クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

川端康成の「非常」な初恋

2014-07-18 | 文芸

「成就しなかった愛は、

 いつまでも 忘れられない。」

その かなしさは、

どんな人でも 同じ

ということを、

クリンは 先週、

ニュースで知った・ばかりです

002 <川端康成、悲恋の書簡・11通見つかる>

のちに、

ノーベルしょう(賞)作家となる

かわばた・やすなり(かんじ:川端康成)は、

Daru ダルビッシュに似ていた、東大生時代に、

ほんごう(本郷)のカフェーで

「女給」をしていた

14才の女の子・はつよ(初代)

見初め、

すぐ、(結婚したい)と 思いました

003 いくら、昔のこととはいえ、

生活力のない 22さいが、

15の小娘に プロポーズ

周りの人も

若干・びっくりな 

しゅう(執)心、でしたが、

やすなりには 「肉親」がなく(死別)

初代も まずしい家の子で

十代前半から

おや(親)とはなれて はたらきづめ

Img_2585 「自分だけの身内」が、ほしくて・たまらなかった、

やすなりは、

この、イタイケで はっこう(薄幸)の

少女

つま(妻)に することに、

あたらしい、人生の光を

見出したのでした

008 しっかり者ながら、よるべない・身の上を はかなんでいた・初代も、

求あい(愛)を 受け入れ

二人は

けっこん(結婚)を 約束

006 ここまでの いきさつが、「篝火」という小説に

かかれています

しかし

それから わずか・一ヶ月後

初代からの手紙がとどき、

とつじょ!

やすなりは、

別れを 告げられてしまいます

Img_3061 (青天の霹靂)

「私は今、

 あなた様におことわり致したいことが あるのです。

 私はあなた様と 固いお約束を致しましたが、

 私には ある非常があるのです。

 それを どうしてもあなた様にお話しすることは出来ません。

 今このようなことを申し上げれば ふしぎにお思いになるでしょう。

 あなた様は その非常を話してくれと おっしゃるでしょう。

 その非常を話すくらいなら、

 私は死んだほうが どんなに幸福でしょう。

 お別れ致します。

 さようなら。」

・・・・・・・

・・・・・

やすなりは、

初代のもとへ もう(猛)ダッシュ

しかし、

取り合ってもらえません

005 ここらへんを えがいたのが、

小説・「非常」であり、

やすなり

・初代の男関係を うたがったり、

・初代の処女喪失を うたがったり、

・初代の病気を うたがったり、

・養父母による妨害を うたがったり、

なやみに

なやみます

012 「非常、非常とは何だ?常にあらず?・・・

けっきょく

初代が もどることはなく、

わけのわからないまま

あっけなく・おわった

「康成の恋」

002_2 その後、「幾年も尾を引いた。」という やすなりは、

「南方の火」で、

てんまつ(顛末)を まとめたり

「伊豆の踊り子」に

初代を とうえい(投影)してみたり

しました。

004 今回、見つかったのは、ふられた・直後の やすなりの手紙

「・・・返事がないので毎日心配で、

 ・・・眠れない、・・・何も手につかない。・・」

とつづられた、

「未投函」の 

切ない思いでした。

初代の身におこった「非常」は、

今も ナゾのまま

2人とも、

別の人と けっこん(結婚)し

それぞれの人生を生き、

先に

初代が 病死

20年後、

やすなりは ガスじさつ(自殺)して

この世を 去りますが、

386 く(奇しくも、昭和47年、ぐうぜん 2人は

かまくら・れいえん(鎌倉霊園)で、

同じ日に

のうこつ(納骨)されたのだそうです

・・・・・・・・

(・・・

 そういえば、クリンも

 今は 大谷君がいるけど、

193 昔は、ダルビッシュと こんやくしてたことあった・・・

 

 

 

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「あけがたにくる人よ」永瀬清子の詩

2014-07-16 | 文芸

山林を 乞い・したいながら

俗世に生きる 道をえらんだ

国木田どっぽ(独歩)

かれは、

37さいで

その 生がいを とじました

が、

002 ここにも 一人、80すぎて 

若き日の

捨て去れなかった・思い出を かみしめる、

しじん(詩人)が います

037 <あけがたにくる人よ> by永瀬清子

あけがたにくる人よ

ててっぽっぽうの声のする方から

私の所へ

しずかにしずかにくる人よ

一生の山坂は蒼く 

たとえようもなくきびしく

私はいま 老いてしまって

ほかの年よりと同じに

若かった日のことを

千万遍恋うている

その時私は 家出しようとして

小さなバスケット一つをさげて

足は宙にふるえていた

どこへいくとも 自分でわからず

恋している自分の 心だけがたよりで

若さ、

それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに

その時あなたは来てくれなかった

どんなに待っているか

道べりの柳の木に 云えばよかったのか

吹く風の小さな渦に 頼めばよかったのか

あなたの耳は あまりに遠く

茜色の向こうで

汽車が 汽笛をあげるように

通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった

いま来ても つぐなえぬ

一生は 過ぎてしまったのに

あけがたにくる人よ

ててっぽっぽうの声のする方から

私の方へ

しずかにしずかにくる人よ

涙流させにだけ くる人よ

・・・・・・・

170 成就しなかった愛って、いつまでも 忘れられないかもね。

『どんなに待っているか』

ってところ。

『どんなに待っていたか

じゃないのが、

長い想いを感じさせるね。」

チットが言いました

011 「わかる~~。めちゃくちゃよくわかる~~

 ・・・・・・・クリン、

 あんた、恋心以前に

 『ててっぽっぽう』が、何のことだか

 わかってるの?」 (チット)

012 「知ってるよやまばと(山鳩)でしょ?」←正解

 

 

 

 

 

 

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「山林に自由存す」~国木田独歩の詩

2014-07-15 | 文芸

昨日、しょうかい(紹介)した

茨木のり子の、

「自分の感受性くらい」という

ポエム

 はじめて読んだころと 今とでは

 突き刺さり方が違う

チットは言います

001 そのいみ(意味)において、

同じ本の中にあった

「国木田独歩の詩」も、

社会人として

あるていど・都会に生きてきた人の

心に つきささるのでは

なかろうか・・

クリンは思いました

281 <山林に自由存す>(国木田独歩)

山林に自由存す

われ この句を吟じて 血のわくをおぼゆ

ああ 山林に自由存す

いかなれば われ 

山林をみすてし

140 あくがれて 虚栄の途に のぼりしより

十年の月日 

塵のうちに過ぎぬ

ふりさけ見れば 自由の里は

すでに

雲山千里の外にある心地す

280 まなじりを決して 天外を望めば

をちかたの 高峰の雪の朝日影

ああ 山林に自由存す

われ

この句を吟じて 血のわくを覚ゆ

283 なつかしき わが故郷は何処ぞや

かしこに われは

山林の児なりき

顧みれば 千里江山

自由の郷は

雲底に 没せんとす

・・・・・

 自然の中で生きるのに 憧れるのって、

 都会人共通の

 ロマンだよね。

 まあ、

 私たちは多摩に住んでて

 雑木林とか豊富だし、

 『自然欠乏症』を 言いつのるのは

 おこがましいけどね~。」

チットが言いました。

013 ・・・・・まあね。。

 

 

 

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春の海の詩~島崎藤村「潮音」

2014-03-30 | 文芸

Img_4768 クリンたちが、きねん(記念)日に おとずれた

レストランの前には

七里ガ浜の海が 

広がります

Img_4750 キラキラ光る、白い波

(・・これは、春の海Img_4754

 

Img_4748 こんな海の 春げしき(景色)を きりとった、

ポエムがあるので、

ちょっと 

うたってみます

<島崎藤村「潮音」

Img_4753 「 わきてながるゝ やほじほの

Img_4751  そこにいざよふ 海の琴

Img_4752  しらべもふかし もゝかはの

よろづのなみを よびあつめImg_4756

Img_4754_2  ときみちくれば うらゝかに

Img_4758  とほく きこゆる 

はるの しほのね 」 Img_4759

 

Img_4760_2

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柳の俳句・短歌~人生に寄りそう三首

2012-05-20 | 文芸

イタリア語で、ヴィンチとは「柳」。

レオナルド=ダ=ヴィンチ

「ヴィンチ村のレオナルド」

という・いみ(意味)だってことは、

わりと知られていても

ヴィンチ村が

自生する「柳」で、かごを作る・さんぎょう(産業)をおこすほどの

やなぎ村だとは

あまり知られていません

先日「ダヴィンチ展」を見て、 

今日 ギンザに出かけたチット

てっきりクリンは

「銀座の柳」に 会いたくなっちゃったのかな?

って

思っていたけど ちがいました。

Img_6800 近年のギンザは、「柳」よりもマロニエのほうが 

にあうような

町になりつつありますが、

やはり、「柳」の人気は かく別です

うちのチットも

「映画や歌は知らないけど、

 春から夏の銀座を

 こんなにみずみずしく、

 小粋に輝かせる木はないね。」

って

言ってます

<小林清親 「東京銀座街日報社」 明治9年>

Img_6852_2 「江戸あらため東京が首都になって、

銀座の街がつくられた時、

街路樹には はなやかに

松や桜や、かえでが植えられたけど、

築地からの潮風で育たなくて、

みんな枯れちゃったんだって。」(チット談)

それで

やなぎがうえられた そうです。

春になると、みどりをけぶらせ

人々の気もちを 

やわらかく

日本的にしてしまう、やなぎ。

学校のきょうかしょ(教科書)にのっていた、

石川たくぼく(かんじ:啄木)のうたも、

まさに そんな

やなぎのしんじょう(心情)を

あらわしています。

「 やはらかに 柳あをめる 北上の

    岸辺目に見ゆ  泣けとごとくに  」

Img_6849 けっさく・・

それから すう年

少女から大人になるカテイ(過程)で

もうひとつの

やなぎの歌に出会ったチット。

「 染めいだす  人はなけれど  

     おのずから   柳は緑   花は紅 」

120519_150443 毎日とおりかかる、ボチ(墓地)の一角にかけられた

このことばが、

みずからの成長とともに 

心にしみて・きたそうです。

これは

「宋代の詩人・蘇東坡の一節らしいんだけど、

 禅語としてじゃなく

 ずっと

 国語としてよんできた。」

チットにとっては

しみるらしい。

にんげんの かんせい(感性)に 

みずみずしく・したたる やなぎ。

そしてまた

そのしなやかさと つよさは

にんげんを ゆうき(勇気)づける、

そんな力も、あるらしい。

A8e3c2ee <僧・仙 「堪忍」の讃 (江戸時代)>

「 気に入らぬ

     風もあろうに  柳かな  」

・・

何かあっても

やなぎのように うけながす

せんがいさんは こうおしえ、

大人のチットを 支えます

     

 

 

 

 

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夜の薔薇~八木重吉~

2011-07-06 | 文芸

夜のひととき、

おへやでしずかに、ししゅう(かんじ:詩集)をよんでいると、

どこからともなく、

あまい香りが 流れてきました。

外に出てみると、

道をはさんだ反対がわの小さなこうえんに、

クチナシの白いお花がたくさん咲いていました。

Img_1997

Img_1994

Img_1993 家まで香りがとどきました。

バラじゃないけど、

バラの詩が口をついて出てきます。

 

 

「ああ

 はるか  よるの  

          そうび (薔薇)」  (八木重吉)

 

・・・・・・・・・・・

すてきな香りにつつまれて、

クリンねます。

ばらのもようのおフトンで、

おにいちゃんと  ネンネします。

Image354

Image498_2 

Image497

Image499 ぎゃっ、つぶれる=

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