さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

これでいいのだ。

2015年11月06日 07時06分03秒 | Web log
わたしが強烈に覚えているエピソード話。
たぶん、以前にもこのブログで取り上げたと思います。

インド哲学者、仏教学者、東京大学名誉教授であった中村元先生の
お話。

中村先生が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近に
なったとき、ある出版社が原稿を紛失してしまった。

中村先生は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」
と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直し、8年かけて完結させ、
別の出版社(東京書籍)から全3巻で刊行[5]。完成版は4万5000項目の
大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が
追加され没後全4巻を刊行した。校正や索引作成に協力した者がいるとは言え、
基本的に1人で執筆した文献としては膨大なものである。
 Wikipedia より

それから最近見つけた、漫画家・赤塚不二夫先生のエピソード

『天才バカボン』を描き上げた赤塚不二夫、締め切り前日に編集者に原稿を渡します。
しかしその後、大事件が起きてしまいます。

「原稿をタクシーに置き忘れて、なくしてしまいました!」と編集者が真っ青な顔で
戻ってきたのです。タクシーとは連絡がつきません。

翌日には原稿を印刷所に渡す必要があります。まさに大ピンチ! 
しかし、赤塚不二夫はまったく怒ることなく、「ネーム(脚本のようなもの)
があるからまた描ける」と言い

このあと赤塚不二夫が言った言葉がすごい

「まだ少し時間がある。呑みに行こう」

これはもちろん、落ち込んでいる編集者を気遣っての言葉です。呑んで戻った赤塚は、
また数時間かけて同じ話を描きあげて「2度目だから、もっとうまく描けたよ」と言い、
その原稿を編集者へ渡したそうです。

いつも通り「天才バカボン」を書き上げた彼は、締切前日に編集者に原稿を渡した。

NAVER まとめより

すごいですね。

最後に

わしは バカボンのパパなのだ

この世は むずかしいのだ
わしの思うようにはならないのだ

でも わしは大丈夫なのだ

わしはいつでもわしなので 大丈夫なのだ

これでいいのだと言っているから 大丈夫なのだ
あなたも あなたで それでいいのだ

それでいいのだ
それでいいのだ

わしはリタイヤしたのだ
全ての心配から リタイヤしたのだ
だからわしは 疲れないのだ

どうだ これでいいのだ
これでいいのだ
やっぱりこれでいいのだ


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