遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

磁胎七宝花蝶鳥紋大急須

2024年12月03日 | 陶磁胎七宝

磁胎七宝の急須です。

最大幅 14.3㎝、最大径 9.8㎝、底径 7.6㎝、高 10.9㎝。重 432g。明治初期。

側面、蓋に泥七宝が施された、少し大型の急須です。

先に紹介した磁胎草花蝶紋小急須(写真左)に較べると、

親子以上異なります(^^;

今回は、洒落た趣きの品ながら、手取りは重く、よく言えば頑丈、悪い言えば武骨な造りです(^^;

注ぎ口、把手、蓋摘みなどの造形は、中国風のデザインです。また、竹を模したのでしょうか、これらには、緑釉と褐釉で輪状に節が描かれています。この部分は、形も少し凸になっています。

漉し穴の位置が底近く、非常に低い位置にあります。一方、注口はかなり高い位置にあり、西洋風の銅水注のようなデザインです。全体としては、かなりオシャレです。

では、使い勝手はどうなのでしょう。水を入れて注いでみると、思ったほど激しくは出ません。うまく茶を注げそうです。長い注口のせいでしょうか。この点も、西洋の銅水注と似てますね。

今回の品には、非常に華やかな七宝絵付けがなされています。

色とりどりの草花に加えて、

鳥もいます。

蓋には、蝶が飛んでいます。

この磁胎七宝の絵付けは、これまで紹介してきた十数個の陶胎七宝や磁胎七宝とは大きく異なっています。泥七宝を使った陶胎七宝、磁胎七宝の宿命でしょうか、ほとんどの場合、金属植線で囲われた内側は、単色の色釉が使われています。

ところが、今回の品では、複数の色釉を駆使したり、ボカシの技法が使われたりしています。これは、明治以降、近代七宝釉薬を用いた日本の七宝細工の基本的なスタイルです。これによって、七宝で複雑な絵画表現が可能となりました。

その様式を、今回の品は、泥七宝で試みているわけです。

底銘には見覚えが・・・

中国製として売られていたあの巨大な茶壷(写真左)の底銘です、

同一の「松岡」です。

そういえば、桔梗の描き方などは、両者、似ています。蓋に蝶を配する点も共通。

また、地の部分をハート形の細かな植線で埋めずに、そのまま青釉をベッタリと塗っている事も共通です。そのため、両者の地の部分には、ジカン(細かなヒビ)がびっしりとできています。

それに、重く、武骨な点も共通(^^;

 

 

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磁胎七宝花蝶紋急須(2個)

2024年11月23日 | 陶磁胎七宝

先回に引き続き、磁胎七宝です。

今回の品は、小さな煎茶急須2個です。

 

最大幅 10.3㎝、胴最大径 7.1㎝、底径 5.0㎝、高 5.7㎝。重 101g。明治時代。

胴や蓋には、全面に蝶と花模様が、泥七宝で施されています。

地は、小さなハートで埋め尽くされています。

もう一つの急須も、蝶と花の模様、地はハートです。模様のパターンは、両者でわずかに違います。

2個の急須の表面は、陶磁胎七宝に較べれば滑らかです。

では、今回の品と先回の磁胎七宝目出度尽紋煎茶碗(写真右)とはどうでしょうか。

両方と小さな磁胎七宝で、地模様は同じ、主模様は花蝶と宝物の違いはありますが、全体の雰囲気はよく似ています。

しかし、詳細に観察すると、先回の品(写真右)の方が地模様のハートが小さく、また、表面もより滑らかです。

また、磁器の生地を比較すると、先回の品の方が、精製度の高い陶土を使っていることがわかります。

同じような品ですが、やはり、名工、幹山伝七の作品は精作のようです。

でも、回復途上の左手には、少し粗い今回の品が合う?(^^;

 

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幹山伝七作 磁胎七宝目出度尽紋煎茶碗(4客)

2024年11月20日 | 陶磁胎七宝

先回に引き続き、磁胎七宝です。今回は、煎茶碗4客です。

口径 6.5㎝、底径 3.3㎝、高 5.1㎝。重 66g。明治時代。

器の外側には、泥七宝で細かな模様が施されています。

地は、京都粟田系の陶胎七宝で一般的であったハート形模様で埋め尽くされています。器が小さい分、ハート形も小さいです。

主模様は、吉祥紋の巻軸。

そして、鉤型の宝鑰(ほうやく)です。

他の幾何学紋も、丁字(ちょうじ)や七宝紋といったお目出度いものが散りばめられています。

器の表面は、陶胎七宝に較べて滑らかです。

底銘は「大日本幹山製」。「幹山」は、京都の名工、幹山伝七の銘です。幹山伝七は、京都で、初めて磁器を生産した人でもあります。大日本とあるのは、輸出を意識していたのでしょうか。その幹山が、いち早く、磁器のボディに七宝を施した磁胎七宝を製作した事も興味深いです。

手にとると、実直な人柄であったという幹山伝七の心意気が伝わってくるような気がします(かろうじて、左指で持てるようになりました。まだ全体が腫れている(^^;)

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磁胎七宝草花紋大茶壷

2024年11月18日 | 陶磁胎七宝

ここしばらく書画が続きましたので、少し趣向を変えて、骨董に移ります(^.^)

磁胎七宝の大茶壷です。

幅 14.0m、高 17.6㎝、重 1216g。明治時代。

この品は、中国製として売られていました。

それまで集めていた陶胎七宝と少し違うけど、まあいいか。底銘も、何となく中国風だし。中国でも同じような物が作られていたとして、参考にゲットしておこうと考え、そのままになっていました。

ところが、その後、この品をよく見ると、陶器ではなく、磁器に七宝処理が施されているではありませんか。しかも、底銘は、「松岡」と読めなくもない。「松岡」は、明治期に多くあった輸出陶磁器の業者の一つです。

そんなわけで、これまで集めてきた陶胎七宝の兄弟分を発見し、そちらにも目を向けだした次第です。

七宝釉は、陶胎七宝と同じく、泥七宝です。

茶壷の胴には、桔梗と、

芙蓉?の花が、大きく描かれています。

側面は、幾何学模様。

肩や、

下側面も、幾何学模様。

蓋には、レトロモダンな模様が施されています。

明治、大正時代の絵ハガキを見るかのようです。

以前に紹介した「陶胎七宝花鳥図茶壷」と並べてみると、器形や模様の配置はよく似ていますね。

右の品「陶胎七宝花鳥図茶壷」は、その銘「安田造」から、京都粟田系の品と判断されます。

では、今回の品、底銘「松岡」は、どこの産地の物でしょうか。

 

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陶胎七宝小急須

2024年08月09日 | 陶磁胎七宝

今回の品は、陶胎七宝の急須です。

小形ですが、ズシリと重い品です。

 

 

 

 

 

横 (注口、把手含む) 11.3㎝ 、底径 7.2㎝、高 6.5㎝。重 208g。明治初。

 

本体:胴径 6.5㎝、底径 7.2㎝、高 4.9㎝。重 123g。

蓋:径 5.0㎝、高 2.1㎝。重 85g。

古い金直しがあります。

七宝釉は、これまでの品と同じく泥七宝の色釉です。

しかし、地の植線はハート形ではなく、雲?のような不思議な形です。

また、胴には、花のような幾何学模様が大胆に配置されています。

 

この主模様も、これまでの品には見られないパターンです。

そして、今回の品の眼目は、これ。

窯疵を色釉で分厚く塗って覆い、焼成してあるのです。

これは、まるで、古九谷ではありませんか。

分厚く重い銀の蓋には、

作者の銘が、ドーンと入っています。

以前紹介した陶胎七宝四方香炉は、もともとの茶器の蓋が破損したため、唐木で蓋を作り、香炉に仕立てた物でした。

今回の品も、陶器の蓋が壊れ、銀の蓋をしつらえたのでしょうか。

どうも私には、初めから銀の蓋の陶胎七宝急須として作られたように思えてならないのです。

おそらく、趣味人が、自分用に作らせたのでしょう。

これまで紹介してきた19個の陶胎七宝のうち、美術的にもっともすぐれた品は、今年1月に紹介した陶胎七宝蝶紋コンポートです。

しかし、私が一番にしているのは、今回の品。

今度は、この急須で、お茶を淹れてみます(^.^)

 

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