遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能楽資料19 江戸の小謡集(8)『新版 小うたひ』(写本)

2020年10月28日 | 能楽ー資料

今回の小謡集は、写本『新版 小うたひ 百番 下掛り 全』です。

これまで取り上げてきた小謡集の中では、とりわけ地味な本ですが、ひょっとすると、今後、大化けする品になるかも知れません。その理由は最後に。

 

      『新版 小うたひ 百番 下掛り 全

元版、天保十四(1843)年、書林 南都 中西藤七郎、37丁。 

 

誰かが書写した小謡本です。江戸時代、謡本を一曲まるまる写した物は時々目にしますが、小謡集の写本は稀です。

この小謡集も、先回の『童子小うたひ』と同様、上欄は無く、本文のみです。時代が下がると、教養的な部分は含まれなくなるのでしょうか。おそらく、その流れは以降ずっと続いていているのでしょう。明治以降、現在に至るまで、小謡集のほとんどに、小謡い以外の記述はみられません。

 

謡いの源流の記述に続いて、謡曲本の記号について説明があります。

 

目録には、春夏秋冬雑の順に小謡いが並んでいます。小謡百番目録とある通り、きっちりと百番の小謡いが載っています。過大広告ではありません(^.^)

 

これまで紹介した小謡集と同様、『高砂』から始まります。

先回のブログにならって整理すると、この本の『高砂』の小謡いは、Ⓒ「高砂や・・」を含まない、ⒶⒷ形です。

 

ほとんどの謡本や小謡本が、京都、大阪で出版されたのに対して、この本は、めずらしく、奈良での発行です。

それにしても、最後の頁に書かれた奇妙なものは何でしょうか。絵のようにも書のようにも、妖怪にも見えます(^^;

 

 

この本で、非常に興味深いのは、『鉢の木』です(下写真、最後4行から下々写真、最初1行まで)。

冬 はちの木

松はもとより けふりにて たききとな

るもことハりや きりくべて今と(は?) みかき

もり 衛士のたく火ハおためなり よく

よりてあたり給へや

 

これは、よく知られている謡曲『鉢の木』の小謡いで、「薪の段」と名称がつけられている人気曲です。

謡われているのは、厳寒の雪の中、旅僧に身をやつした北条時頼をあばら家に迎え入れた佐野常世が、暖をとるべく、大切に育ててきた梅、松、桜を切って、燃やす場面です。

松ハもとより烟(けむり)にて。薪となるもことわりや切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火ハおためなりよく寄りてあたり給へや」

先のブログでも取り上げましたが、この詞章が、江戸時代中後期以降、変更されました。

松ハもとより常盤にて。薪となるもことわりや切りくべて今ぞ御垣守。衛士の焚く火ハおためなりよく寄りてあたり給へや」

徳川の松平氏の松を薪にして燃やしてしまうのはいかがかという理由です。

これは、かざし詞といわれるものです。

しかし、このかざし詞がいつから始まったのか、一度に変更されたのか、能楽五座で事情は異なっていたのかなど、わからないことが多くあります。

 

今回の小謡集の『鉢の木』は、変更される前、世阿弥作の原曲通りです。

幕末に近い天保年間に出された本です。この頃には、ほとんどの謡本や小謡集では、変更された謡いを載せています。

その中で、原型のままの謡いを載せた本が出版されていたのです。

 

この出版の謎を、南都、奈良を手掛かりに推察してみます。

奈良は、金剛流発祥の地であり、爾来、同流派は、法隆寺や興福寺をはじめ、奈良の地と深い関係にありました。

観世流から始まった『鉢の木』の変更ですが、他の流派がすぐに同調したなかで、強く抵抗したのが金剛流だと言われています。

金剛流は、江戸時代、独自の謡本を発行しなかったようです。それだけに、いっそう、世阿弥の詞章を大切にしていたのでしょう。

金剛流の影響が強かった奈良だからこそ、このような小謡本が発行できたのではないでしょうか。

 

『鉢の木』の松云々の変更は、能楽のかざし詞の代表です。戦中から戦後にかけて、観世流が元の詞章にもどし、他の流派も続きましたが、宝生流では、現在も変更されたままの歌詞でうたわれています。

能楽史上類まれなこの事件については、手持ちの謡本、資料などをすべて検討して、江戸から明治、現在までの流れを、後のブログにまとめたいと思います。

 

 

 

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能楽資料18 江戸の小謡集(7)童子小うたひ

2020年10月26日 | 能楽ー資料

今回は、寺子屋用の小謡本『童子小うたひ』です。

 

       『童子小うたひ』

書肆  天満屋安兵衛、天保十二(1841)年、15丁。

これまでの小謡本と大さは同じですが、分量は半分ほどです。

38番ほどの小謡いが載っています。

 

見開きは、式三番(右頁)と能面、被り物など(左頁)の図です。

 

 

囃子楽器や小道具の図(右頁)があって、そのあとに小謡いが続きます。

上欄はありません。本文の小謡いのみです。したがって、これまでの小謡本に見られたような、能、謡いの説明やプチ教養的な記事は全くありません。

 

本文は、他の小謡本と同様、高砂から始まります。

小謡いは3つ。

Ⓐ「所は高砂の。尾上の松も年ふりて・・・・それも久しき名所かな」

Ⓑ「四海波静かにて。国もおさまる時津風・・・・君のめぐみぞありがたき」

Ⓒ「高砂やこの浦船に帆をあげて・・・・・・はや住之江に着きにけり」

私の持っている江戸時代の小謡本すべてに、Ⓐ、Ⓑが最初に出てきます。さらにⒸも含め、ⒶⒷⒸと載っているのは、小謡本の約半数です。

 

この『童子小うたい』では、ⒶⒷⒸが出ています。

 

江戸時代後期、全国で寺子屋教育が盛んになり、読み書きそろばんを中心に、歴史や文学、道徳なども教えたといわれています。

謡いは、その中で主要な教材でした。

謡いをうたうだけでなく、謡いの文句を読み書きすれば、謡や能が習得できるだけでなく、読みや書写の勉強にもなるわけです。さらに、能、謡いから発展して、古典文学や歴史までを学ぶことが出来るのです。

小謡本は、寺子屋のテキストとして最適だったのですね。

 

ところで、今回の小謡本『童子小うたひ』は、文字の書体が特徴的です。

 『童子小うたひ』   『泰平小謡萬歳大全』

 

先回の『泰平小謡萬歳大全』と比べてみると、両者の違いが歴然です。

江戸時代、徳川幕府は公用書体に御家流を採用し、寺子屋の手本にも用いられました。

『童子小うたひ』は、さらに文字のうねりが大きく、歌舞伎などに使われる勘亭流に似てますね(^^;

 

それから、童子が学ぶわけですから、男女の仲や妾、遊女などの話はどうかと思うのですが・・

〖ゆや(熊野、湯屋)』や『江口』も、おかまいなしに載っています(^^;

 

最終頁、最後の小謡いは千秋楽です。

これは、独立した曲目ではなく、実は、『高砂』の終章です。

Ⓓ「さすかひなには。悪魔を祓ひ。おさむる手には。寿福をいただき。千秋楽は民を撫で。萬歳楽には命をのぶ。相生の松風 颯々の聲ぞ楽しむ。/\」

この小謡いの「千秋楽は民を撫で」以降の部分は、現在、能の公演が終わった後、附祝言としてうたわれることが多いです。

この部分を、最後に載せている小謡本は、先回の『泰平小謡萬歳大全』があるのみですから、『童子小うたひ』は色々な意味で毛色の変わった小謡集といえるでしょう。

 

『童子小うたひ』を開いていると、寺子屋で大声で小謡いをうたう童子たちの顔が浮かんでくるようです(^.^)

 

 

 

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能楽資料17 江戸の小謡集(6)『泰平小謡萬歳大全』

2020年10月24日 | 能楽ー資料

江戸の小謡集、6冊目『観世流新改正 泰平小謡萬歳大全』です。

 

     『泰平小謡萬歳大全』

文政六(1823)年、山本長兵衛、79丁。

本の大きさは他の小謡集と同じですが、厚さが他の小謡本の2倍以上ある分厚い本です。

 

目録には、190番以上がのっています。三月三日、七夕、菊月、鼓瀧などの現行にはない曲も多く入っています。

通常の四季分類、春之部、夏之部、秋之部、冬之部の外に、祝言部、賀之部、婚礼之部、諸祝言部、追福部、酒宴部がもうけられ、それぞれ十数番がわりあてられています。

このように、謡曲が細かく分類されているのが、この本の特徴です。

たとえば、「高砂」は、春之部、祝言部、婚礼之部、それぞれに、異なる小謡がわりあてられています。なお、春之部、祝言部、婚礼之部のいずれにも、婚礼の席で定番の「高砂や、この浦船に帆をあげて・・・・」の小謡いは載っていません。

 

目録の下側、図の部分を見てみましょう。

能の催しが描かれています。2階にも観客席がある大きな建物です。多分、勧進能の様子でしょう。

 

右下の図は、大きな能の催しの楽屋。プロの能楽師たちが支度をしています。

 

興味深いのは、左下、謡講聞場(うたいこうきゝば)です。

右:謡講諷場(うたいこううたいば)

左:謡講屋楽(うたいこうがくや)

 

謡講聞場では、人々がタバコを吸いながら、障子の向こう側でうたわれている謡いに耳を傾けています。

 

障子の向こう側、謡講諷場では、数人の人たちが謡いをうたっています。

 

謡講楽屋では、出番を待つ人たちが練習をしています。皆、多くの謡本を持参しています。謡本入れの箱には取っ手が付いていて、持ち運びに便利なようにできています。これまで紹介してきたような小謡本では役不足、やはり各曲目全体が載っている正式の謡本が必要なのでしょう。

 

謡講とは、謡いを嗜む人たちが日を決めて集まり、座敷で素謡いをうたって楽しむ会です。江戸時代には、町人の間にまで広がりました。特に京都では盛んで、夕方から、薄暗い蝋燭の燈のもと、障子の向こう側から聞こえてくる謡に耳を傾け、想像力をはたらかせて、謡によって作り出される能の世界を楽しみました。通常の謡いよりも低く小さな声でうたわれたそうです。

現在、京都の観世流能楽師、井上裕久師が、町屋で謡講を試みておられます。

 

他の小謡集と同じく、上欄がもうけられていますが、教養的なものは無く、すべて、能と謡曲に関する事柄です。

右頁上は、能の分類、下は能のつくりもの図です。

小謡は、この小謡集でも。やはり、「高砂」から始まります。

 

能面の色々。

 

小道具のうち、かぶり物。

 

上欄には、能(申楽)の由来が述べられています。

 

【當時四座之事】:上掛かり、観世座、保生座、下掛かり、金春座、金剛座について、紋章、各座の別称、座付狂言師が書かれています。なお、喜多流については、喜多七太夫との名が付けられ、「これハ下がかりにて四座の外なり」と、他の四座と同等には扱われていません。

 

謡本の諸記号の説明。

 

【口中開合之事】あいうえお・・・の発音の仕方を説明しています。この説明は、江戸時代の能、謡曲の解説本のなかによく出てきます。

 

能、謡曲の場面をかなり多くの絵で示しています。

        鉢の木

 

          鞍馬天狗

 

           湯谷(熊野)

 

この小謡本では、狂言は扱われていないのですが、絵だけはかなりの数、挿入されています。

        末広

 

        靭猿

 

この絵は、謡曲の神髄を述べたもの。文は、江戸時代、多くの能、謡曲の本に出てきます。

「おんきょくハ

   たゝ大竹の

    ことくにて

   すくにきょくと

      ふしすくなけれ」

音曲は、大竹のように、節は少なく、まっすぐにうたうものである。

 

次の図は、鼓をうつ人の老境を述べたものです。

「老ぬとハかハる事のミ多き中に

 つゝミを

    はやす

   うたひ

     人も 

      なし」

年をとるといろんな事が変わってしまう。鼓に合わせて謡をうたってくれる人がいないのもその一つだ。謡いがなければ、鼓で囃しようもない。

確かに、この絵の左側の人物は、謡ってはおらず、鼓を聞いているだけのようです。鼓を打つ時には、ヤ、ヤア、ハ、ハアなどの掛け声えを掛けて打つので、自分で謡曲を謡いながら鼓を打つことはできないのです。右側の老人は、何とも様にならないなあ、と思いながら、鼓を打って見せているのでしょう(^^;

この場面に書かれた文章は、『謡花伝書』という珍しい書(秘伝書?)に書かれている部分です。当時、普通の人が知る由もないものです。

 

こんなマニアックなものまで載せている小謡集、奥が深いですね(^.^)

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能楽資料16 江戸の小謡集(5)千歳小謡日出箱

2020年10月22日 | 能楽ー資料

 

百番〇上  千歳小謡日出箱』と題された小謡本です。

 

       『千歳小謡日出箱』

寛政八(1796)年、大阪書林、19丁。

通常の小謡本より薄いです。

 

見開きには、「田村」(右)と「玉乃井」(左)の場面が描かれています。

 

さらに、「竹生嶋」、琵琶湖を渡る場面が載っています。かなり力量のある絵師によるものと思われますが、名前は出ていません。

 

小謡は、やはり、「高砂」から始まっています。

 

この小謡集の最大の特徴は、上欄がすべて教養関係の記事であることです。

まず、【文房四友譜】で、中国の文人趣味、文房四宝(筆墨硯紙)について、かなり詳しく書いています。

左の絵は、竹林七賢人図。

 

 

さらに、当時の習俗も。

若い女性たちが、雛飾りをたのしんでいます。

 

父が子に、生花の説明をしているのでしょうか。

 

夏踊りに興じる男女。

 

プチ教養です。【十二月異名】

いろいろな呼び方があるのですね。

六月だけでも、林鐘(りんしやう)、亢陽(こうやう)、庚伏(かうふく)、季夏(きか)、晩夏(ばんか)、鶉夏(ひゆんか)、夏末(かばつ)。

 

日の別の呼び方、【日異名】。

 

 

【諸人片言なをし】:話し言葉の間違いをただしています。

諸人片言(しよにんかたこと)なをし
人にむかいてわがミといへるハ
我身といふ事にや。然ハ
おのれをいふによき事なるべ
し。人にむかいてハわたゝず。
一.師匠(ししやう)をしゆしやうといひ
  殊勝(しゆせう)なる事をししやうと
  いふわろし。
一.おとうとハ 弟(おとゝ)也
一.げんぶくしやハ 験仏(けんぶつ)者也
一.人くんじよハ 群衆(くんじう)也
一.ずちやうハ  仕丁(してう)也
一.こつちよハ  骨長(こつちやう)也
一.物の長じたるを何にてもこの
  せいらいといへるハ精灵(せいれい)也
一.おのしハ 御主(おぬし)也

 

一.かしきハ   喝食(かつしき)也
一.わかしハ   若衆(わかしふ)也
一.びくにんハ  比丘尼(びくに)也
一.かんのしハ  神(かん)ぬし也
一.たかんじやうハ 鷹匠(たかじやう)也
一.わろハ    童子(わらハ)也
一.あきんどハ  商人(あきうど)也
一.くちびろハ  唇(くちひる)也
一.いひハ    指(ゆひ)也
一.めゝがよいハ 眉(ミめ)也
一.しゆつけハ  湿気(しつけ)也
一.うはしハ   鰯(いわし)也
一.おなぎハ   鰻(うなぎ)也
一.じやこハ   雑喉(ざこ)也
一.たのしハ   田〇〇(たにし)也
一.くしおびハ  串鮑(くしあハび)也)
一.あひるハ   鵜(あいろ)也

 

このように、江戸中後期の世間の様子がわかり、謡いをはなれても、面白い本です。

 

他の小謡本とは異なり、全国の図書館、関連施設などを調べても、この本は出てきません。発行数が少なかったのでしょうか。

その意味では、稀覯本の類に入るかもしれません(^.^)

しかし、・・・

奥付けには、「此小謡百三十番・・・・」とあります。題簽も、『百番〇上 千歳小謡日出箱』。百番以上の小謡がこの本には載っているはずです。

ところが、ざっと数えた所、49番しかありません。

過大広告は、もうこの時代に始まっていたのですね(^^;

 

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能楽資料15 江戸の小謡集(4)『萬葉小謡千秋楽』

2020年10月20日 | 能楽ー資料

江戸の小謡本の4冊目です。

 

    『萬葉小謡千秋楽』

京都書肆 菊屋長兵衛、天明七(1787)年、56丁。

 

挿絵を描いているのは、先回の『観世當流大宝小謡諸祝言』と同じ、京浮世絵師、下河邊拾水です。

本の大きさは他の小謡集と同じですが、厚さが倍近くあるぶ厚い本です。

 

見開きは、おめでたの高砂図。誰かが赤で手彩色を施しています(^^;

 

 

目録を見ると、高砂以下、二百番余もの小謡が載っています。

御裳濯、神有月、護法、鼓瀧など今では演じられない曲も多くあります。

 

目次の下の絵は、能楽に必要な装束や道具を運び入れている様子です。

立派な門の前には門番が立ち、その横には、武士が跪いて一行を迎えています。大名の関係者でしょうか。規模の大きな能楽の会、おそらくは勧進能の場外の場面でしょう。

 

下の図には、楽屋の様子が描かれています。

 

右上は、謡本の記号の説明。

右下は、楽屋の様子。小鼓方の調整と役者の装束付け。

 

この謡本には、やはり上欄が設けられていますが、他の小謡集のようにプチ教養的なものはなく、すべて能、謡いに関したものばかりです。

この頁の上欄は、謡いではなく、語りの部分がのっています。先回の『観世當流大宝小謡諸祝言』と同様、謡いでない所にも重点がおかれています。

 

絵師が挿絵を描いているので、これも見どころです。

           加茂

 

           熊野

 

            道成寺

 

この本では、狂言も扱っています。

        朝比奈

 

          末廣

 

        靱猿

 

そして、この本の最大の特徴は、謡いそのものについての説明が多くなされていることです。

 

何が書かれているのか、少し見てみます。

〇謡とハ、うたうたふといふ
ことにして、すなハち和歌
を吟ずるに等けれバ、仮名
遣をあらため、五音をよ
く弁へしるべし。五音を
しらざれバ常に言もわろし。
    かなづかひをあらためる 
    とハ高祖皇帝の類。五
    音をしれとハ、はひふへ
    ほと唇にあたり、たち
    つてとと舌のさきにか
    けていふべき類なり。
芸をまなハんとこゝろざす
人ハ、まづ正直をもとゝして
すこしの事にも慢ずる心
なくその道に進むべし。す
なをならねばすゑ通らず。
 よろづのみちこれに同じ。
諷をうたふべし。聲をうた
ふハきたなきなり。謡を
うたふとハ、その唱歌の文章
によりて、祝言ならバ其意
をうたひ、哀傷恋慕の
類それ〳〵の情をうたふ
べきことなり 。

これは謡い方の一部ですが、その外、謡いの心構え、学び方、発声の仕方などが書かれています。

現在の能や謡曲関係の本では、こういった記述はほとんどありません。当時の人々の謡いに対する思いが反映されていると考えると興味深いです。

 

 

 

 

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