新年早々、またもや緊急事態宣言か?
というきな臭い流れになってきております。
感染者数をみていたら出すしかないのかなと思う反面、
出して一旦は収まっても、緩めたら感染拡大の繰り返しになるわけで
結局は国民の自覚に掛かっている気もしています。
医療崩壊がどうこうといわれていますが
今は入院が必要になったとしても専門病院に入院できるとは限らず
コロナ以外の病気で入院している患者が感染しても
そのままその病院で診るようになっているそうです。
そして、コロナ以外でも病気が悪化して転院させようとしても
もはや転院を受け入れられてもらえないので
結果として、救命できないということも起こっているようです。
イタリアのように
“もはや内科も外科も産婦人科もありません”
・・・という状態にはまだほど遠いのかもしれませんが
助けられる命が助けられなくなっているようではあります。
私の父が亡くなる前、父は重症だと思ってましたが
今回のコロナの括りでいくと「中等症」にしかならないというのが
かなりの衝撃でした。
気管切開を伴う人工呼吸器をつけている人が重症です。
父のときに、気管切開の希望を主治医に問われて、
家族全員で拒否したのですが、
それは、気管切開をしてまで生きることはない
・・・というのが家族全員の共通見解だったからです。
もちろん、これには考え方が様々あってしかるべきで
この考えを他の人に押し付ける気はありません。
昨年の第一波で、ヨーロッパでは高齢者から人工呼吸器を外して
若い人に装着するということが行われましたが
もしかしたら、日本でも今後同じことが起こるのかもしれません。
享年105歳で亡くなった祖父は
シベリア抑留中にマラリアに罹患しました。
高熱でうなされているときに、一緒に抑留されていた仲間が
「こいつはもう助からないから、食べ物やらなくてもいいだろう。」
と話しているのが聞こえていたそうです。
それでも、祖父は薬もない状態で自力で生き延びました。
「コロナで亡くなるのではありません。寿命で亡くなるだけです。」
という、坊さんの言葉が正しい気がする今日この頃です。