なんだかんだと忙しく、子供たちも暇さえあればパソコンに群がるのでなかなか更新できずにいましたが、わたしたちはみんな元気です。
今、春なのか???
よくわかりませんが、日差しは強くなってきたように感じます。
でも、まだ肌寒いです。
が、半そでを着だした人もいて。
わたしはまだまだですが。
さて、月曜日に数ヶ月ほど前にご主人を喘息の発作で亡くした友人に会ってきました。
ご主人とはジョナサンがモンテッソーリスクールに通っていた頃、何度か学校で会ったことがありました。挨拶も交わしたし、顔も覚えていたので、訃報を聞いたときは、かなりびっくりしました。また5歳で父を亡くした自分の記憶とも重なって、なんとか少しでも慰めてあげられれば!!と思いながら、とてもプライベートなことだし、彼女との近しさのレベルで言ったら、私がしゃしゃりでるのも余計なお世話なのかもという思いもあって、躊躇してました。慰めになるような本を贈ったりしながら、機会をうかがってましたが、今なら気持ち的にも少しは落ち着いて、わたしのようなものにも多少話せるくらいな心の状態になったかなぁなんて思い、連絡をとってみました。
2ヶ月前に本を贈ったときにもちょっと会ったのですが、そのときよりも彼女はかなりやせ細り、そして目がまだうつろというか、生気がないというか、心のありようが見て取れるような感じでした。
色んな話を聞きました。
不思議な話も聞きました。
そして、今も彼女が時に泣き、時に悔やみながらも、ご主人の深い深い思いに守られて生きているということを感じて帰ってきました。
ずっとずっと彼女とそしてモンテッソーリスクールでジョナサンと同じクラスだった彼女のお嬢さんのことを折に触れて思い出し、私に何ができるか?わたしは彼女を慰めるのにふさわしい友人なのか?なんて考えていたのですが、
「私の身近にいる近しい人からの思いも、Ayakoからくる思いも、同じ愛情であって、それに優劣はないわ。誰かを慰めるに十分な価値がある人間に思えないなんて思っちゃだめよ。本当にありがとう。」
と言われて、慰めるために行ったのに逆に慰められ、励まされ、そして不覚にも泣いてしまった私。
ご主人を亡くした彼女のことを思えば、辛く悲しく、彼女の喪失感は計り知れないと思うのですが、ふと心が軽くなった気がした月曜の午後のひとときになりました。
今、春なのか???
よくわかりませんが、日差しは強くなってきたように感じます。
でも、まだ肌寒いです。
が、半そでを着だした人もいて。
わたしはまだまだですが。
さて、月曜日に数ヶ月ほど前にご主人を喘息の発作で亡くした友人に会ってきました。
ご主人とはジョナサンがモンテッソーリスクールに通っていた頃、何度か学校で会ったことがありました。挨拶も交わしたし、顔も覚えていたので、訃報を聞いたときは、かなりびっくりしました。また5歳で父を亡くした自分の記憶とも重なって、なんとか少しでも慰めてあげられれば!!と思いながら、とてもプライベートなことだし、彼女との近しさのレベルで言ったら、私がしゃしゃりでるのも余計なお世話なのかもという思いもあって、躊躇してました。慰めになるような本を贈ったりしながら、機会をうかがってましたが、今なら気持ち的にも少しは落ち着いて、わたしのようなものにも多少話せるくらいな心の状態になったかなぁなんて思い、連絡をとってみました。
2ヶ月前に本を贈ったときにもちょっと会ったのですが、そのときよりも彼女はかなりやせ細り、そして目がまだうつろというか、生気がないというか、心のありようが見て取れるような感じでした。
色んな話を聞きました。
不思議な話も聞きました。
そして、今も彼女が時に泣き、時に悔やみながらも、ご主人の深い深い思いに守られて生きているということを感じて帰ってきました。
ずっとずっと彼女とそしてモンテッソーリスクールでジョナサンと同じクラスだった彼女のお嬢さんのことを折に触れて思い出し、私に何ができるか?わたしは彼女を慰めるのにふさわしい友人なのか?なんて考えていたのですが、
「私の身近にいる近しい人からの思いも、Ayakoからくる思いも、同じ愛情であって、それに優劣はないわ。誰かを慰めるに十分な価値がある人間に思えないなんて思っちゃだめよ。本当にありがとう。」
と言われて、慰めるために行ったのに逆に慰められ、励まされ、そして不覚にも泣いてしまった私。
ご主人を亡くした彼女のことを思えば、辛く悲しく、彼女の喪失感は計り知れないと思うのですが、ふと心が軽くなった気がした月曜の午後のひとときになりました。