遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

巣籠りの効用6 書画落款印譜集の整理

2020年11月29日 | コロナに負けるな

先回に続いて、骨董関係資料の整理です。

作者の落款や印譜を集めたもので、古い書画などを鑑定するとき、ぜひとも必要となります。

 

新旧とりまぜて、いろいろあります。

 

巷の骨董屋さんの店先に置いてあるのが、このタイプ。

荒木矩編『大日本書画名家大鑑』昭和50年、第一書房

ものすごく分厚い本が3巻。

多数の作者の落款、花押、印譜などが載っています。

問題は、印譜などが必ずしも正確でないことです(^^;

 

上の写真のなかでは、一番古い本で、祖父の使っていた物。

古筆了悦、狩野素川『本朝 画家落款印譜』大倉書店、明治27年

 

和紙に木版印刷です。

個々の作者の印譜の種類が少なすぎます。

が、メジャーでない人の印譜もあるので、役に立つこともあります。

 

次も祖父の物です。

杉原子幸『日本 書画落款印譜』松山堂書店、大正4年

 

上の物と同様の印譜集ですが5巻ですから、かなりの数の印譜が載っています。

これは、時々使います。

 

この様に、落款印譜集は様々ですが、

私がもっぱら使っているのは、これ。

井上方外、狩野亮吉『書画 落款印譜大全』武侠社、昭和6年

 

外箱から取り出すと、

使い過ぎて、ボロボロです。

表紙はどこかへ行ってしまいました。

 

 

 

池大雅の妻、玉瀾も載っています。

 

この本の最大の特徴は、落款や印譜が、すべて現物からの写真だということです。

この手の本に載っている落款や印譜は、現在でも印刷が普通ですから、この本は、画期的なものです。

膨大な資料を収集し、写真にとるのは大変な仕事です。

 

ただ、これほどの本でも、うーんと首を傾げる点があります。

現在、人気沸騰中の伊藤若冲ですが、彼の墨絵に最も一般的な藤汝鈞印と若冲居士印が載っていません。

特に、若冲居士の丸印は、3時、9時過ぎの位置に欠けがあり、後期若冲の水墨画鑑定の際に有力な手がかりとなります。どうして載っていないのか、わかりません。

いくつかの要望点はあるのですが、今の所、これ以上の落款、印譜集はないと思います。

昨今、各地の美術館で企画展がもたれると、たいてい、図録が編まれ発行されます。図録に落款や印譜が収録されている場合、出展品の写真によることが普通になっています。

このように、井上方外、狩野亮吉『書画 落款印譜大全』は、現在の美術展資料の方向性を先取りした、画期的な物であったのです。

 

なお、狩野亮吉は、江戸の思想家、安藤昌益を発掘した明治の学者として知られています。京都帝国大学総長を退いた後は、東北帝国大学総長に推されたり、皇太子(後の昭和天皇)の教育掛に推されたりしましたが、自分は危険人物であるとして、頑なに固辞しました。漱石の友人でありながら、「書画鑑定並びに著述業」により生計をたて、毎日、自分の性器をながめながら、春画研究に没頭したといいます。

京大変人列伝を書くならば、まず最初に来るべき人物だと思います。

明治の学者は偉大ですね(^.^)

 

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巣籠りの効用5 鑑定本の整理

2020年11月27日 | コロナに負けるな

ガラクタ骨董の整理の前に、何とかしろと迫られているのが骨董関係の本の処分です。

言い訳になりますが、こういう本は隅から隅までじっくりと読むものはすくなく、必要に応じてパラパラとめくるものがほとんどです。

ですから、しっかりと読んで読後感想などという事にはならないのです。

でも、そうも言っておれないので、さしあたって、似たような本を集めてみることにしました。

 

古美術の真贋や鑑定に関する本です。

幅の非常に広い世界ですから、本当は、多ジャンルの中のある分野や品に限った本や図録の方が、鑑定眼を養うにはよいのですが、上のような本も、それなりに面白いです。

結構たくさんあります。

 

これはご愛嬌。

今までに、一個だけ硯を買ったことがありますが、この世界は深すぎます(^^;

 

別の本の拍子です。

下から上へ見ていくと・・

 

富岡鉄斎、左が真、右が贋でした。

 

雑誌『太陽』N0.191、1979年2月号

 

 

さすがに『太陽』、執筆陣がはんぱでない(^.^)

 

いくつかの名品の真物、贋物が出てきます。

長澤芦雪「エビの図」、左が真。

 

富岡鉄斎「竹林銷夏図」、左が真。

 

竹久夢二、「青春譜」、下が真。

こういうのを見ていると、わずかな自信もガラガラと崩れてゆきますね(^.^)

 

私の持っている鑑定本の中で、一番古いのがこれ。

明治28年の本です。陶磁器、古銅、彫刻の鑑定が載っています。

 

当時でも、肥前伊万里が最初に来ていますね(^.^)

 

他の本も、もう少し詳しく読んで、適宜ブログで報告します。

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竹花入れ①花器の整理

2020年11月26日 | 花道具

コロナ禍のおかげで、普段は取りかかる気がしないことでも、やってみようかという気がおこる場合があります。

その一つが、花道具の整理です。

私のガラクタではありません(^^;

祖父の品です。私が小さい頃に亡くなって、その後70年間、ずっとほうってありました。

花を本格的にいける者は誰もいないので、何だか訳ありそうでなさそうな物が山のように残って・・・・それをかき分けながら、ほんの少しだけ整理をしました。

 

 幅 28.4㎝、高 37.5㎝、重 4.6㎏。

 

 

 

 

 

銅版が貼ってあり、中に木製の花止めが入っているので、これは間違いなく花器ですね。

 

あらためて見てみると、

なかなかの造形美。

 

 

 

割れもダイナミック。

 

表面は意外になめらかです。

 

所々に瘤も。

 

底を見ると、中は空洞です。

どうやら、素材は竹のようです。

 

切り口を見ると、年輪は無く、ボツボツと小穴があいています。

やはり、竹ですね。

ものすごく大きな竹です。

この部分で、5㎝以上の厚さがあります。

相当枯れているのに、重いはずですね。

 

もうひと踏ん張りして、この花器に冬の花でも入れてみましょうか・・・でも、ちょっと自信が(^.^)

 

 

 

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巣籠りの効用3 正徳元年の大錫鉢、共箱で発見(金工23))

2020年11月23日 | コロナに負けるな

先のブログで、行方が知れなかった長崎螺鈿の入っていた大箱を発見した事を報告しました。

その時、足元に汚れた大箱がもう一つありました。

おお、ひょっとしてこれは・・・・・・

 

相当に古い箱です。

 

箱はボロボロ、字がかなり薄くなっています。

正徳元歳  鼠〇〇
鈴鉢壱入  五〇伊
 卯ノ極月吉日

 

此鈴鉢松之助家より被下候
松之助伊右衛門孫也
 
この鈴(錫)鉢は。正徳元(1711)年四月、松之助家よりいただいたとあります。
松之助は、伊右衛門の孫ということでしょうか。

中には、錫の大鉢が入っています。

この品は、20年ほど前に入手したのですが、例によって、一度ちらっと見ただけで、以後、他のガラクタの中に埋もれていた物です。

金工シリーズのブログを書こうと品物を物色していた時、錫の鉢があったのを思い出し、かなり探したのですが見つかりませんでした。それが、何でもない所に転がっていたのを、今回、発見したわけです(^^;

 

正徳年号は、故玩館にある品の箱書きの中で、3番目に古いものです。

また、古い錫製品で、江戸の年代がわかる品は少ないと思います。

 

『錫大鉢』 径 31.0 x 高 11.2㎝、2.0㎏。 正徳元年。

 

裏底には、「御錫屋 天下一 美作守」の銘があります。

 

「大坂の錫器製造は、後述するように錫屋の老舗として近代に一世を風靡した「錫半」の初代半兵衛が、京都の「天下一美作守」を称する錫師に師事し、正徳 4 年(1714)に心斎橋北で開業したと伝えることから、同時期に京都の流れをくむ職人が大坂で営業したのが始まりとする説がある 」大阪の伝統工芸 ―茶湯釜と大阪浪華錫器―、関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センター、平成20年

「御錫屋 天下一 美作守」は、京都の錫製造屋で、大阪が錫器生産の中心地となる前の江戸時代前中期、京都の錫屋が日本の錫器生産を担っていたようです。

大阪、初代半兵衛が「天下一美作守」の下で修行し、「錫半」を興したのは、丁度、この錫大鉢ができたころだったのですね。

「御錫屋 天下一 美作守」の錫器は、ほとんどが大型の茶壷や瓶子で、今回の品のような鉢は少ないと思います。

 

桜の透かし模様が生きていますね。

桜の花びらが3枚、枝桜が3種、ぐるっと配されています。

 

 

 

 

高級品だった錫大鉢には、このような繊細な細工が施され、各部の仕上げも丁寧になされています。

 

ところが、3本の脚の内側は粗削りのまま。

落差がおおきいですね(^^;

 

また、見込みの部分を拡大して見ると

写真のまん中付近に、2個続いた小穴(1mm位)が見えます。

他にも小孔がいくつかあります。

これは明らかに腐食による孔です。

物の本には、酸化錫の被膜が表面を覆うので、錫は、腐食しないとあります。しかし、300年も経つと、厚い(4㎜ほど)錫にも穴があくのです。

 

この錫大鉢の特色は、瀟洒な繰り抜き桜模様です。桜模様には、花弁の無いものがいくつかあります。よく見てみると、元々は他の花びらと同じだったのですが、中の細い線が切れてなくなっているのです。

柔らかな錫ですから、細線の部分が毀れやすいのでしょう。

ということは、この鉢はかなり使い込まれた可能性が高い。見込みの小穴も、頻繁に使用されて腐食が加速されたと考えれば納得できます。

 

では、錫の大鉢は何に使われたのでしょうか。

ヒントは、以前のブログにありました。

江戸の小謡集『拾遺小諷小舞揃』(元文2(1737)年)の上欄、プチ教養に、食の作法が載っていて、その中に「瓜の包丁の事」があります。

瓜の包丁の事
うりむきやう
一 いまだはじめの時ハ、わりて
錫の鉢に入、涼して参らする也。
大ならバ皮をむくべし。わり様
大小によるべし。

 

包丁で皮をむいている若者の傍らには、今回の品と似た錫鉢が置いてあるではないですか。

江戸時代、錫鉢は、果物入れに使われていたのです。

地味な肌合いの錫鉢は、果物と相性が良いのですね。

例年、畑に数種類の瓜を作っているのですが、来年は、江戸時代、地元の名産品であった真桑瓜を栽培し、この錫大鉢にのせてみます。

剥かぬ瓜の皮算用(^.^)

 

 

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巣籠りの効用2 古文書でジグソーパズル 写本 伊勢貞丈『婚礼法式』

2020年11月21日 | コロナに負けるな

コロナが始まってからずっとやっていたことがあります。

古文書の整理です。

特に手間どったのがこれ。

160丁ほどの大部の写本です。右側に穴をあけ、紙縒りでとめてありました。

ところが、綴じてある順番が全くデタラメなのです。

頁番号はどこにもふってありません。

目次も無し。

もう、地道に、繋がった文を捜しだして、頁をつなげていくという作業を繰り返すしかありません。

これは、160ピースのジグソーパズルを解くようなものです(^^;

 

こんな感じです。

 

ところが、左頁として綴じてあったこの紙は・・・

本来は、反対の左側に穴があって、右頁にくるべきものであったのです。

裏返せば、前頁(左頁)となります。

 

『婚礼法式』とあり、この写本の最初の頁であることがわかりました。

 

こんな感じで、全体の三分の一ほどが、反対側に穴があけて綴じてありました(^^;

 

おまけに、全然関係のない、別の写本も紛れ込んでいました。

『銃備略叙』嘉永年の写本です。が、4丁のみ。

 

このように滅茶苦茶な写本の綴りを、少しずつ処理をして、最終的に、12のブロックにまとめました。

ここまでで、4か月ほどかかってしまいました(^^;

問題はここから先です。

最初と最後の部分は、すぐにわかりました。

しかし、他のブロックは、互いの前後関係が全くわかりません。どのようにも組み合すことが出来るのです(^^;

作業は、ここで完全に行き止まりました。

ヤレヤレ、4か月をムダに費やしたのか・・・・・

 

そうだ、苦しい時のネット頼み。

なんと、国会図書館デジタルに『婚礼法式』があるではないですか。

あとはもう、鼻歌まじり(^.^)

 

伊勢貞丈『婚礼法式』明和2年

 

上流階級の婚礼法について、多くの図をまじえ、非常に詳細に記述された物です。その一部を紹介します。

 

「たのミの部」から始まります。

「たのみ」とは、結納に相当する儀式。

 

座敷違棚の置物。

 

雉と鯉の置き方。大草流。

 

銚子とひさげ。

 

銚子、ひさげに付ける折形、蝶。

 

貝桶の図。

 

手箱紐の結び方。

 

「夜具の部」、こしまきの図。「とのい物」「おんそ」とも言うと記されています。

 

明和2年に、伊勢平蔵貞丈が著した『婚礼法式』の写本であることがわかります。

なお、最後の頁は、国会図書館の『婚礼法式』にはありません。

 

ところが、東博デジタルコレクションに、この最後の頁が付加した写本がありました。

   東京国立博物館デジタルコレクションより

 

寛政八年と十二年の違いがありますが、『婚礼法式』の本体部分も含め、故玩館と東博の品は、ほぼ同じです。

 

私のジグソーパズルで完成した写本と東博デジタルコレクションは、いずれも、伊勢万助貞春が、伊勢貞丈『婚礼法式』を写して、人に与えるためのものだと思われます。

東博デジタルコレクションの写本はその雛形で、相手の名が入っていません。

一方、故玩館の写本は、伊勢万助が、伊勢貞丈『婚礼法式』を写して、伊勢流礼法家、土井主税に与えた物です。

 

室町時代、将軍の命を受けて発足した伊勢、今川、小笠原の礼法は、江戸時代に入って急速に発達しました。各流派、特に小笠原流の興隆とともに、礼法を教授する礼法家が多数生まれ、混乱も生じました。

その中にあって、江戸中期、伊勢流礼法家、伊勢貞丈は、多数の文献を渉猟して、考証を重ね、礼法を根本的にまとめ直しました。博覧強記の彼の研究は、武家制度、典章、弓馬、武器武具、服飾、婚礼などの諸分野に及び、300以上の書を著したと言われています。

伊勢貞丈は伊勢流中興の祖であるのみならず、日本の礼法を語る時、筆頭にくる人物です。『貞丈雑記』『包結記』『安斎随筆』『安斎雑考』『安斎小説』『武器考証』などが有名で、そのうちのいくつかは、近年、再刊され、読むことができます。

 

伊勢万助貞春(宝暦十―文化九(1760-1813)年)は、伊勢貞丈の孫(養子の子)、土井主税は伊勢流の礼法家です。伊勢万助は、伊勢貞丈の著作の普及に努めました。

 

折形など礼法関係の資料は、故玩館コレクションの一つです。いずれ、まとめて紹介します(^.^)

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