遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大皿・大鉢・壷31 伊賀壺

2022年01月30日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

室町ー江戸初期の伊賀壺です。

左回りに90度ずつ回転。

 

最大径 27.2㎝、口径(推定) 11.0㎝、底径 15.2㎝、高 29.5㎝。室町―江戸初期。

肩の張り、胴の膨らみが時代を感じさせる壷です。

少し傾いだ姿が微妙な緊張感を出しています。

下半分には轆轤目が目立ちます。

この壷の最大の見どころは、焦げた肌に大きくかかった自然釉です。

肩から下へ流れ落ち、下部には蜻蛉の目も見られます。

この品の自然釉は、まるで火山灰がぶ厚く降り積もったように見えます。

器体表面には、信楽、伊賀の特徴である長石の噴き出しも見られますが、

むしろ、石咬みとそこから派生した亀裂が多くあります。

信楽、伊賀の壷には、このようにはめ込んだかのような底が時々あります。製法との関係はよくわかりません。

見事に口元が割れています。これもまた、信楽、伊賀の壷によく見られます。完全な壷よりも、口部が破損した物の方が評価が高くなる場合さえあります。骨董世界は奇妙ですね(^.^)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大皿・大鉢・壷30 二彩唐津松紋壷

2022年01月26日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

二彩唐津の壷(甕)です。

右回りに、90度ずつ。

 

 

 

 

最大径 35.0㎝、口径 32.8㎝、高台径 14.1㎝、高 33.7㎝。江戸前ー中期。

鉄釉と緑釉で、大胆に松が描かれています。

民芸陶器の代表格です。

このような品は、かつては、弓野焼、あるいはそれを継承した二川焼と呼ばれていました。しかし、その後、佐賀県武雄市を中心に、同様の品を焼いた窯が次々と見つかりました。さらに、伊万里焼と重複している窯も発見されました。

ですから、もはや、◯◯焼の名称にはおさまりきらなくなり、二彩唐津と呼ばれることが多くなりました。しいて言うなら、武雄系鉄絵緑釉松紋壷でしょうか。

これまで紹介してきた刷毛目模様の唐津と同様、鉄分の多い土ですが、もっとガサガサした感じがします。

 

ものすごい迫力の松です。

松の巨木?それとも、岩上の松?

もはや、松かどうかさえ問題にしていない!?(^^;

 

焦げた鉄釉と控えめに打たれた緑釉の組合せは、黄瀬戸を思わせます。 

経年の小傷が無数にあります。さらに、穴の部分には、雨漏りも。

このような壷は、江戸時代から明治まで、長く焼かれてきました。今回の壷は、そのうちで、初期に属する品だと思われます。

実はこの壷は、40年程前、能登半島輪島の骨董屋で入手した物です。店の親爺がいうには、地元の寺で最近まで使われていたとの事。本当のウブですね。他にも、いくつか欲しい品がありました。迷った挙句、ロシア紙幣が嵌め込まれた宝石箱?と麦藁手の小皿を一緒にゲット。

親爺さんが言うには、輪島には江戸時代から、各地の珍しい物が集まったそうです。その理由は、富山の薬売りが、輪島塗の漆器を薬と共に全国各地に売り歩き、かわりにその地の名産品などを仕入れて、輪島に持ち帰ったからだそうです。この壷のような大きな物は、日本海の海運で運ばれたのでしょうが、江戸時代の物産の流通を考える上で、興味深い話でした。

さて、この壷は持って帰るには大きすぎるし、どうしたものかと思ううちに、親爺さんはさっさと梱包をしているではないですか。しかも、持ち手もついて完璧。こうなってくると、自分で運ばねばなりません。能登から岐阜へ、7kgもある大荷物を電車を乗り継いで運んだのでした。

おまけに、駅で冷や汗。帰りの切符を買った後、家への土産をあれこれ物色し、おおこれだという銘菓をを手にして、いざ支払いとなった時、ポケットの中には、100円玉が数個しか残っていないことに気がつきました。骨董の買い過ぎ^^)  ATMなぞどこにもなかった時代、もう一品増やしていたら、家に帰れなくなっていたところでした(^^;

この壷、その後10年間ほど、年に2回、表面に白い粉がふいてきました。舐めてみると辛い。塩です。お寺では、塩入れに使っていたのですね。 

故玩館のような江戸造りの家には、この壷は合います。どこへ置いても違和感がありません。最近は、玄関から入った最初の部屋、琳派屏風の前に置いています。またブログで書きますが、花を活ける時、生花はダメです。屏風が破れます。かといって、造花ではお笑いだし。

年末、例のスーパーレディの姉から、ツクバネの切枝をもらいました。

年があけても、葉が青々としています。造花ではないのに、不思議です。

こんな感じで1か月経ちました。ツクバネはいつまでもつのでしょうか(^.^)

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大皿・大鉢・壷29 絵唐津鳥紋(?)大鉢

2022年01月24日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

絵唐津の大鉢です。

径 30.8㎝、高台径 9.8㎝、高 10.4㎝。桃山ー江戸初期。

発掘品です。割れとニュウが数多くあります。

 

 

黒釉でササッと何かが絵描かれています。鳥でしょうか?

 

補修をかねて、金銀で大胆な絵付けがなされています。

夜の景色をイメージしたのでしょうか、バックを茶色に塗りこめています。三日月は良いとしても、桜や雪の結晶は何の意味?

茶色の塗りは、裏側までに及んでいます。よく見ると、茶色の部分には、ニュウ以外に傷はありません。欠けた部分を漆で補修したのではなく、わざわざ大きく茶色に塗ってあるのです。絵唐津に、さらに絵を加えたかったのですね(^^;

これまでいくつか紹介した唐津系の陶器とは異なり、非常に白く、ガサガサした土がつかわれています。

三分の一高台。石咬みの跡があります。

陶工の指跡、発見(^.^)

高台や轆轤目など、同じ頃の美濃の陶磁器を思わせる雰囲気をもっています。

遠く離れた美濃と唐津ですが、当時、両者の間に技術交流があったという説は正しいかもしれませんね。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大皿・大鉢・壷28 唐津刷毛目平鉢(水盤?)

2022年01月22日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

唐津焼の平鉢です。

水盤かも知れません。

径 25.3㎝、高台径 17.1㎝、高 5.2㎝。江戸時代中-後期。

先のブログで紹介した、発掘品、現川焼茶碗を補修した後、とにかく完品が欲しいと思い(^^;、入手したのがこの品です。

現川焼にこんな大きな品があるのかなあ、というのが素朴な疑問です。

まあ、唐津焼のどこかの窯で焼かれたとするのが妥当でしょう。

刷毛目模様が見事です。

中央の櫛目紋は、よく見ると渦巻きになっています。

白泥で同心円を多数描いたた後、すぐに、内から外に向かって、櫛状のヘラで渦を描いていったと思われます。これは難しい。度胸がいりますね(^.^)

渦の最後に、ヘラを止めた跡が残っています。

外縁の櫛目紋は、右から左へぐるっと一周して、写真上部で止めてあります。模様がキッチリとつながっています。

外側にも同じ櫛目模様。

裏面には、非常に低く(2㎜)幅広い(3.1㎝)高台があります。

この品が、平鉢なのか水盤なのか、判断がつきません。両方を兼ねている?(^.^) 

時代が変わって、昔の品物の多くは不要になりました。その中で、陶磁器は、断捨離で、真っ先にやり玉にあがる品です。特に水盤は、どこにも転がっています。故玩館にも、御先祖様たちが残した巨大な水盤などがドサッとあって、どうしたもんかと、考えアグネスチャンの毎日です(^^;

今さら水盤でもないかと、あらためてこの皿を眺めてみると不思議な事に気が付きました。ブログを書くまで、この品は尺越えの大物だとばかり思っていました。ところが、寸法を測っていみると、25cmしかありません。おかしいと思い、何度測り直しても同じです。中皿ほどの大きさしかないのです。

駆け出しの頃、「良い品は大きく見える」と先輩から教わりました。骨董の見かた第一号。 これによれば、今回の品物は、断捨離をまぬがれそうです(^.^)

一度、この刷毛目唐津に、花を活けてみたいと思います。

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大皿・大鉢・壷27 三島唐津大平鉢

2022年01月18日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

今回は、三島唐津の大鉢です。

径 43.1㎝、高台径 14.8㎝、高 14.1㎝。江戸前期。

どっしりと、存在感のある大鉢です。無疵完品と言ってよい状態です。

唐津焼には日用品から茶道具まで、いろいろな物がありますが、今回の品は大型の雑器です。この様な物が、どうして無疵で伝わったのか、不思議な気がします。古くから大切にされてきたのでしょう。時代や大きさが似た物に、美濃の笠原織部鉢があります。笠原鉢は、ほとんどが発掘品、しかも疵だらけです。この差はどこから生じるのか、謎です(^.^)

この大鉢のウリは、何といってもびっしりと施された象嵌三島模様です。唐津焼のルーツは朝鮮半島にあります。ですから、白い象嵌模様が唐津焼に受けつがれるのは自然です。

 

器の表には、印花でびっしりと模様が施されています。半乾きの器体に小さな印を押して凹の模様をつくり、そこに白泥を入れ、上釉を掛けて焼成されたものです。

白象嵌模様がびっしりと表面を埋めているのですが、くどさやどぎつさは感じられません。全体に柔らかな印象です。和様化した三島手といえるのではないでしょうか。

 

上釉の掛けはずしも、アクセントを添えています。

鉢の中央には、重ね焼きの際にできた大きな目跡が8個ほどついています。一個の大きさが4-5㎝もあります。土塊を置いたのでしょうか。

裏面を見てみます。

釉薬は、上方、三分の一くらいまで、豪快に掛かっています。

がっちりとした高台が、器全体の安定感をもたらしています。

陶工の指跡が残っています。

この品は、巨大な桐箱におさめられていました。表には、「唐津焼大皿 花生用」とあります。

前所有者は、この大平鉢を花生けに使っていたのです。

それならということで、大剣山を据え、アヤメの葉ばかりを、70本生けました(花人、川瀬敏郎さんのマネ(^^;)。我ながら、お主できるな、の出来でした。来訪者は、床の間に出現したアヤメ林にビックリ。この唐津大平鉢は、重量級の生け花を可能にする力をもっているのですね。

ps。この大鉢に花(葉)を生けたのは、20年ほど前です。以来、一度も使っていません。その理由は、大作に挑むには、気力、体力が必要(^.^)

 

 

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする