることをしないと、という段階になった。
赤十字だけでなく、いろいろな機関や方法で寄付をしようということを夕夏と話し合った。
夕夏は、行方不明者のリストの写真を電子データ化する作業や、寄付された物品を仕分けする作業をしていた
夜行バスを使えば日帰りで被災地に行けそうだということで、夕夏と石巻へボランティアにも行った。
5月のゴールデンウィークには会社の同僚たちと気仙沼へボランティアへ行った。
ちょうどその頃、報道機関が出している震災関係の写真集が出ていたので、将来までこの記憶を忘れない、また伝えていくという気持ちで一冊買った。
6月、被災地の小学生たちが、その日について書いた作文集『つなみ』を買った。
通りでは、被災地で作ったものをよく見かけるようになり、つい買い食いしてしまうことが多くなった。
7月、縁のあった高校生2人や夕夏たちと石巻にボランティアへ行った。
このときは、これまでのボランティアセンターとは違う地元の団体で活動させてもらったり、被害の大きかった場所を案内してもらったりした。
10月には、夕夏が活動しているNPOによる、被災地での活動報告や、参加者でのディスカッションをする会に参加した。
被災地が、まだまだ復興からは程遠いこと。
被災者自身にも、希望がまだないこと。
メディアの流す、明るい復興のニュースと現実がかけ離れていること。
など、被災者の方の言葉が重くのしかかった。
11月には、会社に訪問した大学生たちに、被災地でのボランティア経験を僕から発表する機会があった。
福祉関係の勉強をしている学生も多く、僕なんかよりもずっといろんなことを考えているんだと感心した。
3月11日以降、この大震災を考えない日はない。
原発の事故や、それに伴う電力不足や原発を巡る議論、代替エネルギー。
被災者の抱える問題、住宅、仕事、放射能汚染、農産業、保証金。
全てが、2011年から2012年へ引き継がれ、ずっと考え続けなければいけない課題として残っている。
この震災は、2011年での主な出来事ではなく、人生の中での重大な出来事となるべきだと思う。
東日本大震災について。
3月11日、その時僕は三浦半島のホテルで部署による合宿中だった。
激しい揺れのあと、とにかくホテルの外に皆で非難した。
集まった高台の広場は寒さがきつく、お年寄りの宿泊客も多い中、ホテルの従業員の方々が毛布を配ったり、一生懸命に働いている姿に心打たれた。
日が傾いてきたため、停電している真っ暗なホテルで一夜を過ごすことになった。
その時点では、携帯電話もろくにつながらず、なにが震源地で起こっているのか誰も知らなかった。
ろうそくの明かりの中、ホテルが用意してくれたおにぎりを食べた。
たまたまワンセグがつながった人がいて、携帯の小さな画面の中で、町が津波に飲み込まれていく映像を皆で衝撃とともに食い入るように見た。
それからは、毎日のように胸が苦しくなるようなニュースがテレビや新聞から流れ続けた。
4月になって、震災をニュースとして受け取るだけではなくて、自分から何かできることをしないと、という段階になった。
赤十字だけでなく、いろいろな機関や方法で寄付をしようということを夕夏と話し合った。
夕夏は、行方不明者のリストの写真を電子データ化する作業や、寄付された物品を仕分けする作業をしていた
夜行バスを使えば日帰りで被災地に行けそうだということで、夕夏と石巻へボランティアにも行った。
5月のゴールデンウィークには会社の同僚たちと気仙沼へボランティアへ行った。
ちょうどその頃、報道機関が出している震災関係の写真集が出ていたので、将来までこの記憶を忘れない、また伝えていくという気持ちで一冊買った。
6月、被災地の小学生たちが、その日について書いた作文集『つなみ』を買った。
通りでは、被災地で作ったものをよく見かけるようになり、つい買い食いしてしまうことが多くなった。
7月、縁のあった高校生2人や夕夏たちと石巻にボランティアへ行った。
このときは、これまでのボランティアセンターとは違う地元の団体で活動させてもらったり、被害の大きかった場所を案内してもらったりした。
10月には、夕夏が活動しているNPOによる、被災地での活動報告や、参加者でのディスカッションをする会に参加した。
被災地が、まだまだ復興からは程遠いこと。
被災者自身にも、希望がまだないこと。
メディアの流す、明るい復興のニュースと現実がかけ離れていること。
など、被災者の方の言葉が重くのしかかった。
11月には、会社に訪問した大学生たちに、被災地でのボランティア経験を僕から発表する機会があった。
福祉関係の勉強をしている学生も多く、僕なんかよりもずっといろんなことを考えているんだと感心した。
3月11日以降、この大震災を考えない日はない。
原発の事故や、それに伴う電力不足や原発を巡る議論、代替エネルギー。
被災者の抱える問題、住宅、仕事、放射能汚染、農産業、保証金。
全てが、2011年から2012年へ引き継がれ、ずっと考え続けなければいけない課題として残っている。
この震災は、2011年での主な出来事ではなく、人生の中での重大な出来事となるべきだと思う。
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