遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

堂本印象『長良川之春』

2024年04月17日 | 絵画

今回も、しつこく、桜の絵です。

日本画家、堂本印象の『長良川之春』です。

全体:47.5㎝x184.0㎝、本紙(絹本) 35.4㎝x98.8㎝。戦前。

堂本印象は、大正から昭和にかけて活躍した芸術家です。

【堂本印象】明治三四(1891)年ー昭和五十(1975)年。京都市生れ。華麗な色彩の伝統的日本画で名声を得るも、抽象画、さらには、陶芸、染色、彫刻などへも挑戦し、幅広く活躍した。芸術院会員、文化勲章受章。

ぼやーっと霞んだ桜景色の真ん中を長良川が流れています。

箱書きには、『長良川之春』とあります。箱の状態から推察して、戦前の作でしょう。

山に点在する桜。

川辺の桜。

落款や印章から、どうやら大丈夫な品のようです(^.^)

「印象」の横に書かれているのは「乾山布意」?

絵をよく見ると、中央に小さく橋(3㎝ほど)が描かれているのがわかります。

いかにも長良川らしい風景です。

岐阜市から南に山はありません。また、上流部は案外開けていて、急峻な山に沿った流れは少ないです。

ですから、この絵に描かれた場所は、岐阜市から関、美濃市にかけて、長良川中流域のどこかだろうと思われます。

実は、私はかなり以前に、長良川を、河口(伊勢湾)から源流まで、遡行(166㎞)しました。渓流釣り名人、山本素石や釣雑誌の編集長たちと同行して、最後の清流といわれた流れの端から端までを見ておきたいと思ったからです。山本素石はツチノコ騒動の仕掛人だったのですが、加熱するブームに嫌気がさし、奥深い渓流で、テンカラを振っていました。丁度その頃、長良川の河口に堰を建設する計画が持ち上がり、激しい反対運動が起こっていました。
長良川は一般に思われているよりも、ずっと穏やかな川です。濃尾平野のほぼ中央部を北から南へ流れているので、東の木曽川や西の揖斐川に較べて土地の傾斜が小さく、濃尾三大河川のなかで唯一ダムが建設されておらず、本来の水質と生態系を保ってきました。しかし、河口に堰という名のダムが造られると、流れは寸断され、生き物が上流、下流を自由に行き来できなくなってしまいます。流れや河辺の光景も変わってしまう・・・・とにかく、自分の足と目を使って、自然河川を体感しておこう、との旅でした。

今回の日本画に描かれたような風景は、長良川を遡行してみると、中流域で普通に見られます。
それだけに、この場所を特定するのは難しい。
それでも、橋の数は限られていますから、いつか気力を振り絞り、もう一度長良川を歩いてみようと思っています。

 

ps. 1965年(昭和40年)、工業用水確保を目的として長良川河口堰計画が立案されたが、水需要増加が見込めないため、目的文言を、治水、利水に変更して強行着工され、1994年(平成6年)完成した不要な公共工事の典型。巨額の利権をめぐって、政治家、業者、御用学者などが暗躍する構図は、オリンピック、万博に引き継がれている。

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作者不詳『曲水の宴図』

2024年04月15日 | 絵画

桜にちなんだ古画が、もう一点ありました。

全体:46.1㎝x103.8㎝、本紙(紙本):43.6㎝x31.1㎝。江戸中期―後期。

「曲水の宴」といわれる行事を描いた大和絵です。

土佐派でしょうか。

曲水の宴は中国から伝わった風習で、朝廷や貴族の間で、奈良・平安時代、盛んに行われました。3月3日(旧暦)、庭園に造られた曲がりくねった小川を設え、流された盃が自分の前を通り過ぎないうちに和歌をよみ、盃を取って酒を飲んでから、その盃を次へ流すというもの。この後、宴が開かれ,各人が歌を披講しました。

旧暦の三月初旬ですから、桜が満開です。

盃は、どんどん流されているようです。

従者は盃を取ろうとしているのか、それとも流そうとしているのでしょうか。

横の貴人は、筆を手にして歌を思案中。

何とも優雅な遊びですね。

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宮崎友禅斎『桜川』

2024年04月13日 | 絵画

桜が満開です。

みなさんのブログも、桜の便りでいっぱいです。

部屋の中から、ぼんやりと輪中堤の桜並木を眺め・・・・今さら桜見物でもないし、さて、どーしたものか、と思い・・・・・・

そして、ヒラメキました。

おおそうだ!

どっかに江戸の桜の絵があったはず・・・・・例によってごそごそと探し回り、やっと見つけました。

宮崎友禅斎『桜川』

全体: 24.2㎝x106.6㎝、本紙(絹本) 15.5㎝x45.2㎝。江戸中期?

かなり古い絵です。題名は、私が付けました(^.^)。Dr.Kさんが本家、『桜川』の桜をブログで紹介されていました。それに触発されたのですね。結果、いつもながらの後出しタイトルとなった訳です(^^;

流れる河と花鳥が描かれています。

大きなジャンル分けでは、浮世絵に属するタイプの絵でしょうか。

落款には、「扶桑工友禅」とあります。

宮崎友禅斎は、友禅染めを始めた絵師として有名です。江戸中期、京都で扇面絵師として名をはせていた友禅斎は、布をキャンバスにして、大胆かつ繊細な染め物を作り出しました。後には京都から金沢に移り住み、加賀友禅を興したと言われています。

非常に高名なわりには、生没年不詳、その生涯や画業の詳細はわかっていません。

今回の品は、良く描けています。けれども、宮崎友禅の作と判断することはできません。資料が余りにも少ないのです(^^;

なかなかに味わいがありますね。

『桜川』のタイトルも、まあ妥当だったかなと自題自讃(^.^)

 

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長谷川朝風『夜獅子』

2024年01月22日 | 絵画

先々回のブログで、日本画家、長谷川朝風のほのぼのとした作品、『みちのく暮雪』を紹介しました。

今回の品は、同じ作者ですが、少し趣が異なる日本画です。

全体、65.2㎝x141.8㎝、本紙、44.2㎝x51.1㎝。昭和。

長谷川朝風(はせがわちょうふう、明治三四(1901)年ー昭和五二(1977)年):岐阜県生れ。日本画家。名は慎一。安田靱彦に師事。院展を中心に活躍。俳人としても知られる。

山里の祭りでしょうか、『夜獅子』の題の通り、暗闇の中、篝火に照らされて舞う一人獅子が描かれています。

 

 

先の雪国の絵とはだいぶ味わいが異なりますが、やはり郷愁をさそいますね。

 

 

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長谷川朝風『みちのく暮雪』

2024年01月18日 | 絵画

先回、日本画家、長谷川朝風のはがき絵を紹介しました。

サラっと描いた物ですし、あまりにも小さいので、本来の絵画はどのようなものか、今一つ分かり難かったと思います。

そこで、今回の品です。

全体、63.8㎝x143.0㎝、本紙、45.2㎝x50.5㎝。昭和30年1月。

長谷川朝風(はせがわちょうふう、明治三四(1901)年ー昭和五二(1977)年):岐阜県生れ。日本画家。名は慎一。安田靱彦に師事。院展を中心に活躍。俳人としても知られる。

厳寒の陸奥、鄙びた温泉を描いた作品です。

中心になるのは馬。

何ともやさしい筆致です。

孫の手を引くおばあさん、先に家路を急ぐのは兄でしょうか。

視点は、歩いていく人とともに山奥へ。

雪に埋もれた山里を、温もりにあふれた情感で描いた作品ですね。

本人の箱書によると、

この絵は、院展出品作を縮小して描いたものです。

図録を繰ってみると、

昭和21年の院展出品作のようです(図録掲載品は草稿)。

作者、長谷川朝風は、故玩館脇の輪中堤を南東へ5㎞、墨俣一夜城近くの出身です。今は、地元でも知る人は少なくなりました。

 

 

コメント (6)
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