遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

泥棒はどっち?高札

2019年02月27日 | 高札
泥棒はどっち?高札






 

























 
 小さな板(約40x30㎝)が、一本の棒(長さ70㎝、巾4㎝、厚さ1.2㎝)に取り付けられています。この棒を地面に突き立てて、警告札として用いたのでしょう。
 いかにも、時代劇に出てきそうな雰囲気で、典型的な高札だなと思う人も多いと思います。
 しかし、江戸時代、高札は、地面に挿すのではなく、村々に設置された高札場に掲げるのが常でした。その理由は、目線より高く掲げて、多くの人が読めるようにすること、また、高い位置に掲げて権威付けをする必要があったからです。それに、高札板は一般に堅く重いので、棒一本で支えるには無理があります。

 しかし、この高札は、例外的に、地面に突き刺して用いられた物です。棒も板もオリジナル。かなりボロボロですが、原型を保っています。
 厚さ1㎝の薄い板にもかかわらずほぞを彫り、この棒を蟻仕口で嵌め込んであります。挿し棒が、裏木の役目も果たしているのです。その効果は絶大で、板木は大きく2つに割れ、隙間が1㎝以上開いていますが、バラバラにはなっていません。



                         
              一此柿一切取申間
               敷候、若手出し候者
              有之候ハバ、直様番人
               相渡し申候、此段相心得
               可申候以上
                   天保八年
                   酉八月日 


          
一この柿を、一切とってはならない。
 もし、手出しする者があれば、
 直ちに番人に渡す。
 このことをよく心得ておくように、以上。
   天保八年
       酉八月日 


 表題と年月日を書いて、高札の体裁を整えてはいるものの、発給主体が書かれていません。内容からしても、まったく私的な札です。柿畑の所有者が書き、立てたに違いありません。
 しかし、柿を盗もうとする人間が、この札を読むでしょうか。

 例によって、横から強力ライトをあて、木札の表面をよく見ると、あちこちにわずかに浮き彫りなった部分があります。下に何かが書かれていた痕跡が・・・・・・・・・。







 この板は、以前、別の目的で使われていたのです。
「覚」の墨書きの下には、「定」の文字が浮き出ていて、
発給者の位置に、かすかに「南方村」と読める部分があります。
 しかも、柿盗人に対する警告文よりも、由緒正しい書体で書かれています。
 下に書かれていたのが、本来の高札で、柿の木の所有者は、それを寸借して、柿盗人に対する警告札をつくり、自分の畑に立てたと推測されるのです。

 泥棒はどっち?
 柿盗人警告の表題が、恒久法の「定」ではなく、一時的なきまりである「覚」となっているのは、せめてもの良心でしょうか。

小さな、みすぼらしい高札。
珍品中の珍品、笑えます。
これだから、ガラクタ漁り病から抜けられません。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堀川環境保護(塵芥捨等禁止)高札

2019年02月26日 | 高札
堀川環境保護(塵芥捨等禁止)高札

 ゴミ捨て禁止、釘拾い禁止の札です。
 珍品です。

 巾60cm、厚さ3cm、重さ2.7kg。堅固な造りですが、真ん中で割れていて、今にもバラバラになりそうです。やむなく、裏から、鎹で止めました。陶磁器では無理ですが、木ならできる(笑)。
 高札場以外の所に掲げてあったのでしょう。三カ所、穴があいています。釘で打ち付けて、固定したと思われます。
 屋根がついていないせいか、風化がすすんでいます。墨書は残っていません。
 例によって、横から強力ライトをあてて、何とか解読できました。



                        一御触書之通
                  此川筋塵芥
                  捨累遍可ら須
                  一釘飛らひ裳
                  不可入候事
 
                上立売通小川南入
                         堀之上町 

           裏面:  天保十四年
                    卯月五月  建之

 
 一、御触書の通り
   この川筋に
   塵芥を捨てるべからず
  一、釘拾いにも
   入るべからず
 上立売通小川南入
        堀之上町 
  天保十四年
       卯月五月 建之

 
 この札は、幕府や藩の出す高札ではありません。かといって、全くの私的高札でもない。
 発給主体は、「上立売小川南入 堀之上町」です。この町は、今も、京都市内を南北に走る堀川通りに沿った所にあります。現在の堀川は小さな水路や暗渠にすぎず、水もほとんど流れてませんが、江戸時代は、巾8丈(24m)の河川で、木材などの船運が盛んでした。
 この高札から、江戸後期、町中の川は、現代と同じような問題を抱えていたことがわかります。

  「御触書にあるとおり、この川筋にゴミをすてるな。釘拾いにも川へ入るな」
 
  昔から、川は、安易なごみすて場だったんですね。
 また、江戸時代、鉄は貴重品で、釘を拾えば金になった。火事の焼跡は釘拾いの人間でいっぱいだったと言われています。川に入って川底をかきまわして、釘をさがす者も多かったのでしょう。火事場に行かなくても、釘が拾えるのですから。

  このような行為を戒めるため、堀川筋には、何度も触書(町触)が出されました。それでも、不届者があとをたたないので、このような高札を出したのでしょう。河川環境保護のさきがけですね。
 京都町衆の自衛、自治精神の発露というべきでしょうか。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

贋金取締り高札

2019年02月25日 | 高札
贋金銀取締り高札


   今回は、贋金造りを取り締まる高札。
 江戸中期はありそうな、古びた高札で、上部は虫喰いが激しく、屋根の片方は失われています。
 長さ60cm、重さ1kg強。裏側は、蟻仕口で2本の木で補強されています。



            似せ金銀銭拵ひ候もの候幷売
         捌候もの難為御制禁、近年
         奥羽筋ハ専ら行候もの有之に付
         今度吟味之上、夫々被遂厳科候
         就而は右両国は勿論、国々厳敷
         可被遂御穿鑿候条、銘々無油断
         相改、自然疑敷もの有之は、早々
         其筋へ可申出、品々に寄御褒美
         被下、其ものより仇をなさゞる様
         可被仰付候、若見聞におよび
         隠置他所より顕るゝにおゐてハ
         其所之もの迄も罪科に可被行候
            六月
  
         右之趣従公儀被仰出、之迄彌
         領内之輩此旨堅可相守之者也
                                式部少輔

  贋金をつくる者やそれを売りさばく者は、御禁制破りである。近年、奥羽筋には専らこれを行う者がいるので、この度、調べ上げ、それぞれ、厳しく罪を問うことになった。ついては、右の二カ国はもちろん、国々を、厳しく調査する。銘々、油断なく調べ、疑わしい者がいるなら、すぐに関係役所へ通報せよ。その内容により褒美を与える。また、その者が恨みに思って仕返しをしないように申し付ける。もし、見聞きしながら匿って、他から露見した場合、その所の者までも、罪に問われるであろう。
       六月
  右の趣意は公儀に従って仰せ出された。この旨を、領内の者共は、堅く守るべきものである。
                                         式部少輔

右の二カ国(奥羽筋)とは、常陸国と出羽国。
榊原式部少輔は、江戸前期の老中。

 
 江戸時代には、早くから、贋金造りが横行していたようです。貨幣の信頼性が低下すれば、幕府の根幹がゆるぎかねないので、贋金造りやその流通を厳しく取り締まり、贋金造りには極刑が科せられました。
 この高札は、贋金取締りの元になるものですが、なぜか、江戸幕府の法令集、御触書集成には載っていません。

 厳しい取締りにもかかわらず、江戸時代を通じて、贋金は流通していました。
 そんな中で、この高札と、ほぼ同じ文面の通達が、幕末に、仙台藩に対して出されています。


               似せ金銀銭拵ひ候もの候幷売
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         其所之もの迄も罪科に可被行候
              六月

        右之通可被相触候

 右書付水野越前守殿御渡被成候間、大目付衆御廻状到来之段、公儀使相達江戸より申来候間、此旨何れも屹度可相心得候。若等閑に成至、後日に願候はば曲事可被仰付条、向々へは不及申御城下検断肝入等在々は村役付等自今厚遂穿鑿、疑敷者有之候はば速に召捕候様、御城下在々共如兼ねて相触候様可有之候 以上
 天保十三年八月十七日 豊前 對馬 監物 大蔵


 主な文面は、高札と同じですが、最後の段落の部分、右書付・・・以下が大幅に付け加えられています。
「老中、水野越前守(忠邦)から大目付経由で公儀の使者が、江戸から仙台へ、この書き付けを持ってきた。すぐに各所に回し周知徹底せよ。疑わしい者がいたら直ちに召し捕れ。」とあります。
 
 江戸後期には、各藩の財政事情が極めて厳しくなり、秘かに贋金造りをする藩もあったようです。
 天保13年は、天保の改革のまっ最中。綱紀粛正の名のもと、厳格な統制を全国規模で行った時期です。贋金造りの本場、奥州がまず狙われたのでしょう。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虚無僧取り締まり高札

2019年02月24日 | 高札
虚無僧取り締まり高札

 この高札、前の盗賊自衛高札と作りが似ています。やや、簡易な造り。やはり、回覧板的に使った物でしょう。
 幅60cm、厚さ2cm、重さ2kg。



 裏面はこんな具合。


 虫食い、風化が」進んでいます。真っ二つの割れる寸前です。上には、当時の吊り金具がそのままに。

 裏木で縦に嵌め込み式に補強してあるので、辛うじて形をたもっています。表からは見えませんが、高札板は、このように当初から補強してある物が全体の半数ほどあります。
 今回の高札の補強は非常に珍しいもので、手の込んだ細工になっています。蟻仕口で取り付けた裏木は、工芸品に施されるような象嵌細工になっているのです。その結果、板札の裏面は、完全に平坦で、裏木の存在を感じさせないほど。また、裏木は左右に2本付けるのが普通ですが、この高札は、中央に1本の裏木だけで補強されています。


 板表面の風化がすすみ、墨書は消えていて、文面は判読できません。
でも、横からライトを当てると、


文字が浮び上ってきます。
もっと、ライトを強力にすると、

これなら読めます。墨で書かれた所は、風化が抑えられ、その結果、文字が浮き彫りのようなって残るのです。赤外線写真もやってみましたが、素人にはとても無理。この方法が一番です。

           近年村々江虚無僧修行之躰二而參り、
        百姓共江祢たりケ間敷儀申掛、或ハ
        旅宿を申付様、村役人なとへ申候故、宿取
        遣候得ハ、麁宅二而止宿離成由を申、
        あハれ、其場ニ居合候者共を、尺八二而
        打擲いたし、疵付候儀有之段相聞、
        不届之至二候、虚無僧修行いたし候者、
        志次第之施物を請、夜二人候ハゝ相対二而一宿
        可致筋二候間、以来虚無僧とも聊茂
        無法之筋有之候ハゝ、其村方ニ而指押、
        御料ハ御代官并御預り役所、私領ハ
        領主地頭役所江、早々召連可出、若於
        相背ハ、其村方可為越度者也、
        右之趣、御料私領寺社領等不洩様相触、
        村々ニ而寫取、村々入口高札場、或ハ村
        役人之宅前抔江為張置可申候 
               正 月

  近年、村々へ、修行の格好をした虚無僧が現れ、百姓達に、ねだり、強請を吹っ掛けたり、旅宿を提供するよう村役人などに申し入れるので、宿を世話したところ、こんなあばら屋に泊まれるかと言って、暴れ、その場に居合わせた者達を尺八で殴り、傷付けたと聞きおよぶが、全く不届きな事である。虚無僧修行の者は、志を請い、夜二人なら、相部屋で宿をとるのが筋である。したがって、虚無僧達にわずかでも無法のところがあるならば、村方にて捕り押さえ、御料は御代官、御預り役所へ、私料は地頭役所へすぐに召しつれ出すように。もし、違反した場合には、村方の落度となろう。以上の趣旨を、御料、私料、寺社領など、漏れなきように触れ、村々で写し取り、村々の高札場、或いは、村役人宅前などに張っておくように。
             正 月


 虚無僧とは、普化宗(禅宗の一派)に属し、尺八を吹きながら諸国をまわり、托鉢をし、修行を行った人たちです。身分は武士(ほとんどが浪人)で、町人や農民は、虚無僧にはなれなかった。
 江戸幕府は、当初、虚無僧に、諸国を自由に往来できるなどの特典を与えていましたが、江戸中期以降は、虚無僧姿をした遊蕩無頼の徒が横行するようになり、虚無僧を規制するようになったのです。
 
 それにしても、この高札の文面、非常に具体的で生々しい。虚無僧の無頼ぶりが目に浮かんできます。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盗賊自衛高札

2019年02月23日 | 高札
盗賊自衛高札

 故玩館には、15枚ほどの高札がありますが、この札はその中でも貧相な品です。巾60cm。柔らかい杉板でできていて、重さ700g、厚さは1cmほどしかありません。一般の高札に較べて、堅牢度が小さく、風雨にさらされる高札場に掲げるのは不向きです。
 上に穴があいています。村役宅などの軒先などに掛けてあったのでしょう。
 木の表面に胡粉が塗ってあり、その上に墨書されているのも珍しい。



     写
     近頃盗賊ハ勿論、追剥
     強盗ノ類或ハ村役宅江
     罷出、桿而合刀ヲ申張候趣、以之外
     不届之事ニ候、然而ハ村々一同
     申合置、銘々棒鳶口等ヲ用
     意致置、兼而相図ヲ定、其
     相図次第村中罷出、右躰之賊共
     搦捕可申候、万一手向等到手ニ除リ
     候ハバ、打敷候而茂不苦候、村方ハ勿
     論隣村共申合置、相互ニ加
     勢揃出候様、兼而手筈致置、村
     中夜廻り無油断戸締方
     厳重ニ可致候事
        辰正月     奉行

 近頃、強盗はもちろん、追い剥ぎ、強盗の類、或いは村役の家へ現れ、強引に金品をせびるなど、とんでもなく、不届きな事である。かくなる上は、村々一同、申し合わせをしておき、各自が棒や鳶口を用意して、あらかじめ相図を決め、その相図で村中が出て、右のような賊共を絡め捕らえよ。万一手向かいなどして手に負えないようならば、やっつけてもよい。村方はもちろん、隣村とも申し合わせ、互いに加勢に出られるよう、あらかじめ手筈をととのえておくように。村中を夜回りし、油断なく、戸締まりを厳重にすべきである。

 
 高札の発給者は奉行となっていますが、主な法令集には見あたりません。各村で策を講じて自衛せよというお達し。治安対策を地元に丸投げした内容ですが、別の見方をすれば、当時の農村自治を表しているともいえるのではないでしょうか。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする