「新型コロナウイルス
」にばかり、気をとられ
がちな
今年の春ですが
明日は
3・11。
「東日本大震災」の日 です。
・・というわけで、クリンたちは 公開中の映画、
「Fukushima50」
を
み(観)に 行きました
「フクシマ50」と いうのは、
しんさい(震災)の時に
こわれた
「福島第一原子力発電所」
で、
ひがい(被害)を さいしょうげん(最小限)に食い止めよう
と
命をはった、
現場の人たち
を 海外が呼んだ、名称です。
あの時・・、毎日 食い入るように
テレビを
見ていたけれど、
果たして、現場では 何が起こっていたのか
それを
知りたくて、
クリンたちは
映画かんに行きました。
映画は、その求めどおり、
・地震の衝撃、
・津波のスケール
が
体かん(感)できる作りと なっており、
しゅうし(終始)、ドキドキしっぱなし
ストーリーは、「地震発生
」
から
三日くらいのあいだに、
ふくしま原発で 何が起こっていたのか?
を
現地のしてん(視点)から
とらえたもので、
原発のこうぞう(構造)、現地の対応、
プラントエンジニアたちの
必死のはたらき
が、
よくわかりました。。
主人公は、「東電」の、よしだまさお(吉田昌郎)所長
えんじる、
わたなべけん(渡辺謙)
さんで、
これは、
来年の「日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞」
ものの 名えん(演)
でしたが、
吉田所長を はじめとする、
作業員の方々の
多大なるご苦労に、
本当に
あたまの下がる 思いがしました。
それと対比して、
映画では
当時の「東電トップ」のクズっぷり
、
また、
それよりはましだけど、官邸の余計なうごき
なども
描かれており、
いかに
現地をぎせい(犠牲)にする
東京のわかってない連中の多かったことか・・
このたび、
思い出した次だい(第)で ありました。。
家ぞくは 言います。
「
吉田所長への弔いのような 映画だったね。。
彼ら
現地作業員の方々に対して、
私ら外野は 決して
砂をかけるような 発言をしてはいけない。
ただ・・
原発に関しては言いたいことがあるね。
人間が制御できないものを、これ以上使い続けちゃいけないよ
どれほどのコンピューターにシミュレーションさせて、
対応能力の優れた人を 配置したとしても、
根本的に間違っているじゃん。
この9年、
汚染水はたまり続けて
たいして状況は好転されずに なあなあの復興だよ。
誰がどう見たって
原発は事故ったら 終わりなのに、
電気代が高くなりますよ、と脅されて
国民は大人しく見送ったよ。
海外にセールスかける政府の汚ささえね
その間クールジャパンで
観光立国目指して、
インバウンド刺激して・・
でも、
福島原発の建屋が水素爆発を
起こした時から、
世界が日本をどれだけ 冷めた目で見てるか、わかってるのかな
クールジャパンなんて、
まやかしなんだよ
今回の新型コロナウイルス対応だって、
日本は世界中からうんざりされているでしょうよ。
『お前らのやらかし、定期』
ってね。」
ひさびさに、
思い切った・家ぞくのいけん(意見)を
きいた
クリンは、
映画のラストシーンに、「2020年オリンピック東京大会は
復興五輪として位置づけられ云々」
と
書いてあったのを 思い出し、
(しんコロで、オリンピックが とんじゃったら、どうしよう・・)
と
不安を つのらせました
映画では、
ぼうとう(冒頭)のシーンも
印しょう的でした。
マグニチュード9.0のゆ(揺)れが 起きた時、
「原発執務室」の中に
かざられていた
がく(額)が
ふっとぶのですが、
たしか そのがく(額)には、
「冷やす 止める 閉じ込める」
と
ひょうご(標語)のようなものが
書かれていました。
あのがく(額)が
あっけなくふっ飛んでいった
えんしゅつ(演出)に、
にんげんが せいぎょできない・すべてが込められている・・
と
かんじました。
かなしくて、
いろいろ 考えさせられる
映画だったけど・・
このさい、ぜひ、明日、3月11日
に
みに行ってみてください
今、
映画かん(館)
ガラ空きですし、
しんさいの当日に 行くことに、
かち(価値)がある
と
思います
・・・っていいながら、
クリンたち、
サービスデーの
月よう日に 行っちゃいました
すみません