さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

命は平等に尊いのか? その3

2010年03月28日 09時32分02秒 | Web log
(その2からの続き)

でも優良なシステムを維持できるのも『財源』があってこそ
なんだよねぇ。

国民への公平な福利の実現のために築き上げられたシステムであっても、
それを『過剰利用』する人が増えたらいずれ破綻する。

『過剰利用』って何よ?と思う人がいると思いますが。

治したいから病院に行く。
税金を払っているんだから、正々堂々と(タクシー代わりに)救急車を呼ぶ。

これがなんで悪いのさ?って言う人もいると思います。

ま、いずれ分かりますって。
そういうことができなくなるときが来たら。

『自己負担増』と政府が言い出したときに、分かりますよ。

そのシステムがいかによかったかって。

安易さの引き起こす罠は、いずれ自分の首を絞めることになる。

時に、オーストラリア人のように『免疫力を信じてタフに待つ』
精神も、必要だと思います。本当に。

ですが、大抵そんな必要を感じなければ、そんなことしないのは
よく分かる。わたしも頑張って待つよりも、病院に行くほうを選ぶし。

これは車があれば乗っちゃうし、近くても歩いていこうなんて
思わなくなるのと似ているかも。

医療費の財源が困窮し、政府が自己負担増を言い出したときに、
初めて「お金もかかるし、病院にはいかないでおこう。」となる。

そうなっちゃ遅いんだけど、でもそうでもしないと現状の流れを
変えるのは難しいのかもしれないね。難しいね。

いずれにせよ、そういうときに一番被害を被るのは・・・社会的弱者です。

必要があるのに、病院に行けなくなる。自己負担できないから。

金銭的にある程度余裕のある人たちは、多少状況が変わっても
なんとかできると思いますが、そうじゃない人は、治療を受けないという
選択を余儀なくされる。

一部「自分はほとんど病院に行かないのに、毎月多くの保険金を
払ってばかばかしい。」と言う人がいるかと思います。

理屈としてうなづけます。
気持ちもとてもよくわかります。
なんとか払っている人もいるかと思うので、自分は病院に行かない
のだから、払いたくないってのも、十分理にかなっていると思います。

でも、使った分だけ払うという単純なシステムにしてしまったら、
長期に渡って治療が必要な慢性疾患をもっている場合、治療費はきっと
とてつもない額となることでしょうし、好んで病気になったわけじゃないのに
どうして自分だけこんな苦しい目にあわなければならないのだろう・・・
こんな莫大な費用を払わなければいけないのだろう・・・と思うようになると
思います。

選んで病気になるわけではないので、やはり相互扶助というシステムが
必須じゃないかと思うんです。

きっと負担の仕方が問題なのかもしれません。

病気の内容によって(重篤なものについては個人負担率を0にし、
軽いものについては個人負担率を増やすとか)変えるとかにしたら、
いいのかもしれません。

病院に行かなければ、年末にいくらか戻ってくるとか。

わたしは観てませんが、マイケル・ムーアの「SICCO」という映画で
フランスの医療システムがいいようなことを言っているようですね。

「フランス」・・・・注目してみました!!

続く。

署名

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