91年作品。「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」に続く馬場康夫監督作品で、前回までの展開から予想されるハヤリ物を並べ立てた“トレンディー・シネマ”(こんな言葉あったっけ)だろうと思ったら違った。舞台は81年の真夏の湘南で、大学卒業を目前にした若者たち(織田裕二、中山美穂、松下由樹ら)がFM局設立を夢みて奔走する姿を描く青春映画だ。馬場が属するホイチョイ・プロダクションのメンバーの年代は主人公たちより少し上だから、登場する学生たちより彼らにからむ広告代理店の若手社員(別所哲也)に作者が感情移入しようとしたのは明らかだ。
時代考証(?)が実によくなされている。当時のヒット曲が全編に流れ、女の子はみんな真っ黒に日焼けして(今じゃ日焼けを抑えるのが常識だ)パールピンクの口紅をしているし、サーフボードを屋根に載せて走るクルマが多かったり、それと若いサラリーマンがエンブレム付きのネイビーブレザー(90年代初頭に流行ったブリテイッシュ・シェイプ・タイプのやつじゃなくって、ズン胴&ナチュラル・ショルダーのもろアイビー・スタイル)を着込んでいるとか、意外とよく考えられている。
何より感心したのはDJを担当するヒロインのLPレコードの扱い方がサマになっていたことだ。CD時代とは違ってラジオ番組でLPの曲の頭出しには熟練を要したものだが、このへんの描写に違和感がない。話は変わるが、最近では音楽シーンにおけるFMの役割が小さくなったという意見があるらしい。だが、それは日本だけの話で、膨大な数を誇るアメリカや出力が大きいヨーロッパの現状と比べると日本のそれはいかにも貧しい。FMが衰退しているというのは大ウソで、単に放送プログラムの質が低いだけだと思う。福岡みたいな100万都市には少なくとも10局ぐらいはFMがほしいものだ。
映画の出来としてはどうかというと、凡庸そのものだ。作者の青春時代を題材にするのはいいとしても、凝ったディテールだけでは映画にならない。ストーリー展開は安手のTVドラマそのもので、登場人物に実在感がなく、いかにも頭の中だけで作った話のようだ。ラスト近くの、イベント会場までFM電波を飛ばすはずが、相次ぐトラブルで主人公たちが奔走するハメになるくだりも、もっと盛り上がってしかるべきだが、当時のこの監督の力量では無理だったようだ。題材は悪くないのだから、しかるべき監督が演出を担当すればそれ相応の作品にはなったと思う。
映画的興奮もへったくれもなかった「私をスキーに連れてって」に比べると、映画らしい映画にはなっているが、それだけ作者の技量がモロに出て、単なる凡作に終わっている。そんな馬場監督だが、長い沈黙の後に99年に撮った「メッセンジャー」では大化けする。一本や二本観ただけで映画作家を見限るのは禁物だということだろう。
時代考証(?)が実によくなされている。当時のヒット曲が全編に流れ、女の子はみんな真っ黒に日焼けして(今じゃ日焼けを抑えるのが常識だ)パールピンクの口紅をしているし、サーフボードを屋根に載せて走るクルマが多かったり、それと若いサラリーマンがエンブレム付きのネイビーブレザー(90年代初頭に流行ったブリテイッシュ・シェイプ・タイプのやつじゃなくって、ズン胴&ナチュラル・ショルダーのもろアイビー・スタイル)を着込んでいるとか、意外とよく考えられている。
何より感心したのはDJを担当するヒロインのLPレコードの扱い方がサマになっていたことだ。CD時代とは違ってラジオ番組でLPの曲の頭出しには熟練を要したものだが、このへんの描写に違和感がない。話は変わるが、最近では音楽シーンにおけるFMの役割が小さくなったという意見があるらしい。だが、それは日本だけの話で、膨大な数を誇るアメリカや出力が大きいヨーロッパの現状と比べると日本のそれはいかにも貧しい。FMが衰退しているというのは大ウソで、単に放送プログラムの質が低いだけだと思う。福岡みたいな100万都市には少なくとも10局ぐらいはFMがほしいものだ。
映画の出来としてはどうかというと、凡庸そのものだ。作者の青春時代を題材にするのはいいとしても、凝ったディテールだけでは映画にならない。ストーリー展開は安手のTVドラマそのもので、登場人物に実在感がなく、いかにも頭の中だけで作った話のようだ。ラスト近くの、イベント会場までFM電波を飛ばすはずが、相次ぐトラブルで主人公たちが奔走するハメになるくだりも、もっと盛り上がってしかるべきだが、当時のこの監督の力量では無理だったようだ。題材は悪くないのだから、しかるべき監督が演出を担当すればそれ相応の作品にはなったと思う。
映画的興奮もへったくれもなかった「私をスキーに連れてって」に比べると、映画らしい映画にはなっているが、それだけ作者の技量がモロに出て、単なる凡作に終わっている。そんな馬場監督だが、長い沈黙の後に99年に撮った「メッセンジャー」では大化けする。一本や二本観ただけで映画作家を見限るのは禁物だということだろう。