クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

憲政記念館と尾崎行雄、そして咢堂まんじゅう

2019-12-30 | 国際・政治

 空き空き だったけど、ひじょう(非常)に

良かった、

てんらん(展覧)会が ありました。


 ここ、けんせいきねんかん(憲政記念館)

てんらん(展覧)会です。


 けんせいきねんかん(憲政記念館)は、国会(議事堂)の

向かいにあり、

「衆議院議員・尾崎行雄」

けんしょう(顕彰)する目的で

つくられた、

政治記念かん(館)です


 おざきゆきお(尾崎行雄)は、明治~昭和にかけて、大かつやく(活躍)した

政治家

で、

れきし(歴史)の教科書でも、

太字で 紹介される人。


 彼の、人生の歩みを、じょうせつ(常設展示)

するとともに、

れきし(歴史)に 名をのこした

政治家の

企画てん(展)をするのが、


このかん(館)の しゅし(趣旨)です


 しん(親)友・チットは 歴女ですが、この「尾崎行雄」

のことを

そんけい(尊敬)しており

数年にいっぺん、

ここを

おとずれます


 さて、「内部撮影OK、ただし展示物の撮影は禁止


というので


ないよう(展示内容)の せつめいは、

 りんせつ(隣接)の「議場体験コーナー」

画ぞう(像)とともに

お伝えしたいと 思います


 そもそも、おざきゆきお(尾崎行雄)とは、神奈川県

生まれの

明治人で、


初めての国会ぎいん(議員)の一人 (※第1回帝国議会で衆議院議員に選出)

文部大臣をやったことがある (※初めての政党内閣である第一次大隈重信内閣の文相)

「憲政の神様」と呼ばれた (※大正時代に憲政擁護運動の先頭に立つ)

戦時下で、軍に立ち向かう (※太平洋戦争下の翼賛選挙に非推薦で立候補、当選する)

94さいまで、ぎいん(議員)をつとめる (※当選回数・勤続年数・最高齢議員記録)


という、


スーパーマンでした。


 彼が、95さいで 亡くなったあと、

「超党派の議員」たちで

つくられた

この「憲政記念館」に来ると、


 「議会政治の父」とよばれた・おざきゆきお(尾崎行雄)

いぶき(息吹)が かんじられ、

 「このすぐ近くの国会議事堂において、よくもまあ

議員さんたちは、

ああも、ひどい審議

繰り広げることができるもんだわ。


うちのチットは、たいひ(対比)で マジ・あきれます


 さっき・見てきた、てんじ(展示)の中には、


おざきが

1936年、

国会(議事堂)の完成によせて、

「立派な建物になりはしたが、この議事堂にふさわしい議員は いつになったら現れるのだろうか。」

えい(詠)じた・短歌が

ありましたし、


 「欧米にあっては、討論数昼夜にわたるべき大問題も、

我が国にては、数時間以上の討論をゆるさず。

わが国には、表決堂あって、議事堂なし。」


と、

今と同じ国会のあり方をなげいている

「論説集」が

ありましたし、


 ないかく(内閣)が「解散権」をふるう、ってのは、

おうぼう(横暴)だ

とする、

「解散論者に問う」という文書

かざられていました。



・・・・・・


いつの時代も、たいへんだけど、

今より もっと

政治家が

たいへんだった時代に、


 げんろん(言論)の府を、守ろうと、命をはっていた、

おざきゆきお(尾崎行雄)・・

クリン、

ここに来て知った、

彼の「座右の銘」を

紹介し、

この記事の シメとさせていただきたい


そう・存じます


「人生の本舞台は、常に将来に在り。」(by尾崎行雄)




ねえ、ちょっとさ~、ひとつ、ネタ消化させて。」(チット)


 「前に、尾崎行雄生誕地の津久井町で買った、

『咢堂まんじゅう』


その写真も、ついでに 記事に入れといてよ。」(チット)


 (・・・・・せっかく、社会派っぽく、まとめたかったのに、

さいご、

おまんじゅうの紹介に なっちゃった・・




コメント (6)
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