元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ありふれた事件」

2006-12-03 14:54:09 | 映画の感想(あ行)
 (原題:C'est Arrive Pres de Chez Vous)92年製作のベルギー映画。並みの神経の持ち主なら始まって10分以内に席を立つであろう、常軌を逸した映画である。見てはいけないものを見てしまった不快感が後々まで尾を引く、でもやっぱりヴォルテージの高さは認めざるを得ない。公開当時は各国のファンタスティック映画祭で賞を総ナメにしたという問題作だ。

 主人公ベン(ブノワ・ポールヴールド)は陽気な殺人者。朝は早く起きて年金配達の郵便屋を絞殺。金を奪うと配達先の家に押し入って年寄りを殺す。夜は金持ちの家を物色しては家人を皆殺し。路上で、列車の中で、タクシーの中で、気が向けば殺人を繰り返し、死体をバカのひとつ覚えみたいに川に投げ込む場面も紹介される。しかし、普段の彼は家族や友人に好かれる気のいいアンチャンであり、反面、社会問題や文学論を話題にしたりピアノを弾いたりするインテリでもある。

 この映画のユニークなところは、彼の行動を逐一取材する映画スタッフが登場し、彼を主役にしたドキュメンタリー映画を撮影している点だ(それがそのまま我々が見る映画となっている)。当然、その撮影スタッフは殺人のことをベンの家族には口外しない。

 映画は、ベンが何故殺人を趣味にするようになったのか、一切説明しない。現象面を追うのみである。重要なのは、殺人をカメラに写されることによって、ベンの狂気がエスカレートしていくことだ。カメラで撮られることにより、人間は通常思いもしないことを口にしたり、行動に示したりすることがある。自分で自分を演出してしまうのだ。

 それはまた、心の中に潜んでいる思わぬ心理を引き出すことでもある。たぶんそれまで密かに行っていた“趣味の殺人”は、カメラという媒体によって形成してされた、彼と撮影スタッフだけの不気味な“世界”では日常茶飯事となるのだ。そこでの目的は、いかに対象を面白おかしく捉えるか、つまり、工夫を凝らした殺人シーンを手際よく陳列してみせるか、それしかない。罪の意識うんぬんは出発点から欠如している。

 “殺すのは楽しいけれど、あとの処理がねぇ”“子供は苦手だ。殺してもカネ持ってないしね。だからまだ2,3人しか子供を手にかけたことがない”etc.そして殺しの直後に鏡の前で俳優のモノマネをしたりする。この旺盛なサービス精神。彼らにとって殺しは娯楽だ。さらに、撮影スタッフも参加しての派手なレイプ殺人シーンでこの共犯意識は最高潮に達する。

 人間の悪意を引き出すカメラ、そういう凶器としてのカメラをここまでエゲツなく示した映画はかつてなかったろう。また、テレビのワイドショーの取材と銘うって、カメラが無神経に市井の人々を捉える可能性が多い現在、ベンのような勘違い野郎が実際に現れないとも限らない。そう、豊田商事事件で、カメラが見守る中堂々と殺人を犯したあの犯人のように。

 監督・製作はポールヴールドとレミー・ベルヴォー、アンドレ・ボンゼルの3人。モノクロ16ミリ作品。難を言えば、主人公たちを狙うマフィアの殺し屋らしきものを登場させたのは気に入らない。話がフィクションっぽくなってしまった。ここは楽しげに殺しまくっていた主人公たちが、無抵抗と思われた相手から思わぬ逆襲を受け、無惨にくたばってしまう、という結末の方がカタルシスがあったと思うのだが・・・・。
コメント
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