95年作品。製作当時のヴェネチア映画祭に邦画としては久々に正式出品された話題作。大阪近郊で幸せな結婚生活を送っていたヒロイン(江角マキコ)は原因不明の自殺により夫(浅野忠信)を亡くす。5年後、縁あって奥能登の漁村に住む子持ちの男(内藤剛志)と再婚。しかし、彼女の心の中には前の夫の死が重く根を張っている・・・・。宮本輝の短編を映画化したのはテレビマンユニオンという番組製作会社で、監督はこれがデビュー作となった是枝裕和。
観終わって感じたのは、作者はさぞや撮っている間は気持ち良かったろうなー、ということ。冒頭の大阪の下町を映す場面は、雰囲気がもろ台湾映画だ。侯賢孝かエドワード・ヤンの作品といっても違和感がない。そして小津安二郎風のカメラワークとアッバス・キアロスタミとよく似た作劇。ラストなんぞ“東京も見たし、熱海も見たし”というセリフがいつ老父役の柄本明の口から出てもおかしくない(笑)。
映像が美しい。どのショット、カットをとってもそのまま芸術写真として通用する。撮影の中堀正夫もテレビ出身で映画は初めてだが、下世話な画面しか撮らせてもらえなかったうっぷんを晴らすように、ひたすら静的な映像美を追求する。左右対象の構図を多用し、黒を基調とした登場人物の衣装を活かすような、微妙なライティングとアングルが印象に残る。
さて、あまりにも見事な映像に対し、肝心の人間ドラマはどうだったのかといえば・・・・これが何とも“薄い”のだ。なるほど、冒頭のヒロインの子供時代に祖母が行方不明になるエピソードや、最後まで夫の自殺の原因をわからないままにしておく筋書きなど、センチメンタリズムを廃して、日常の隣に住む“死への誘惑”とでもいうものと、それを“幻の光”として許容して生きていく人間の心の不思議を描き出そうという作者の意図は何となくわかる。テーマとしては実に斬新で興味深いが、それが美しくシンボリックに磨き上げた映像にどれだけ表現できていたか。正直言って不十分だと思う。
セリフで延々と説明しろとは言わないけど、少しはヒロインの心の揺れを鮮明にあらわす暗示なり伏線がないと映画が平板になってしまう。日常を淡々と描くだけでは文字通りの“日常の映像化”にしかならないのだ。ま、あざとくならない程度の事件を盛り込んだり、小道具を使ったり、いろいろと方法は考えられるのだけどね。
ただし、いろいろ不満はあるにせよ、現時点ではこれが是枝監督の最良作なのだから、何ともはや・・・・である(汗)。江角は本作が映画初出演。モデル出身らしく立ち振る舞いのシルエットの美しさには惚れぼれしてしまった。
観終わって感じたのは、作者はさぞや撮っている間は気持ち良かったろうなー、ということ。冒頭の大阪の下町を映す場面は、雰囲気がもろ台湾映画だ。侯賢孝かエドワード・ヤンの作品といっても違和感がない。そして小津安二郎風のカメラワークとアッバス・キアロスタミとよく似た作劇。ラストなんぞ“東京も見たし、熱海も見たし”というセリフがいつ老父役の柄本明の口から出てもおかしくない(笑)。
映像が美しい。どのショット、カットをとってもそのまま芸術写真として通用する。撮影の中堀正夫もテレビ出身で映画は初めてだが、下世話な画面しか撮らせてもらえなかったうっぷんを晴らすように、ひたすら静的な映像美を追求する。左右対象の構図を多用し、黒を基調とした登場人物の衣装を活かすような、微妙なライティングとアングルが印象に残る。
さて、あまりにも見事な映像に対し、肝心の人間ドラマはどうだったのかといえば・・・・これが何とも“薄い”のだ。なるほど、冒頭のヒロインの子供時代に祖母が行方不明になるエピソードや、最後まで夫の自殺の原因をわからないままにしておく筋書きなど、センチメンタリズムを廃して、日常の隣に住む“死への誘惑”とでもいうものと、それを“幻の光”として許容して生きていく人間の心の不思議を描き出そうという作者の意図は何となくわかる。テーマとしては実に斬新で興味深いが、それが美しくシンボリックに磨き上げた映像にどれだけ表現できていたか。正直言って不十分だと思う。
セリフで延々と説明しろとは言わないけど、少しはヒロインの心の揺れを鮮明にあらわす暗示なり伏線がないと映画が平板になってしまう。日常を淡々と描くだけでは文字通りの“日常の映像化”にしかならないのだ。ま、あざとくならない程度の事件を盛り込んだり、小道具を使ったり、いろいろと方法は考えられるのだけどね。
ただし、いろいろ不満はあるにせよ、現時点ではこれが是枝監督の最良作なのだから、何ともはや・・・・である(汗)。江角は本作が映画初出演。モデル出身らしく立ち振る舞いのシルエットの美しさには惚れぼれしてしまった。


