遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

大皿6 古伊万里牡丹虫紋大皿

2020年06月30日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

今回は、江戸後期の古伊万里大皿です。

牡丹の花が大きく描かれています。

径 28.6㎝、高 4.9㎝、高台径 16.7㎝。江戸時代後期。

 

 

 

満開の牡丹が、雲をたなびかせて、波間をぐんぐん進んでいるかのようです。

名付けて、牡丹船。

 

ふくやかな蕾。

 

満開の花。

 

これは虫でしょうか。

UFOにも見えますね。

その下には、UFOから飛び立った小型機。

 

牡丹船の周りにも、UFO小型機が飛び回っている!?

 

実はこの皿を持っていた憶えがなく、大皿をさがしに棚の奥をごそごそやっていて見つけました。

伊万里に特に関心があったわけでないので、購入した記憶もないけれど ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はたと気が付きました。実はこの皿、拾い物です。しかも私ではなく、つれ合いさん(^.^)

ずっと以前は、粗大ごみを出す日が決まっていて、早朝には、置き場所が山のようになっていました。プロの業者が巡回して、それらしい品を車に積んでいく光景は、いつも通り。たまたま傍を通りかかったつれ合いさん、おや!ということで、家へ持ち帰り、「これ、古いもの?」と、汚れた皿を私に見せるではありませんか。「おお、伊万里だがや」と岐阜弁で答える私。

そんな訳で、この大皿がここにあるのです。

後期の伊万里とはいえ、無疵。絵柄もなかなかしゃれています。 

せっかく日の目をみたのですから、しばらく展示しておきます(^.^)

 

 

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大皿5 馬の目皿異聞:穴どれない馬の目小皿

2020年06月28日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

先回は、馬の目の大皿を紹介しましたが、今回は、馬の目小皿です。

  径 19.0㎝、高 3.5㎝、高台径 10.9㎝  明治、大正頃

馬の目皿は、庶民の日用で使われた雑器中の雑器です。多量の皿が焼かれましたが、煮しめなどを盛るのに最適な大きさ(27㎝位)の物がほとんどです。

先回のブログで紹介しました、35~36㎝位の皿が最大です。これ以上大きくなると、使い勝手が悪くなるのでしょう。

では、小さい馬の目皿はどうでしょうか。標準の大さから小さくなるにつれ、その数は急速に減ります。逆に、お値段は上がってきます。稀少価値ですね(^.^)

そして、この業界の常、贋物が多くなります。

骨董市などでは、15㎝ほどのかわいい馬の目皿を売っています。でもこれはダメ。馬の目の書き方がたどたどしい。皿は薄造りで奢、高台は無しか、ほんの義理で付けたもの。まるで銘々皿です。とても庶民の日用品ではありません。

 

一体どれ位が下限?

これは誰にもわかりません。

 

今回の品は、ずいぶん昔、偶然、行きつけの民芸品を得意とする骨董屋で見つけたものです。

『いくら?』・・・・・・・『えーっ、そんなにするの』

亭主曰く・・・・・・・・・『珍品だから』

コピー品にありがちなチビタ馬の目ではなく、筆が走っています。

 

裏側を見ても、そこそこの古格があります。高台のつくりもがっちりとした日用品・・・・・ま、ヨシとするか(^.^)

 

ん? 2つ前の写真、左の目跡らしきもの、向こう側が透けているような気がします。

 

裏からよく見ると、確かに穴があいています。しかも、慎重に開けられた丸い穴です。

 

テーブルの上に置いてみると・・・

おおー、あどけない少女の顔が浮かんでくるではありませんか(右方の目が開けられた穴)。

前の所有者がこれを狙って穴をあけたとすると、相当の変わり者、なんとなく親近感を感じますね(^^;)

骨董屋の親爺の言った珍品とは、馬の目皿の小ささではなく、この穴のことだったんでしょうか。

本当は大疵物なんでしょうが、皿も親爺も、あな(穴)どれません(^.^)

 

前回の大皿と比べてみると、親子以上、大きさが違います。

 

いっそ、合体してしまえば・・・・・・・・世にも稀なる二重馬の目大皿。

これで、大皿をもう一枚稼げました(^_^)

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大皿4 馬の目大皿

2020年06月26日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

瀬戸で焼かれた馬の目皿です。

日用品として大量に焼かれた民芸陶器の代表です。

見込みの外周いっぱいに、渦巻き文(通称、馬の目)が力強く描かれています。

   径 35.2㎝、高 6.8㎝、高台径 16.9㎝。 江戸後期~明治。

皿の大きさに従って、馬の目の数は、5,6,7個と変わります。

27㎝ほどの馬の目皿(馬の目数、6個)が一番多く、それより大きい皿や小さい皿はグッと数が減ります。

馬の目皿は、36㎝位が最大と言われていますので、今回の馬の目皿はかなりの大皿といってよいでしょう。

裏側はなぜか真黒・・・・さては、偽物屋が時代付けをしたか、と頭に血が昇りました(この経験は、一度ならず(^^;) が、こすっても洗ってもとれません。よかった(^.^)

 

煮しめなどを盛った実用品ですから、がっちりとした造りです。ただ、同時期に作られた石皿に比べると、強さは劣ります。

縁には、ほとんどの皿で、このようなソゲがあります。偽物やごくまれにある未使用品は、このかぎりではありません(^^;

焼きが少し柔らかいのと石皿の縁にある頑丈なツバがないためです。そのため馬の目皿では、外周を鉄釉で塗りこめていますが、さほど効果はないようです。

 

これ以上単純な模様はないほどの品ですが、柳宗悦の言う陶工の無心の美が、馬の目皿の身上です。

毎日、馬の目模様を何百枚と描いているうちに、人の作為を越えた美がうまれるというのです。

確かに、素早い筆の走りからほとばしる躍動感は、真似ようとして真似できるものではありませんせん。ですから、真贋は簡単に見分けられます。

ただ、時に書き損じて、変な馬の目になったり、筆から鉄釉が見込みに落ちたり、ペケ印などをお遊びで入れたりしたイレギュラー馬の目皿は、珍品として、数倍~数十倍の値がつきます。こんな物をありがたがるコレクター心理とは、妙なものですね(^.^)

目跡も、きちんと7個+α?

 

馬の目と目跡しかない皿のどこがおもしろい?

 

中心からぐるぐると一気に描かれた目。何か奇っ怪な生き物がこちらを見つめているではありませんか。

 

目跡の方に視線を移し、じっと見つめれば、人のよさそうなお狐さん、それとも昔飼っていたポチの顔?(^.^)

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大皿3 黒船文明開化伊万里大皿

2020年06月24日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

異人南蛮船が描かれた伊万里大皿です。

染付で皿全面が埋められ、ところどころに、赤と薄緑で彩色されています。

径 53.2㎝、高 10.3㎝、高台 33.0㎝。 明治初期。

裏面は、非常にあっさりしています。

 

唐草模様もこれ以上簡略化できないほど。

 

この大皿の売りは、何といっても南蛮船(黒船)です。

 

 

いろんな装飾がなされた南蛮船です。

船の向こう側に、島並や他の船のマストが見えているのでしょうか。

 

キセルをくわえた異人が、デッキに一人。

 

 

 

青海波の海に浮かぶ船体の模様は、どこか和様の雰囲気があります。

 

もう一つの特徴は、『明治元年文明開化』の文字です。

したがってこの大皿は、いわゆる文明開化もののひとつです。

ただ、多くの文明開化皿が鮮やかなベロ藍を用いているのに対して、この皿の染付は、従来の呉須を使用していて、文明開化皿の中でも、かなり早い時期の物であることがわかります。

 

ほぼ同手の品が、本に載っています。

この本では、皿の制作年代を推定しています。それによると、文明開化という言葉が一般的になったのは福沢諭吉の『西洋事情』が発行された慶応3年、ワグネルが洋呉須を用いたのが明治3年なので、慶応3年~明治3年に作られた伊万里大皿だとしています。

ですから、私の皿は、明治元年~3年にかけての品という事になります。(ベロ藍は高価だったので、明治3年以降も従来の呉須は使われていたと思いますが(^^;)。まあ、いずれにしても、明治初期の作られた伊万里焼大皿であることは間違いないでしょう。

 

それにしても、文明開化皿は重い!

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大皿2 武者合戦図九谷大皿

2020年06月22日 | 古陶磁ー大皿・大鉢・壷

九谷焼の大皿です。いわゆる明治九谷です。

武将が二人、描かれています。

径 35.6㎝、高 6.5㎝、高台径 21.2㎝。明治時代。

 

裏の唐草模様は、江戸時代のものと趣が異なります。

銘も、明治期に特徴的な書き方です。

 

この皿の特徴は、何といっても絵付けです。

 

二人の武将が描かれています。

合戦の最中です。矢が飛んで来ています。

槍をもった武将が、相手を倒したところです。

槍で体を支え、相手を踏んずけています。

 

 

勝者のはずですが・・・・・

 

 

沈んだ表情です。

 

兜は失われ、肩には、折れた矢が刺さっています。矢が刺さったまま奮闘したのでしょう。

 

初老の男は、何を思っているのでしょうか。

 

武具なども、非常に精細にえがかれています。

 

この皿は、負けた方の男にも特徴があります。

勝者と同じくらい、精緻に描かれているのです。

 

まだ生きているのでしょうか。足の描写がリアルです。

 

 

 

よく見ると、足指の爪には白釉を塗っています。

曽我蕭白を思わせるような描き方です。

 

九谷焼は、明治に入って大きく発展しました。その特徴は、色絵付けです。色釉を縦横に駆使して、華やかな陶磁器を大量に生産しました。輸出向けの製品も多くありました。

大量に焼かれた明治の九谷焼ですが、現在の評価はあまり高いとはいえません。通俗的な画題が多く、明治という時代が遠ざかるにつれ、かえり見られることも少なくなりました。

そんな中で、今回の品は異質です。あの明治の華やかな雰囲気が微塵も感じられないのです。輸出には向いていません。では、国内向け?

描かれているは、何かの物語の一場面でしょうか。

組み敷かれているのが若者のようにも見えます。だとすると、熊谷直実が平敦盛を討ち取った場面でしょうか?

絵画はもちろん、陶磁器にも、このような描き方の合戦絵は見たことがありません。戦いにおける人間描写が見事です。

もしやと思い、5枚目の写真を、180度回転して見ました。

見事に立場が逆転しました(皿の向きを変えても同じ(^^;)。

戊辰戦争など維新動乱の記憶がまだ生々しかった時期に作られたこの皿は、戦いには勝者も敗者もない、ただ悲惨な現実があるだけだと語りかけているようです。

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