水面を破壊せよ、上へ昇って

勢いよく水面を破壊する気概で、海面に湧く言葉たちであれ。

漱石論

2016年09月27日 18時49分38秒 | オマージュ集
 いやあ、面白いです。仏陀は確か、「人類は皆、病気である」と言ったと言う話ですが。私も、常に「独我論」的になりがちな性格ではありますが。私という一個人の悩みは妄想なのでしょうか? いつも、不思議に思います。私の悩みは、私のためだけに存在しているのではない。この悩みは、普遍的な者で、他の人がもしかしたら悩まないところを僕が悩んで、その代わりに、僕が悩まないようなところを他の人が悩んで、結果、時が経った上で、それらを分かち合うことが一番意味のあることなのではないでしょうか? 独りで、世の中の全てを悩んでしまうと、おそらく大変な病気になります。漱石は、そういうところがあったのかもしれませんね。漱石は、非常に鋭い感覚を持っています。しかし、そういう鋭い感性の持ち主は、大抵考えすぎてすっとんきょうな結論を、思考によって導き出します。生き方が「正常」なことは、もっとも「病的」なことなのですから。(なぜなら、人類は皆、病気だからです)。まあ、健全な精神の持ち主なら追い込まれること必至なので、健全すぎるのも考えものだということなのでしょう。まあ、正しいことを追い求めるのは必要なことなんでしょうが。できるなら、他の人と一緒に「正しい」と言えることを探したいです。その方が、「病的」になる度合いが低まるだろうから。
僕の持論では、「悩み」は分担する、というものです。そのほうが、効率的で解決も早いのでは、と思っているからです。自分独りで悩めることなどたかが知れています。そうして、個人が悩んだことが、いずれ世界に役立つときが来ることを、僕は強く信じます。
ニーチェも、「私は人が悩まないだろうことを、真剣に悩んでいる」なんて表明しているようですが、あとの時代になってみれば、彼の悩み所が後世においてフォーカスされているのは確かです。と言うふうな具合に、漱石さんは苦しみながらも、一種の楽しみも感じていた可能性はあるかもしれず、勝手に漱石は狂って死んだ、などと簡単に切って捨てることは、容易には出来ないところなのである。


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