目黒川を渡り、下目黒にある、
ごひゃくらかんじ(五百羅漢寺)を 目指しました。🐻
らかん(羅漢)とは、お釈迦さまの弟子。
修行の末に、最高の境地にたっした
半ほとけ(仏)・半人間みたいな、仏教のえらい人です
。
←この人は、松雲さんといって、江戸時代に「560体の羅漢像」を 生涯かけてほりあげた⤴
めちゃ技巧派の仏師です
五百羅漢寺には、松雲さんが彫った・らかん(羅漢)像が300以上も 安置されており、
(それを見なければ
)
って クリンは思いました🐻。
というのも、
今回同行したジェマちゃん(画家)は、羅漢像を自作したことがあるし、
親友チットも「黄檗彫に興味がある」って 言ってたからです。
でも・・
ジェマちゃんは、制作中、羅漢と向き合い過ぎてしまったためか
「昔のオトコはもうたくさん」と言わんばかりに とおい目をしていたし🌈


チットも、
羅漢堂の中で一体の羅漢像(無量光尊者)と 目が合ったのですが👀、
その像に付せられていた言葉「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」に、
「冗談じゃないわ
これ以上私に何しろって言うのよ
🔥」
と
勝手に怒っていました。(※苦労人なのです)
しかし、松雲さんが彫り上げた「羅漢さん」たちは、
まるで、生きているような眼光👀、表情、そして、オーラをたたえていて


息苦しいほどの迫力・・
(すごいものを見たな🐻
)
と
クリンは かんしん(感心)しました。🌊
その境内に、、
ふと、「お鯉観音」の案内文字を発見。
(これはもしや・・?🐻)と 思ったら・・
やはり、それは、クリンがかつて「明治三美人」に私撰した、美女・お鯉さんをまつる観音さま
だったのです
(※その観音様の写真は撮りませんでした💦クリンたち仏教徒なもので、お堂や御厨司の中の像を直接撮影したりはできないのですっ)





おこいさん(お鯉さん)とは・・
明治から大正にかけての宰相・桂太郎の愛人で、超売れっ子新橋芸者だった、
若い女性です。
おえらいさんの口利きで、権力者の晩年に寄り添い、
そのために、国民からは憎まれた美女・・
彼女が桂太郎の死後、どういう人生を歩んだのか?
気になりながらも、クリン、調べませんでした。
そしたらば⚡
お鯉さんは、50代になってから、この五百羅漢寺の尼さんに なっていたのです
「👩へえ~~
桂太郎と死に別れた後、桂の子どもたちの世話をして、カフェーや待合の女将にもなってるわ。・・・
でもって、帝人事件に連座して、頭山満のすすめで出家
なんだそりゃ
」
と、
Wikipediaを読み上げたチットが 言いました。
・・・・・
もちろん、桂太郎みたいな総理大臣の めかけ(妾)になって、
ぎごく(疑獄)事件の証人台に立つような女性は、
観音さまのような人ではない、と思います。
でも・・
生まれてから頼れる人もなく、ただ自らの美ぼう(貌)によって
人生を切り拓いたお鯉さん・・
彼女の生き方を、今の時代の尺度で計って 断じてはならない。
苦労した末に、悔い改めて、仏の道に入ったのならば
それで良いのではないか?
って
思いました。




(お寺の年譜によれば、関東大震災で大破した羅漢寺を、
妙照尼となったお鯉さんが 再建したそうです
)
お寺の羅漢堂で見た・らかんさん(羅漢像)たち・・
クリンたちにとっては、生々しいオトコたちが何百体もいる
ってかんじで、
(うっ・・
)ってなるほど 圧迫かん(感)があったけど・・
お鯉さんみたいに、
海千山千のギラついた男たち(政治家とか)とつきあってきた
花柳界の姐さんからしてみれば、
あれしきの羅漢像、かわいらしく見えちゃっていたのかな
な~んて 思いましたね🐻
)
※長くなっちゃった💦 次回は、そのお鯉さんも きっとおまいりしているにちがいない、近くの「おしろい地蔵」を見に行きます
)