約2週間前から咳がとまらない。
病院に行って抗生物質を飲んだのだけれどよくなる気配なし。
咳だけなので、普段どおりの毎日を送っているのだけれど
ジョナサンやベンジャミンのそれぞれの友達とそのママたちと
会っておしゃべりしたり公園へ行ったりで、なんだか気ぜわしい。
最近ふと思い出した話。
実家の近くに古い小さな借家に住み、老いた母親を介護している
男性がいると聞いた。
定職を失くしたのか、新聞配達など小さな仕事を掛け持ちしながら
生計を立て、そして介護をしているらしい。
忙しく疲れているからか、町内会の定期掃除にも出てこないらしく、
あるとき、母が町内会の仕事をしているときに、定期掃除に出てこなかった
「罰金」を催促にいったら、ちゃんと出してくれたのだけれど、
母が「今度は集めに来る前に持ってきてください」と頼んだら、
逆切れして、払ったお金を母の手から奪い取って部屋に引っ込んだ、
と言っていた。
母は高齢だし、その男性の態度が怖くなって町内会の会長のところに
文句を言いにいったらしい。
彼のとった態度は非常に大人気なく、母もさぞ怖かったに違いない
と思ったけれど、なんとなくその人が可愛そうにも思えてきた。
頼る人がいるのかいないのかわからないけれど、ギリギリの収入で
生活をし、母親は介護を要している。毎日毎日働きづめ、介護づめ
で体も気持ちも休まる暇もないだろうに。
一生懸命、一生懸命頑張っているのに、誰に評価されるでもなく・・
先日、生活保護を打ち切られた人が衰弱死していたというニュース
を見た。清掃の仕事がなくなり、生活保護を申請したが、日雇いの
仕事が見つかったのでということで支給が打ち切られた。が、結局
その仕事も途切れ、再受給は可能かという問い合わせの電話の後の
ことだった。
気の毒で、本当に気の毒でならない。
「助けてください」というのは勇気のいることだ。
みんなそれぞれ頑張っているから、自分もぎりぎりまでがんばらなくちゃ
と、たいていの人は思うと思う。
そして次第に自分がギリギリかどうかも分からなくなってくる。
まじめな人ほど「まだギリギリではない」と自分を追い詰める。
乗り切る人もいれば、その果てに悲劇が起こることもある。
悲劇の結末、これは本当に悲しいことだ。
総じて、いろんなところに、頑張って必死に生きている人は
たくさんいるんだと思う。
世の中の基準で、なんと評価されようが、とても尊いことだと
思う。
悲劇が起こる前に
「よく頑張ったね、偉いね」
「もう頑張らなくてもいいよ」
その一言で、張り詰めた心の糸がゆるんで救われるかもしてない。
大人だって、誉められたいし、努力を認められたい。
とても明白なことだ。
病院に行って抗生物質を飲んだのだけれどよくなる気配なし。
咳だけなので、普段どおりの毎日を送っているのだけれど
ジョナサンやベンジャミンのそれぞれの友達とそのママたちと
会っておしゃべりしたり公園へ行ったりで、なんだか気ぜわしい。
最近ふと思い出した話。
実家の近くに古い小さな借家に住み、老いた母親を介護している
男性がいると聞いた。
定職を失くしたのか、新聞配達など小さな仕事を掛け持ちしながら
生計を立て、そして介護をしているらしい。
忙しく疲れているからか、町内会の定期掃除にも出てこないらしく、
あるとき、母が町内会の仕事をしているときに、定期掃除に出てこなかった
「罰金」を催促にいったら、ちゃんと出してくれたのだけれど、
母が「今度は集めに来る前に持ってきてください」と頼んだら、
逆切れして、払ったお金を母の手から奪い取って部屋に引っ込んだ、
と言っていた。
母は高齢だし、その男性の態度が怖くなって町内会の会長のところに
文句を言いにいったらしい。
彼のとった態度は非常に大人気なく、母もさぞ怖かったに違いない
と思ったけれど、なんとなくその人が可愛そうにも思えてきた。
頼る人がいるのかいないのかわからないけれど、ギリギリの収入で
生活をし、母親は介護を要している。毎日毎日働きづめ、介護づめ
で体も気持ちも休まる暇もないだろうに。
一生懸命、一生懸命頑張っているのに、誰に評価されるでもなく・・
先日、生活保護を打ち切られた人が衰弱死していたというニュース
を見た。清掃の仕事がなくなり、生活保護を申請したが、日雇いの
仕事が見つかったのでということで支給が打ち切られた。が、結局
その仕事も途切れ、再受給は可能かという問い合わせの電話の後の
ことだった。
気の毒で、本当に気の毒でならない。
「助けてください」というのは勇気のいることだ。
みんなそれぞれ頑張っているから、自分もぎりぎりまでがんばらなくちゃ
と、たいていの人は思うと思う。
そして次第に自分がギリギリかどうかも分からなくなってくる。
まじめな人ほど「まだギリギリではない」と自分を追い詰める。
乗り切る人もいれば、その果てに悲劇が起こることもある。
悲劇の結末、これは本当に悲しいことだ。
総じて、いろんなところに、頑張って必死に生きている人は
たくさんいるんだと思う。
世の中の基準で、なんと評価されようが、とても尊いことだと
思う。
悲劇が起こる前に
「よく頑張ったね、偉いね」
「もう頑張らなくてもいいよ」
その一言で、張り詰めた心の糸がゆるんで救われるかもしてない。
大人だって、誉められたいし、努力を認められたい。
とても明白なことだ。