「レオナルド=ディカプリオ主演」で、
リメイクされた
「グレート・ギャツビー」
多くの取りまきに 囲まれながら、
その・すじょう(素性)を だれも知らない
若き 大フゴウ(富豪)のなぞが、
しだいに 明かされる。
という
ミステリーをふくんだ お話です。
映画版の見どころは、
ギャツビー邸における
ドハデ(派手)なパーティーの 「豪華絢爛」と
1920年代の アメリカの金もちの、
もちもの文化を
点けん(検)できる・点にあり、
「自分が思い描いていた、
ウエスト・エッグからイースト・エッグの対岸の眺めが
確かめられてうれしい」
と
よろこぶチットでした
ただ、
「レオのギャツビーはともかく、
トムとデイジーが
適役なのかはわからない・・
欧米人と日本人の 感覚の違いもあるのかも。。」
と
とまどい気味
イメージの中では
トムはもう少し 若く、品がよく
デイジーはもう少し はかなげで内気
何しろ、この作品のキモは、
はなもちならない・「無責任さ」と
「空虚さ」
を
冷たく見すかすことにある
だからこそ
うわべの
「柔らかな洗練」が きわ立っていて・ほしいのです
それに、何しろ、
とはいえ、
原作を知らなかった
クリンにとっては、
ギャツビーとデイジーの「再会シーン」は
(キャ)
ってかんじでした
「小説を読んでいない人にも通用させる、
そんな映画だね。」(チット談)
・・・・・
そうだね、チット。