遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

泰山金剛経碑拓『護道』

2023年08月30日 | 文人書画

中国の石碑拓本「護道」です。

全体、49.9㎝x179.6㎝、本紙、47.6㎝x93.5㎝。中国。石刻、6世紀(推定)、拓、20世紀(推定)。

ずっと以前、古本市のカタログに泰山金剛経の拓本がバラで15枚ほど出ていました。その中から、これはという物、「護」と「道」を注文し、表具屋で軸に仕立ててもらいました。本当は、「諦」と「道」にしたかったのですが、「諦」はありませんでした。やむをえず「護道」となった次第です(これも「諦道」(^^;)

手で触れると、紙の凸凹が感じられ、印刷ではないことがわかります。

すごい迫力です。

泰山金剛経碑は、中国山東省泰安県にある中国五大名山の一つ、泰山の中腹の巨大岩盤に刻まれています。「金剛経」(「金剛般若波羅蜜経」)は5178字からなり、そのうち2790字が岩盤に刻まれたと言われています。「金剛経」としては未完なのですね。そのうち、現存するのは1000文字ほどです。北斉時代(5~6世紀)に刻まれたと考えられていますが、正確な時代、作者は不明です。

泰山金剛経碑拓は、骨董市場で時々見かけます。現地では、戦後まもなく、拓本をとることが禁止となったので、現在流通している石碑拓本は、それ以前の物です。50㎝四方の大きさがありますから、いずれの文字もかなりの迫力です。その中でも、「道」は人気があるようです。隷書から楷書への過渡期の書体で雄大に表された「道」は、「諦」でも「護」でもドンと受け止める度量がありますね(^.^)

 

 

 

 

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ヘンリー・フォードも諦道!?

2023年08月28日 | 文人書画

先回のブログで、大徳寺444世諦道宗當の禅語『且坐喫茶底』を紹介しました。茶を嗜みもしない私はこんな書とは無縁なのですが、筆者の名、諦道にひかれて求めました(^^;

さて、今回の品はアメリカ土産の小品です。

 『You can't build a reputation on what you are going to do.』

あの自動車王、ヘンリー・フォードの言葉です。

日本語のサイト(それほど多くはない)を見ると、ほとんどが、『まだやっていないことでは、名声は築けない。』と訳してあります。
でも、この訳は、入試ならペケですよね。
ビジネス格言のいろんな記事でこの日本語訳が出てくる理由を探しました。けれど、さっぱり見つかりません。ただ、この訳が付いているだけです。きっと、誰かが最初にこのように訳し、それを皆が踏襲していったのでしょう。

ならばということで、英語のサイトをあたりました。あるわあるわ、この言葉に関する記事がゴマンと出てきます。これだけ多くあるのは、ヘンリー・フォードのこの格言の解釈が多様になされているからでしょう。
そのうちで一番多いのが、ビジネスで成功(success)をおさめ、名声(reputation)を得るには、夢や計画、さらには、あることをやろうとしている(be going to do)だけではダメなんだ、事柄を成し遂げる行動(action)が必要だ、というものです。
要するに、実際にやって結果を出せ、というのです。だから日本では、『You can't build a reputation on what you are going to do.』を、『まだやっていないことでは、名声は築けない。』との日本語に置き換えたのでしょう。
しかしこれは、スポーツ番組などでよく解説者が口にする『結果を出す』に通じる精神論ですね。なぜなら、何かをやろうとしなければ、そしてそれが、一見、夢のような荒唐無稽なことがらで、失敗を重ねなければ、成功や名声へ至るはずもないからです。

一方、これと対照的な論考もあります。我々がreputationを得るには、"what we are going to do" を通してしかできない。そして、reputationは常に先、つまり未来にある。なぜなら、reputationはひとたび得られても、失われやすく、作られ続けなければならないから。だからこそ、人は常に夢、それを実現するための計画、さらにはやろうとする意志をもたねばならない。つまり、reputationに終わりはなく、常にそれを追い求め続けなければならない、というのです。
これは、世阿弥の言葉『初心忘るべからず』があらわす永久精進に通じる考えですね。

実際の所、ヘンリー・フォードが、どのような文脈で『You can't build a reputation on what you are going to do.』の言葉を残したのかわかりません。
このアフォリズムは、各人がそれぞれに解釈すれば良いのでしょう。
ひょっとして、彼はほんの軽く冗談気味に、あるいは皮肉を込めて言ったのかも知れません。
『そんなんではあきまへんで』

私は、彼のこの警句を、文字通り、『あなたは(そして私も)、やろうとしている事で、名声を得ることはできない』と訳しました。そして、whatを限りなくwhateverに近く解釈しました。つまり、『人は何をやろうとしてもダメだ』。
これは、まさに『諦道』ですね(^.^)

 

ps.英語の論考をあたっているうちに、ヘンリー・フォードの格言の原型と思われるものを発見しました。
"You can't build a reputation on what you are going to do. You can, however, build a reputation on how much you procrastinate." - Henry Ford
procrastinate:(やらねばならぬ事を)先延ばしする。ぐずぐずする。

「君がやろうとしていることで、名声を得ることはできない。しかしながら、ものごとを先延ばしし、ぐずぐずしていれば、名声は得られるだろう。」

これはもう、皮肉を越えて、反語として解釈するしかありませんね。少なくとも、巷にあふれる日本語の解釈には決してならないでしょう(^.^)

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大徳寺四四四世諦道宗當『且坐喫茶底』

2023年08月26日 | 文人書画

今回の書は、いわゆる大徳寺物の書軸です。

全体、35.6㎝x172.6㎝、本紙、27.3㎝x100.7㎝。江戸時代後期。

筆者は、大徳寺444世、諦道宗當。

諦道宗當(安永四(1775)ー天保七(1836)。日向生。臨済宗の僧。自号は閑眠子。大徳寺444世。

軸の書『且坐喫茶底』は禅語です。

元々は、あの有名な長谷川等伯『利休居士像』(重要文化財)に書かれた春屋宗園の讃によります。

(『利休居士像』長谷川等伯筆、春屋宗園讃)

 

頭上巾兼手中扇、儼然遺像 旧時姿、
趙州且坐喫茶底、若不斯翁争得知

頭上の巾、兼ねて手中の扇、儼然たる遺像、旧時の姿、趙州(和尚)の且坐喫茶の底、若し斯翁あらずんば争(いかで)か知るを得ん

『且坐喫茶底(しゅざきっさてい)』は、4文字禅語『且坐喫茶』として使われる方が多いです。『且坐喫茶(しゃざきっさ)』の読みは、「且(しばら)く坐して茶を喫せよ」、したがってその意味は、「まあ座って、お茶でも飲みましょう」となります。「底」は、「極み」の意ですが、『喫茶去』の「去」と同じく、語の意味を強調するために使われていると思います。ですから、『且坐喫茶底』は、『喫茶去』とほぼ同じと考えて良いでしょう。

『且坐喫茶底』と『喫茶去』は、いずれも、趙州和尚による禅語です。

ただ、『且坐喫茶底』は、大徳春屋国師 が茶聖、利休の肖像におくった讃です。その中で、利休がいなかったら、『且坐喫茶底』を知ることはなかっただろうと述べています。スーパースター利休のお墨付きです。茶掛けの禅語としては、『喫茶去』よりマイナーな『且坐喫茶底』の方が、有難味は大きいのかも知れませんね(^.^)

 

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円空仏ゆかりの宿儺カボチャが採れました

2023年08月24日 | ものぐさ有機農業

このところ何回も紹介しているスリム化したトウガラシ類の畑です。

が、今回の主役は、その右側にあるカボチャ畑です。

これも当然、連作。

ソラマメの収穫晩期(6月初旬)に、いくつかの株を取り去り、そこへカボチャの苗を植えました。なぜ、こういうセコイ育て方をするかというと、ソラマメの収穫終了をまっていたら、カボチャを植える時期を失するからです(^^;

そろそろ出来ている頃です。メチャクチャにはえている大葉の間をぬって、カボチャのツルが広がっています。いつも、生育初期には、教科書通り、3本仕立てでツルを誘導しているのですが、そのうちに、子ヅル、孫ヅルがごちゃごちゃになり、あきらめて伸びるに任せることになってしまいます。これもまた例年通り(^^;

今年は、いつもの恵比寿カボチャの外に、宿儺カボチャを植えました。10年以上前、宿儺カボチャが話題になり始めた頃、早速苗を取り寄せて植えてみました。中型のカボチャが数個採れました。他のカボチャに比べて栽培が難しく、質より量の我が家では、以後、もっぱら、多産の恵比寿カボチャを作ってきました(くどいようですがこれも連作(^^;)

今年はふと魔(?)が差して、宿儺カボチャも入れてみました。

宿儺カボチャは、飛騨、高山市丹生川地区で古くから栽培されてきたカボチャです。皮が薄く、ホクホクとしておいしい。

まあ、これだけ採れれば合格ですね。

一方、恵比寿カボチャの方は、不作です。昨年は、30個程も採れました。けれど、今年は、植えてしばらくしてウドンコ病が出ました。最初は重曹液を散布していたのですが、効き目はイマイチ。やむなく、石灰を直接散布して、枯れるのはくい止めました。しかし、その後の実の付きがかんばしくなく、不作に終わりました。

まあ、今年の主眼は宿儺カボチャですから、これで良しとしましょう。

一般には、宿儺は人々を苦しめる怪物とされていますが、飛騨丹生川では、武勇にすぐれた司祭、農耕の指導者で、この地域を中央の手から守った英雄であったと言われてきました。そこで丹生川地区では、特産のカボチャに、宿儺カボチャの名をつけた訳です。

丹生川地区にはまた、両面宿儺像と言われる円空の名作が残されています。

円空仏といえば、ウチにもあったはず・・・

高 38.0㎝、幅 9.6㎝、奥 6.8㎝。重 201g。

彫りはまあまあ。

何よりも木の風化がすごいです。ボロボロと崩れます。ふわっと軽く、木が枯れています。重さは200gしかありません。しかし、400年の風化にしては、彫りの風化が少ない。どうやらこれは、水中や土中に長く留めて(5年以上)時代をつけた品物ですね。いわゆる、良く出来た贋物(^^;

何となく相性を感じます(^.^)

円空への色気はサラリとすてて、この大物(3.2㎏)が、どんな風に料理され、今晩の食卓に出てくるか楽しみです(^.^)

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江戸中期色紙『新六歌仙和歌、俊成、慈円、定家、家隆、西行』

2023年08月22日 | 文人書画

以前、故玩館の座敷を紹介しました。

故玩館をオープンして間もない頃。

現在の様子。

さて、ここで問題です。

二つの写真で、大きく異なるのはどこでしょう?

「床のガラクタ類が多くなっている!」

ハズレです。

当たり前すぎて、問題になりません(^^;

正解は、「左上の天袋」です。

白紙であったのが、何やら和歌のような書が・・・

5枚、貼られています。

天袋が白では淋しいので、ずっと以前に入手した和歌色紙を自分で貼りました(^^;

品物は、分厚い和紙に包まれていました。

その中には、5枚の和歌色紙とともに、極めが入っていました。

古筆鑑定家、大倉好斎(1795-1862)の極め(文政十二年)です。

いわゆる折り紙ですね。折り紙は折形に包まれています。

新六歌仙のうちの五人、慈円、俊成、西行、定家、家隆の和歌をしたためた人々(中山殿篤親卿以下5人)の名が記されています。

前大納言 中山篤親(なかやまあつちか、明暦二(1656)年-享保元(1716)年)
江戸時代前期、中期の公卿。

中納言 東圓基長(ひがしぞの もとなが、延宝三(1675)年ー享保十三年(1728)年)
江戸時代中期の公卿。別名、基雅。

宰相 六条有藤(ろくじょう ありふじ、寛文十二(1672)ね-享保十四(1729)年)
江戸時代中期の公卿、歌人。

前大納言 姉小路公量(あねこうじきみかず、慶安四(1651)年ー享保八(1723)年)
江戸時代前期、中期の公卿。
 
二品道仁(にほんみちひと、元禄二(1689)年-享保十八(1733)年)梶井宮道仁親王。
江戸時代中期の親王。二品 (にほん)とは、一品から四品まである親王の位(四等級)のうち、第二等の位階。

もう一枚、大判の折り紙が付いていました。

これによると、元々は6人分の和歌色紙だったらしい。

残念ながら、文政12年の段階で、後京極良経の和歌色紙(右大臣二条網平筆)は失われていたようです。

白紙の天袋に5枚の色紙を貼り込むのは、素人には大変難しいものでした。とにかく、レイアウトが単調では味気ない。そこで、和歌色紙(18.5x21.0㎝)以外に、別途入手した料紙(17.5x20.0㎝)を交えて貼り込みました。

その結果です。うーん、イマイチです。が、しょせんは素人、こんなものかとも(^.^)

五歌仙の和歌です。

  皇太后宮太夫 俊成
住わひてミをかく
すへき山さとに
 あまりくまなき
 夜半の月かな  (中納言 東圓基長筆)

住みわびて身を隠すべき山里に
          あまり隈なき夜半の月かな

 

 前大僧正 慈円
月              
 そ        あふけは
 さや            空に
  けき             
思ふ事なととふ
  人のなかるらむ
(前大納言 中山篤親筆)

思ふことなど問ふ人のなかるらむ
           仰げば空に月ぞさやけき

 

  前中納言 定家
駒とめてそて
うちはらふかけも
なしさのヽ
わたりの雪の
ゆふくれ        (前大納言 姉小路公量筆)
                   
駒とめて袖うち払ふかげもなし
           佐野のわたりの雪の夕暮れ

 

  西行法師
おしなへてはなの
さかりになりにけり
山のはことにかゝる
しらくも       (宰相 六条有藤筆)
                  
おしなべて花の盛りになりにけり
            山の端ごとにかかる白雲

 

  従二位 家隆
あけはまたこゆへき
山のミねなれや
そらゆくつきの
すゑのしら雲      (梶井宮親王 二品道仁筆)
                
明けば又越ゆべき山の峯なれや
         空行く月の末の白雲

 

江戸時代の公卿さん達、いずれも達筆です。

伝統文化を守り伝えていくのが公家の役割でした。しかし、この時代、それだけでは食べていけないので、和歌や書道などの家元となって免許料を得たり、今回のような色紙を書いたりして収入を得ていたようです。

お公家さんも大変だったのですね。

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