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順風ESSAYS

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年齢意識社会を生きる

2010年06月16日 | essay
「遅れている」って何から?

恋人がいない期間が長いことで、かえって理想が高くなりすぎてさらに恋人ができにくくなるという事態が観察される。創作物上の完全無欠な人物でないと満足できなくなったり、現在の経済事情からは非現実的な年収を挙げたりといったものだ。これは、不遇を我慢したぶん、一気に取り返したいという思いが背後にあると思われる。「遅れている」という意識が一発逆転の願望を強め、ハイリスクなものに手を出すなどしてさらに状況を悪化させてしまう。

この「遅れている」という意識は、何を基準としているのだろう。それは、「○○歳くらいにはだいたい××なことをしている」といった、自分たちと同年代の人たちが一般的に行っているとされる通念のようなものである。日本では、この通念があまりにも強すぎるように見える。年齢を理由に新たな挑戦を諦めて自らの自由な生き方を縛り、また他人の新たな挑戦の邪魔をしてその自由な生き方をも縛っている。

当然ながら、生物の成長の進度は個体によって様々である。馬でも早熟か晩成かといった区別がつけられる。人間でも、生まれ持った資質や生育過程で得られた環境によって進み方はそれぞれ異なってくる。年齢からくるイメージにとらわれない成果を出す能力というのは、非常にありふれたものと言えるだろう。また、単純に物事への成果を出す過程で年齢を殊更意識させられることもない。法科大学院のあるグループ学習で対等に議論をしてきて、学期終了後の打ち上げで実は高校の先輩だったことを打ち明けられて恐縮するといった体験もあった。しかし、このような年齢に関わらない力というのはあまり意識されていない。


年齢に縛られる原因

年齢に縛られてしまう原因はどこにあるだろうか。まず、文化的要因として、年齢の上下で言葉遣いを変えたり建前上の尊敬を示したりする儒教的な慣習を指摘することができる。次に、制度的要因として、横並びの進級・進学で知人が同年代に偏ること、メンバーシップ型で年功的な労務管理といったものを指摘することができる。以前デトロイトの映画産業振興を紹介したNHKの特集で、自動車工場の工員だった40代の男性が映画スタッフの訓練プログラムを受けている姿が映されていた。日本で40代ならば、自らも周囲もこうした挑戦を考えることはないだろう。このような制度の違いは、一度遅れてしまったときの絶望感の大小に影響する。

さらに、心理的な要因として、自分に対する自信や幸福感というものが他者との比較で決定される傾向があることも指摘できよう。必死に頑張って受験で成果を出しても「受験秀才なだけで賢くない」といったよくわからない批判が入り、自分の学力に自信をもちにくい。その心の穴は継続していく競争の中で同輩より先んじていることで満たしていく。また、日本人が幸福かという話が出たとき、他国を引き合いに出して他国より安全・便利だから幸福といったロジックがよく使われるのも、比較なしに実感をもって幸福と感じられていないことの表れであろう。他者と比較して自分の人生を省みる、そのときの他者は知り合いの多い同年代の人となるのである。


実感をもって進む

このような原因のうち、文化的・社会制度的なものは変えることは容易でない。労働環境については、ジョブ型を基礎としたものに移っていくことがこれからの経済環境にも適していると思われ、今後法律家となればこの動きに貢献したいと思っている。ともあれ、当面は年齢によるハンディキャップの克服は非常に難しい。しかし、完全に諦めて生きることをやめてしまったり、一気に取り返そうとしてかえって破滅に向かってしまうのは早計である。心理的な部分は何とか変えることができ、ここで踏みとどまることは可能であろう。

自分が何を持っていて何が不足しているかを意識し、持っているものを伸ばす或いは不足しているものを補う決意をする。そのときがスタートである。スタートして最初は小さなことから行うのは当然のことである。そして、同年代の知り合いが先に色々経験しているならば、そこから学ぶことができるというメリットを十分に活かすべきである。続けていって、どれだけ成長したかを実感していく。評価はすぐには来ない。何十年もかかるかもしれない。けれども何もしなければ可能性はゼロである。遅れるというのは他者と比較でしのぎを削る世界から逃れることでもある。せっかくの自分の人生、自分主体で生きてみよう。



最後に、吃音という障害を抱えながら52歳で歌手デビューし世界的なヒットを飛ばしたスキャットマン・ジョンの動画を紹介して終わりにしよう。歌詞には勇気と優しさが溢れている。


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