遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

『納札 東西名物名所合せ』(6)

2021年01月30日 | 納札・紙物

『納札 名物名所合せ』の続きです。すべて、縦長の一丁札です。

 

【天王寺蕪と色かい】

天王寺蕪は、大阪市天王寺付近で栽培されていた伝統野菜です。香り、歯切れ、食味に優れ、かつては大阪の名物でした。干蕪や漬物など様様な形で出荷されました。江戸時代から明治時代まで300年間、盛んに生産されましたが、次第にすたれ、大正時代に消滅しました。しかし、近年、少しずつ復活しています。

色かい(貝)についてはわかりません(^^;

【江戸川の鯉】

東京の江戸川(現、神田川)は、かつて、鯉が名物でした。特に紫色の鯉が有名で、川柳などにも多く詠まれています。

 

 

【住吉蛤とへび玩具】

かつて、住吉大社(大阪市住吉区)の前には浜辺が広がり、潮干狩りの名所として、多くの人々が蛤をとりました。住吉大社吉祥殿では、それにちなんで、「はまぐり弁当」を復活させました。住吉大社は、海の神でもあるのです。

へび玩具は不明です(^^;

 

ところがこのへび、意外な仕掛けがありました。

納札の上部が白い?・・・・よく見てみると、折られています。

 

もしや、と思い、指で広げてみると・・・・

 

へびの顔がでてきました。

「飛び出す納札」です。

ここを指で押さえて、納札を渡したのでしょう。

相手のビックリする顔をみて、してやったり(^.^)

遊びゴコロにあふれた納札ですね。

でも、作るのが大変でしょう(^^;

思わず、エラー納札!と言いたくなる逸品です(^.^)

 

最後の一枚は、大正頃までの浪速名物です。

【四ツ橋きせる】

大阪は、かつては、堀が縦横に走っていた水の都で、多くの橋がありました。四ツ橋(大阪市中央区)付近には、二つの川が交差する場所に、ロの形に橋が組まれていました。景勝地であったこの地にはたくさんの人が集まり、煙草屋も多く、きせるが大阪名物でした。

【淀屋橋煙草入】

大阪の中央区と北区を結ぶ淀屋橋付近では、煙草入れの製造が盛んで、名物となっていました。

きせる、煙草入れともに、大正時代まで製造されていたようです。

 

 

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紫ソラマメ大福で老化防止

2021年01月28日 | ものぐさ有機農業

先日、正月後の餅をついてから一週間しか経っていません(完食)。

が、またまた、餅つきになりました(^^;

というのも、ソラマメの種が残り、捨てるのももったいないし・・・どうしたものか?と思っていた時、

ひらめきました。

そうだ、餅!

ソラマメを蒔いた残りが1.5㎏もあるので、これを餡にしたらどうかと考えたわけです。

もちろん、ソラマメ餡など作ったこともないし・・・・

餡中模索とはこのことです(^^;

実は、美濃中西部には、ミョウガボチという郷土菓子があります。かつては2km四方位の狭い地域の家庭で伝統的に作られていた季節菓子だったのですが、今では、町の和菓子屋さんでも売られるようになりました。

ソラマメの餡を皮で包み、さらにミョウガの葉で包んで蒸した物です。初夏限定の品で、素朴な味わいがたまりません。

ミョウガボチで使っているなら、できるはずです。

私が、考えたレシピです(^^;

①一晩水に付けておきます。

②高圧鍋で10分炊く。

③ソラマメの実を取り出す。

④水、砂糖を加えて、鍋で煮詰める。

 

この中で、最も大変なのが③。

ソラマメ、特に紫ソラマメの皮は大変丈夫で、裏ごしが難しい。

フードプロセッサも考えたのですが、処理した後、硬い皮が口にさわっても、取り除く方法がありません(^^;

これは、手作業しかないか?

ミョウガボチを作ってきた地区の女性にソラマメ餡の作り方を聞いた所、指で実を取り出すとのこと。

覚悟を決め、ひとつ一つ取り出すことにしました(^.^)

 

一時間の格闘の結果が、この写真です。

 紫ソラマメの実   紫ソラマメの皮

 

巣籠り時間とはいえ、よくぞこれだけ剥きました。

まあ、指先を使って、多少なりとも老化防止に役立ったと思えばいいでしょう(^.^)

 

鍋に入れ、

 

水と砂糖を加えて煮詰めます。

 

40分ほどかかって、やっと餡子らしくなりました。

ずっとかき回していたので、手が痛くなりました。

 

後は、餅をつくだけです。

もち米の上に、里芋ペーストをのせて、

 

さらに、もち米をのせ、

を繰り返して、4層のサンドイッチです。

 

あとは、スイッチ・ポンでOK!

のはずでしたが、ここでトラブル。

うまく蒸せません。途中で止まってしまいます。

考えられる理由は、①餅つき機が古くなった、②全体の量が多すぎた、③その他・・・

実は、全部当てはまるのです(^^;

おまけに、③容器の下部の穴が詰まっていて、蒸気が米の方へ十分に上がってこない、のです。

急遽、昔の鍋の蒸し器を捜しだして、とりあえず蒸し直しました。

餅つき機に入れて、無事餅がつけました。

餡を餅で包んで、

 

 

紫ソラマメ大福の出来上がりです。

甘さを控えて、上品なお味に仕上がりました。例によって、見かけは悪いですが(^^;

 

ところで、紫ソラマメ(別名、赤ソラマメ)は、数年前から栽培しています。それまで、普通のそら豆だったのですが、代々重ねているうちにだんだん出来が悪くなりました(劣性遺伝?)。で、その時、知人から少しもらったのが紫ソラマメです。実は、普通のそら豆より、少し小ぶりです。炊き込みご飯にすると、赤飯のようなきれいな色になります。何よりも良いのは、育てるのが楽。丈夫なのです。今はやりのお多福や一寸ソラマメを一緒に作るのですが、出来具合が全然違います。病気や虫に強い野生児なのですね。

赤米や赤ジャガイモもそうですが、原種に近いのではないでしょうか。アントシアニンは、紫外線などから、種や実を守り、子孫を残していくためにあるのでは、と思えてきます。品種改良を重ねた美肌の華奢な野菜は、ひ弱になるのは当然かもしれませんね(^^;

紫ソラマメの皮、アントシアニンたっぷりです。

せっかくですから、次回は何とか工夫して、ホールビーンズの餡を作り、抗酸化色素入りの大福を腹いっぱい食べ、老化を少しでもくい止めたいと思う今日この頃です(^.^)

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『納札 東西名物名所合せ』(5)

2021年01月26日 | 納札・紙物

『納札 名物名所合せ』の続きです。

 

【豊嶋屋白酒】

豊嶋屋(東京神田)は、江戸初期創業で、今に続く酒屋です。とろりとした白酒が有名です。白酒は、米麹と焼酎を仕込み、熟成させてすりつぶしたものです。江戸名所図会などにも描かれています。この納札の願主は大阪ですが、東京の銘酒にエールを送っているのでしょうか。

【勝曼坂角力人形】               
大阪天王寺、大江神社前の勝曼坂にある中村古翫堂でのみ売っていたという紙製の相撲人形。現在はありません。

 

【山王のおさる】
 東京、赤坂山王の日枝神社境内には、狛犬のかわりに猿が置かれています。猿はもともと山の守り神で、敬われる存在でした。「さる」が「勝る」「魔が去る」へとつながるので、勝運の神や魔除けの神に、また、猿(えん)が縁(えん)つうじる事から、商売繁盛や縁結びにご利益があると言われています。

【地車人形】

 不明(^^;

 

【べったら市】
宝田恵比寿神社(東京都中央区日本橋)の門前では、10月20日恵比寿講の時に、べったら市が催されます。江戸中期、お供えのための魚、野菜、神棚などが売られるようになったことが市の始まりで、大根のべったら漬がよく売れたことから「べったら市」と呼ばれています。恵比寿講とべったら市は、毎年、非常に多くの人でにぎわいます。

【祇園御香煎】
 香煎とは、山椒、陳皮、大唐米、ウイキョウなどの漢方材料を粉末にし、焼き塩で味付けしてもので、湯に浮かべていただきます。江戸時代には、庶民から公家や茶人、宮家、文人墨客にまで広く愛されました。現在も、「祇園香煎」は京を代表する名物の一つです。

【粟田焼】
粟田焼は、江戸時代初期に京都・粟田口(現東山区)で誕生し、以降その近辺で焼かれてきた陶磁器を総称したものです。錦光山、岩倉、宝山など、有名な窯が多くあります。胎土は、少し黄味を帯びた軟陶が多いです。

 

【ざこば魚嶋】
江戸時代、大阪には雑喉場(ざこば)魚市場(大阪市西区)があり、西日本最大の生魚市場として活況を呈しました。雑喉場魚市場、堂島米市場、天満青物市場は大坂三大市場と呼ばれた。ざこば魚嶋の鯛は、浮世絵に描かれるなど、大阪名物として有名でした。しかし、昭和6年(1931)大阪市中央卸売市場に吸収され、現在は記念碑以外、痕跡はありません。

【魚河岸の朝市】
かつて、東京の日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする「魚河岸」がありました。なかでも、日本橋川沿いの魚河岸は、江戸で最も活気のある場所の一つでした。広重も、『絵本江戸土産』「日本橋の朝市」を描いています。この魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災後、築地に移りました。日本橋魚河岸跡は中央区日本橋室町付近です。

 

江戸時代から続いた東西の巨大生魚市場が、大正末から昭和初にかけ、相次いで消えました。この『納札 東西名物名所合せ』は、納札に書かれた日付から、大正10年10月に作られたと思われます。この納札は、庶民の台所を担った鮮魚市場がなくなる直前の資料でもあるわけです。

 

 

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『納札 東西名物名所合せ』(4)

2021年01月24日 | 納札・紙物

『納札 東西名物名所合せ』の続きです。縦長の一丁札が2枚ずつ貼られています。

 

最初の納札には、會〇〇〇とあります。

〇〇〇が所属する會とは何でしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

澪標(みおつくし)會が正解です。

澪標(みおつくし)は、船の航路の目安となる道標です。河口付近に開かれた港などでは、土砂の堆積により座礁の危険がある浅場と水深が深く航行可能な場所(澪)との境界に並べて設置され、航路を示しました。水の都、大阪との関連性が強く、明治24年(1891年)、澪標が大阪市の市章等として採用されました。したがって、澪標會は、大阪の納札交換会であることがわかります。

【十日戎方恵駕(ほうえかご)】
今宮戎神社(大阪市浪速区)では、毎年、十日戎(1月9~11日)に、宝恵駕行列が行われ、100万人以上の人出で賑わいます。この行事は、元禄時代に、地元花街関係者が、宝恵駕を仕立てて参詣したことに始まると言われています。現在は、有名人や福娘らを乗せた宝恵駕籠行列が、ミナミ各所を練り歩きます。

【毛馬きゅうり】
 「毛馬きゅうり」は、江戸時代の終わり頃から毛馬村(大阪市都島区毛馬町付近)で栽培されていました。しかし、明治末期になると、台湾種のキュウリに押されて衰退し、昭和30年頃には生産されることもほとんどなくなりました。長い間、幻の野菜であったのですが、近年、種子の増殖が行われ、復活しつつあります。

【なんば人参】
大阪は、江戸時代には野菜の一大産地でした。なにわの伝統野菜と知られている作物には、天王寺蕪、田辺大根、金時人参、大阪しろな、毛馬胡瓜、玉造黒門越瓜、勝間南瓜などがあります。金時人参は、江戸時代から難波、木津、今宮あたりで栽培されており、大阪は金時人参発祥の地といわれています。

 


【奈良鹿と御香水】
奈良鹿: 省略

御香水:3月1日から2週間、奈良・東大寺の二月堂では、仏教行事「修二会」が行われます。「お水取り」「お松明」ともよばれるこの行事では、大きな松明に火が灯され、本行の12日深夜にお水とりが行われます。この「お水取り」でとられた水が、御香水です。御香水は走りの行法のあと、練行衆に喉の渇きを癒すものとして授与され、お相伴として参詣者にも振る舞われるます。

【うつぼ干物造り物】
秀吉の時代、大阪市中央区には海鮮物市場がありましたが、江戸時代に入ってから干物を扱う市場だけが靭(うつぼ)(大阪市西区)に移りました。以来、この地は、江戸、明治、大正、昭和にわたって、全国的な海産物問屋街として栄えました(現在は、ほとんど無し)。この靱の乾物商たちによる造り物が、うつぼ干物造り物です。造り物とは、陶器や金物、野菜など日用品で、人形や物語の場面などを作った物です。納札にあるのは、雪中筍掘りの場面を、干物で作った造り物でしょう。この納札が作られた大正頃には、瀬戸物一式の造り物、道修町薬種商の薬品作り物とともに、大阪三大造り物といわれました。

 


【十日戎小宝と俵蔵】

戎(えびす)は七福神の一つで、財福の神です。えびす神を祀る神社は全国各地にあり、兵庫県の西宮神社が総本社です。十日戎は、毎年1月10日前後に、商売繁盛の神、福の神である戎(恵比寿)様をお祭りする祭礼です。この時授与されるのが子宝で、銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物を束ねたもので、野の幸、山の幸、海の幸を象徴したものです。俵蔵も、同じような縁起物でしょう。但、十日戎は、関西方面の戎神社の行事です。ところが、この納札を出した川正、宮よし、菊菱は、両国、渋谷、麹町など東京の人(店)であり、東西対抗納札にはそぐわないようにみえます。この納札では、おそらく、地域を越えて商売繁盛を願ったのではないでしょうか。

【亀戸のうそ】

鷽(うそ)替え神事は、菅原道真をまつる天満宮やゆかりの神社で行われる神事です。亀戸天神(東京都江東区)では毎年1月24、25日に行われます。
鷽(うそ)は幸運を招く鳥とされ、毎年、新しい木彫りの鷽に取り替えることでこれまでの悪いことが嘘(うそ)になり、幸運を得ることができると、江戸時代から信じられてきました。天神様と「鷽」のつながりは、「鷽」という字が「學」の字に似てることによると言われています。

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『納札 東西名物名所合せ』(3)

2021年01月22日 | 納札・紙物

『納札 東西名物名所合せ』(2)の最期の札、浅草の伝統玩具、飛んだりの関連で、しばらくミニチュア道具をいくつか見てきました。

今回は、元へ戻り、『納札 東西名物名所合せ』の続きです。各頁には、縦長の一丁札(4.8x14.4㎝)が、2枚ずつ貼られています。

 

【四天王寺 猫の門の猫】

大阪、四天王寺の聖霊院(聖徳太子を祀る太子殿)には、猫の門と虎の門の2つの門があります。猫の門の木彫猫は聖霊院にある経堂のお経がネズミにかじられないよう、見張り番をしていると言われています。

【四天王寺 庚申堂七色守】

四天王寺、南大門近くの庚申堂では、御七色守り(盗難避)が授与されます。三匹の猿が描かれた三角形の包みの中には、四色の菓子、大豆、昆布と梵字が書かれた紙が入っています。

【木津大国主神社 甲子燈心、なんばのどら焼き】

敷津松之宮(しきつまつのみや)(大阪市浪速区)は、大国神社ともよばれ、境内には木津川や神社地域の開発に尽力した木津勘助の像があります。それにちなんで木津大国主神社とも呼ばれます。

大黒天の縁 日(甲子の日)に燈心を買うと、

その家が栄えるといわれました。納札には、いぐさの芯の部分を取り出して作った燈心が描かれています。

 

【友禅染 鴨川さらし】

友禅染めでは最後に、染めた反物を水にさらし、生地についた糊や余分な染料を流します。友禅流しと言われるこの工程は、昔は、京都の鴨川でおこなわれていました。

また、鴨川の流れに布をさらしながら砧でたたく「衣叩き」という作業をして、布につやを出し、柔らかくしたといわれています。

【神田祭】

神田祭は、神田明神(東京都千代田区)で行われる祭礼で、京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本の三大祭りの一つに数えられています。

 

【住吉踊りといも】

住吉踊りは、住吉大社(大阪市住吉区)の御田植神事で行われる踊りです。江戸時代には大道芸として全国に流布し、かっぽれなどに影響を与えました。現在は、6月14日の御田植神事をはじめ、主要な神事の時に住吉踊りが披露されます。独特の衣装に身を包み、教導師と呼ばれる踊の先生が、中央の傘の柄をたたき拍子をとりながら謡い、音頭に合わせて童女たちが飛び跳ね、団扇を打ちながら踊ります。

住吉の辺りでは、名産の住吉芋を、焼き芋、ふかし芋、芋煎餅などにして売っていたようです。

【雑司ヶ谷の木兎】

鬼子母神堂を有する法明寺(東京都豊島区雑司ヶ谷)で、10月中旬、お会式で授与されるのが、「すすきみみずく」です。すすきの穂を刈り集めて作られ、安産や子育て、健康の守りとして、江戸後期のころより親しまれてきた、東京を代表する郷土玩具の一つです。

 

【勝間村 凧】

かつて、大阪、勝間村(現、大阪市西成区)で、勝間凧(こつまいか)と呼ばれる凧が作られていました。両横に空気受けの袖がついていたので、イカと呼ばれていたのでしょう。あるいは、江戸時代、過熱した凧あげを幕府が禁止したため、イカあげとよんで禁をすりぬけた庶民の知恵の名残りかも知れません。明治から大正にかけ輸出品として多数製作されましたが、昭和初期に消えました。この納札が作られら頃には、勝間凧がまだ住吉名物であったと思われます。

【灘の銘酒】

説明略。

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