(原題:ABDUCTION: The Megumi Yokota Story)観終わって、私は怒りを覚えた。それは映画の出来が低レベルだったからではない。北朝鮮への改めての怒りでもない(あのクソみたいな国には、映画を観なくても普段から十分すぎるほど怒っている)。こういう題材をまんまと外国人に持って行かれた日本映画界に対して憤りを感じているのだ。
拉致問題は最もホットな時事ネタのひとつであり、当事国としていくらでも描き方があると思うのだが、邦画のプロデューサーは見向きもしない。この問題だけではなく、今の日本映画界は社会的な題材に対して実に冷たい。そして生ぬるいメロドラマやノスタルジアにどっぷり浸かった“むかし話”に終始している。これでいいのか? もうちょっと気合いを見せたらどうだ。我々の同胞が他国にさらわれて辛い思いをしている。それに対して何も思わないのか。えっ、そんなネタは客が入らない? 本作を上映している映画館は満員御礼だぞ。こういうテーマを無視して、何がカツドウ屋だ。それとも、こんな題材を扱うのを妨害する“ある勢力”が存在するとでもいうのか。
それはさておき、この映画は丁寧な作りで好感が持てる。編集のテンポも手際が良い。監督はアメリカのドキュメンタリー作家、クリス・シェリダンとパティ・キム。製作はジェーン・カンピオンが当たっている。カメラが適度な距離を置いて捉える横田夫妻の苦闘には何度かグッときた。「小川宏ショー」での家出人捜索コーナーとか、訪朝した小泉首相と安倍晋三が金正日に会う直前の表情とかいった、貴重な映像も満載だ。
そして思わず声をあげそうになった箇所がある。それは横田めぐみさん自身の“肉声”が流れるところだ。小学校の合唱コンクールでソロを担当していて、それがテープに残っていたのだ。まぎれもなく彼女が“実在していたのだ!”という厳粛な事実が明らかになり、たまらない気持ちになった。一刻も早い事態の解決を望むものである。