誰かに教えてあげたら、喜ぶだろうな、
とトプは思ったので、場所をちゃんとおぼえておいた。
「果実時計」(「木苺通信」より)
びっくりするような強い風が一日吹き荒れる。
山桜の枯れ枝が音を立てて降ってくる。
中には人の背丈ほどの大きなものもあり、落ちたはずみにあじさいのつぼみを何本か折ってしまう。
木々の青い葉が小枝ごとひきちぎられたようになって飛んでくる。
もみじ、こなら、もくれん、大きな朴の葉も。
ベランダの日除けがバタバタ暴れて危ないのではずした。
台風以外でこんなことは珍しい。
夜遅くになってようやく静かになる。
翌朝みたら、青いプラムの実もたくさん落ちていた。
地面には桜の実。
ミニミニさくらんぼ。
どこにでも、踏まなければ歩けないほど大量に落ちている。
いかにもさくらんぼらしい柄のついた赤いのは、渋くて食べられない。
黒く熟すと、渋みがやや薄れ、ちょっとアメリカンチェリーの風味に似てくる。
ホワイトリカーに漬けると素晴らしい香りのお酒になるけれど、柔らかく熟したものは、地面に落ちるとすぐつぶれてしまうから駄目だ。
枝から摘むには、木が高すぎて駄目。
人の手の届く高さで実のなる山桜を、10年前には知っていたけれど、もうその木もうんと大きくなってしまった。
木のてっぺんでカラスがこそこそと何かしているのを見つけた。
そのへんに巣でもあるのかと、陰から見ていたら、さくらんぼをついばんでいるのだった。
カラスの体重を支えるには梢の枝は細すぎるので、翼を半開きにあぶなっかしくバランスをとりながらがんばっている。
1個ついばむごとに、枝が大きく揺れて、10個も20個もぱたぱたと雨粒のように降ってくる。
カラスも落ちた実は拾わないのだろうか。
人が見ていないときは地面に降りているのかもしれない。
桑の実も熟し始めた。
桑の木は成長が早いから、あっというまに手が届かなくなる。
その上、地上2メートル以下の枝は鹿が全部食ってしまう。
もっと高い位置の枝でも、長く伸びて先端が垂れ下がったのを狙い、後足で立ち上がり、枝先を「あむっ」とくわえて体重をかけて引っ張り下ろし、めきめきとへし折ってしまう、らしい。
(現場を見たわけではないけれど、状況からみて、絶対そうとしか考えられない!)
ところで、
前に「豆大福の謎」で書いた、ずーっとお正月のまま変わらないディスプレイの、その後。
このまま夏を越すんじゃないか、もう来年のお正月まで行っちゃうのではと、通るたびに横目でちらちら見ていたところ、なんと5月の末に変わっていました。
すだれに麦わら帽子。ハイビスカス的な明るい色の花。ワイン?の瓶。
お正月から、春も梅雨も飛び越えて、一気にトロピカルムードに大変身。
うん、これであと3、4か月は大丈夫だ。
よかったよかった。
(夏と冬の二期制になったのかな…)
しかしですね、わたしは一度に4つ以上のアイテムを見るとぜんぜん覚えられない、ということが判明しました。
ぱっと全体を一枚の画像として把握する、ということができないんだろうな。
あたふたと腕いっぱい抱え込もうとして、結局あれもこれも取り落としてしまう感じ。
2度目に見たら、椰子の木の絵と、マリンストライプに錨の絵と、ひまわりの造花と、かごバッグもあった。
ワイン瓶の隣にトゥーカンみたいな九官鳥(チョコボールのキョロちゃん?)みたいな鳥がいたような気がしたけれど、きょう見たらそんなものはなかった。
さらに、2月下旬に購入した車のナンバーをまだぜんぜん覚えていないことにも気づき、ちょっとあせっているところ。12桁のマイナンバーが覚えられるのに、たった4桁がどうして覚えられないのっ。
本日のにゃんこ
クレちゃんの秘密のお昼寝場所のひとつを偶然発見した。
暑い日に猫のいるところは涼しいに決まっている。
誰にも言わないから大丈夫だよ。
本日の「いいね!」
エミリー・ディキンソンの押し花帖
考えてみたら、わたしはエミリー・ディキンソンの詩をちゃんと読んだことがない。
中高生のころはもっぱらビートルズの歌詞などに興味をひかれ、古典に目を向ける機会を逸した。
韻文を読むのは難しいし、和訳で読むのはまた別の意味で難しい。
今だったら読めそうな気もするけれど。
メタセコイアの水玉と遊ぶ。
これはレモンの花。
Mの広島みやげのレモンケーキ。
1個が一辺6センチの立方体で、かなりボリュームがあり、2~4人で切り分けて食べるとちょうどよい。
商品名がちょっと変わっていて、「またきて四角」という。
♪ さよなら三角 またきて四角
四角は豆腐 豆腐は白い
白いは…
あれ? 白いは、なんだっけ。
Mに聞いたら、Mはこの歌を全然知らないという。
男の子って、あんまり歌う遊びはしないものかしらね。
「白いは…うさぎ?」
ああ、そうそう。
あとはすらすらと続いて出る。
♪ 白いはうさぎ うさぎは跳ねる
跳ねるは蛙 蛙は青い
青いは柳 柳は揺れる
揺れるは幽霊 幽霊は消える
消えるは電気 電気は光る
光るはおじいの禿げ頭
みんなで外で遊んでいて夕方になって、まだ遊んでいたいけど帰らなきゃならない、というときにうたう歌だ。
歌いながらあっちとこっちにわかれて歩いていくから、距離が開くにつれてだんだん声が大きくなり、最後には叫ぶようになってしまう。
これは子どもならではの特権のようなもので、おじいおばあの年齢に近づくと、とても大声でなんか歌えるものではない。
蛙と柳の「青い」は、もちろんブルーじゃなくグリーンの「あお」だけれど、閑猫ちゃんが歌うときにいつもひっかかるのは、そこではなく、「揺れるは幽霊」のほう。
柳はともかく、幽霊って(本物は見たことがないけど)「揺れるもの」だろうか。
つまりここだけが「ゆ・れ」の語呂合わせで、ちょっと無理やりつないであるなあ、って…
(めんどくさいことばかり考えている子だったのね、昔から)
関連して他にもいろいろ思い出す。
同じく、別れて帰るときの儀式として、
「おみやげ三つ、たこ三つ!」
とはやして相手の背中を三回叩く。とか。
(たこって、海の蛸だとばかり思っていたけど、違うのかな? 蛸が3匹はりついたランドセルをしょってるイメージが抜けない…)
たまたま同時に同じ言葉を口にしたとき、
「おついどん!」
と叫んで、相手の肩を叩く。とか。
(これはいち早く叩いたほうが勝ちで、叩き返しは反則)
いち にい さんま しいたけ
でっこん ぼっこん ちゅうちゅう がみがみ
ですこん ぽん!
という早口の呪文のような数え歌とか。
で、最初の「さよなら三角」に戻って…
あれ?
もうひとつ別バージョンを思い出した。
♪ いろはにこんぺいとう こんぺいとうは甘い
甘いは砂糖 砂糖は白い
白いは…
で「うさぎ」につながって、あとは同じだ。
これを明らかに関西のイントネーションで覚えているので、神戸時代(2歳から11歳まで)に覚えた可能性が高い。
しかし、そうすると「さよなら三角」を帰り道に歌った記憶というのは、何なのだろう。
夕焼け空に電信柱の背景までついているけれど、そういえばまったく知らない町のようでもあり…歌いながら歩いていくわたしは髪が短くて男の子のようでもあり…
前世の記憶、とか?
<追記>
「またきて四角」のレモンケーキは美味しかったです。
それを食べちゃったあと、山口みやげの「月でひろった卵」というふわふわなカスタードケーキを食べている。
月に卵が落ちてるのか。
拾ったものを食べていいのか。
そもそもそれって「何の」卵なのよ?
と、いろいろ突っ込みつつ。
変わったネーミングには、会話が弾むという効用があることを発見。
本日のにゃんこ
特急クレちゃん通過します。
本日の「いいね!」
「患者」でも「障害者」でもない「ニューロダイバーシティー」という概念。