以前、故玩館の座敷を紹介しました。
故玩館をオープンして間もない頃。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/98/a1cac457bade406f71f93529e8317213.jpg)
現在の様子。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/35/ff60cbcadea9e38fa178a47dca6e9b19.jpg)
さて、ここで問題です。
二つの写真で、大きく異なるのはどこでしょう?
「床のガラクタ類が多くなっている!」
ハズレです。
当たり前すぎて、問題になりません(^^;
正解は、「左上の天袋」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3a/24b33a144822e8098c1530b147a8513a.jpg)
白紙であったのが、何やら和歌のような書が・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a2/9ce8070321d2b795f5da8c925bc4db57.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a6/37a7a3975055a9f7b41de5ad99ee20ae.jpg)
5枚、貼られています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/bc/4fa70eea9b5b32353d67e81223dd89a0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/af/60877a3c53a16d6a202433f5024a638a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/57/7a05a278609f844f54c6d4754444f776.jpg)
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天袋が白では淋しいので、ずっと以前に入手した和歌色紙を自分で貼りました(^^;
品物は、分厚い和紙に包まれていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/43/226a218a84fa395fc68e35884ef9e921.jpg)
その中には、5枚の和歌色紙とともに、極めが入っていました。
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古筆鑑定家、大倉好斎(1795-1862)の極め(文政十二年)です。
いわゆる折り紙ですね。折り紙は折形に包まれています。
新六歌仙のうちの五人、慈円、俊成、西行、定家、家隆の和歌をしたためた人々(中山殿篤親卿以下5人)の名が記されています。
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前大納言 中山篤親(なかやまあつちか、明暦二(1656)年-享保元(1716)年)
江戸時代前期、中期の公卿。
中納言 東圓基長(ひがしぞの もとなが、延宝三(1675)年ー享保十三年(1728)年)
江戸時代中期の公卿。別名、基雅。
宰相 六条有藤(ろくじょう ありふじ、寛文十二(1672)ね-享保十四(1729)年)
江戸時代中期の公卿、歌人。
前大納言 姉小路公量(あねこうじきみかず、慶安四(1651)年ー享保八(1723)年)
江戸時代前期、中期の公卿。
二品道仁(にほんみちひと、元禄二(1689)年-享保十八(1733)年)梶井宮道仁親王。
江戸時代中期の親王。二品 (にほん)とは、一品から四品まである親王の位(四等級)のうち、第二等の位階。
もう一枚、大判の折り紙が付いていました。
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これによると、元々は6人分の和歌色紙だったらしい。
残念ながら、文政12年の段階で、後京極良経の和歌色紙(右大臣二条網平筆)は失われていたようです。
白紙の天袋に5枚の色紙を貼り込むのは、素人には大変難しいものでした。とにかく、レイアウトが単調では味気ない。そこで、和歌色紙(18.5x21.0㎝)以外に、別途入手した料紙(17.5x20.0㎝)を交えて貼り込みました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/e4/91865270da27570a7d51d07b987e9497.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/67/c332e6b9f1b9a65c4ffb032a4a510075.jpg)
その結果です。うーん、イマイチです。が、しょせんは素人、こんなものかとも(^.^)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a2/9ce8070321d2b795f5da8c925bc4db57.jpg)
五歌仙の和歌です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/48/705c2d59ee7ece98dab10e3a8fe71cc7.jpg)
皇太后宮太夫 俊成
住わひてミをかく
すへき山さとに
あまりくまなき
夜半の月かな (中納言 東圓基長筆)
住みわびて身を隠すべき山里に
あまり隈なき夜半の月かな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/32/92890fe73b3b5eb6191acb324fe887d3.jpg)
前大僧正 慈円
月
そ あふけは
さや 空に
けき
思ふ事なととふ
人のなかるらむ (前大納言 中山篤親筆)
思ふことなど問ふ人のなかるらむ
仰げば空に月ぞさやけき
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/75/7aff52e1350c5fc50259a633ca4a37a0.jpg)
前中納言 定家
駒とめてそて
うちはらふかけも
なしさのヽ
わたりの雪の
ゆふくれ (前大納言 姉小路公量筆)
駒とめて袖うち払ふかげもなし
佐野のわたりの雪の夕暮れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/6b/b7e65f5183e225924b085f277469f731.jpg)
西行法師
おしなへてはなの
さかりになりにけり
山のはことにかゝる
しらくも (宰相 六条有藤筆)
おしなべて花の盛りになりにけり
山の端ごとにかかる白雲
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/34/a05c421a9385d5cbe17dd043e254165c.jpg)
従二位 家隆
あけはまたこゆへき
山のミねなれや
そらゆくつきの
すゑのしら雲 (梶井宮親王 二品道仁筆)
明けば又越ゆべき山の峯なれや
空行く月の末の白雲
江戸時代の公卿さん達、いずれも達筆です。
伝統文化を守り伝えていくのが公家の役割でした。しかし、この時代、それだけでは食べていけないので、和歌や書道などの家元となって免許料を得たり、今回のような色紙を書いたりして収入を得ていたようです。
お公家さんも大変だったのですね。