チエちゃんの昭和めもりーず

 昭和40年代 少女だったあの頃の物語
+昭和50年代~現在のお話も・・・

おごる気もしね

2019年02月21日 | お母さん
山上(やまじょう)で働いでっとぎさ。
(山上商店というのは、母が40代~60歳まで働いていた漬け物工場)
社長さんが岩手がらトラックいっぱいの大根積んできてなぁ。
明日の朝には、まだ(岩手に大根を積みに)行がねっかなんねがら、今夜中に大根を降ろしたいっていうのな。
ほして、(降ろすなら)二度手間になっから(漬け)タンクに漬けっちまいだいって言うんだよな。
みんなして2時間残業やったげんちょも、まだまだ大根が残ってんのさ。
家族だけ(山上商店は家族経営+数名の従業員の小さな漬物屋だった)では、明日の朝になっても終わんねえがら、
わだしと社長の妹のよしえちゃん、2人になんとが手伝ってもらわんにべが?って、言わっちなあ。
わだしは、痩せっこで、力がなくて、もう、クタクタだったげんちょも、仕方ないと思って残業したんだよ。

ほんぢ、やっと仕事が終わって、足腰も立だないぐらいくたびっち(くたびれて)坂道を這って家に帰ったら、もう夜中の12時近くだった。
ほしたら、じいちゃんが怒ってでなあ。
「人の家の嫁をこんな時間まで働かせる会社はどごにもねえ。
 母ちゃん(母のこと)は、男と遊んできたんだ。」つって。
いやあ~ なんだべ じいちゃんはわだしのごど、こんな風に思ってだのが、信頼されていながったのが、
って思ったら、がっかりしっちまって、情げなぐなっちまって、おごる気もしねがった。

そんどぎ、ばあちゃんに諭さっちなぁ。
「母ちゃん、じいちゃんは、な。
 前の奥さんが、役者なんかと何度も駆け落ちするような人だったがら、ああいう事言うんだがらな。
 ここは、我慢してくれろ。私は解ってがらない。」

ほんじも、やっぱり悔しくてなぁ。
明日、社長さんに訳を話して、うぢに来て説明してもらうべが、って思ったげんちょも、
いやいや、こんなごどで騒いでらんにど思い直してな。
次の日も仕事に行ったのさ。


ほんとにもう、困った爺さん。
普段は人のいい爺さんだったのに、怒りだすと手が付けられなかった。特に、お酒が入ってる時は。
それにしても、お母さんは余程悔しかったんだね。
この話、少なくても5回は聞いてるよ。


※『お母さん』のカテゴリは、チエちゃんのお母さんが語る思い出 お母さんの昭和めもりーずです


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