東京都墨田区向島で、いちばん・有名な場所
といえば、
むこうじまひゃっかえん(向島百花園)です。
江戸後期、お金もちのさはらきくう(骨董商・佐原鞠塢)が、
仲良しの文人たちと
「ねえ、何植える?」「ここどうする?」と、楽しく相談しながら手作りした、
いわば、風流人のしゅみていえん(趣味庭園)
大名庭園のような、ものすごさは
全然ないけど、
500種類のお花が次々と咲く、かわいらしさが 江戸っ子に愛されてきました(3000坪)
🌼🌼🌼🌼🌼
「春夏秋冬花不断」って書いてあります🌼←真実
この日・1月5日、園内には、
七福神めぐりの人々が集い
名物の「砂糖を使っていない甘酒」が売れて、小春日和でした。
百花園のハイシーズンは、梅と萩が咲く季節
よって、「花屋敷🌸」と呼ばれる由来となった・梅の花には まだ早く、(2月に梅まつりやってます)
秋に長蛇の見物列をつくる・萩のトンネルは、(当たり前だけど)枯れ果てていました(これはこれで見応えあり)
が、
竹の緑が すがすがしく、
紅白のサザンカも華やかで、
数カ所に置かれた、七草がゆのもと(春の七草)が、
お正月の伝統を 伝えていました。
さはらきくう(佐原鞠塢)や風流な取り巻きについては、
調べれば、いくらでも ビッグネームが出て来るので
ここには 記しませんが、
クリン、一つ、心にのこっているエピソードが あります🐻💛
それは、明治43年、洪水により百花園の草木がダメになり、経営が危機的な状況に おちいった時に
救いの手を差し伸べた
という
実業家、小倉常吉の話です。
小倉常吉は、油問屋の奉公人から
苦労して横浜に「東洋一の製油所」を開いた・石油界の大物でしたが、
百花園の借金を肩代わりしてくれ、
土地を買い上げて、なおかつ4代目(佐原鞠塢)に対し、
「このまま住んでいいよ。庭園もそのまま続けて」
と言ってくれた、恩人だとのことです。
"なんという・太っ腹。”
"加藤千蔭、村田春海 、太田南畝、亀田鵬斎、大窪詩仏、酒井抱一、谷文晃・・の協力で開かれた
この百花園と、
江戸町人のこころざしを 失うのは いかにも惜しい。
そう考えてのことである、”
と
佐原家は 今もかんしゃ(感謝)しているそうです。
(百花園の先代の女将さん=佐原洋子さまがステキな着物美人でしてクリン🐻この方のエッセイ本を読んだことがあり、この話を何年もおぼえていたのです🌈✨✨)
小倉常吉は、園内に祀られている・ふくろくじゅ(福禄寿)のような人だと、
クリンも 思いました🐻👑
(あ、百花園の売店なんですが、ちょっとおもしろかったですよ
園内でとれた梅で作ったとみられる梅干しや、近所の有名なお店のお菓子🍡
オリジナル絵葉書や、隅田川焼の湯飲み(千円)などが ありました~🍵隅田川焼、ひとつほしかった・・)
どこに行っても、お正月をじっかん(実感)しにくくなっている
昨今の東京にあって、
ようやく、お正月の空気に浴した、クリンたちでした🐻🎍
つづく