遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

伯庵手?黄瀬戸茶碗

2019年03月31日 | 古陶磁ー全般
伯庵茶碗

世に伯庵茶碗という名物があるそうです。
利休の弟子、医師伯庵が秘蔵していた黄瀬戸茶碗に由来します。

こういう品は約束がやかましく、私のようないい加減な人間には苦手な物です。

加藤唐九郎の原色陶器大辞典には、伯庵の十誓という10の約束事が記されています。
①枇杷色
②海鼠釉
③しみ
④三日月高台
⑤縮緬皺
⑥轆轤目
⑦きらず土(おから色の土)
⑧茶だまり
⑨小貫入
⑩端反り


伯庵手?黄瀬戸茶碗

先回の黄瀬戸茶碗を、この条件でチェックしてみます。

①枇杷色



 きれいな枇杷色です。

②海鼠釉



 海鼠釉と言えなくもない。

③しみ



 大きな雨漏りがあります。

④三日月高台
 NO. 付け高台では、あり得ません。

⑤縮緬皺
 無し。

⑥轆轤目
 見事な轆轤目があります。

⑦きらず土(おから色の土)
 OKです。

⑧茶だまり
 しっかりと、有り。

⑨小貫入
 無し。

⑩端反り
 無し。

総合すれば、55-60点というところでしょうか。

伯庵茶碗は、10個ほどあるそうですが、納まるところへ納まっていますので、一部の美術館をのぞいて、そう簡単に見ることができません。
ましてや、手に取ったり、お茶を喫することなどはあり得ません。

そこで、私のこの茶碗、大まけにまけてもらって、伯庵手?黄瀬戸茶碗の名をつけさせてもらい、もう少し育てていこうと思っています。

PS.
実は、この伯庵手?黄瀬戸茶碗とほぼ同一の品があります。

白山信仰の総本山、長滝白山神社は、古瀬戸黄釉瓶子(国重文)で有名ですが、若宮修古館(現在,改修中休館)の宝物庫にも社宝が収蔵されています。その中の一つが、今回の品と同じ手の黄瀬戸茶碗です。

「室町時代、茶碗」とだけ表示され、粗末なガラスケースにさりげなく入っていますが、まぎれもなく無傷伝世の黄瀬戸茶碗です。
白山神社、恐るべし。




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黄瀬戸茶碗

2019年03月29日 | 古陶磁ー全般
たまには名品、やはり迷品?

たいした品が並んではいない、いつもの骨董屋。

オヤジがいつになく嬉しそうな顔をして、奧から出してきた風呂敷包み。

もったいぶって開けると、名品の予感。

『東京の陶々庵が欲しがっていたけど・・・・・・』

この種の殺し文句にからきし弱い私。
大枚をはたいて、一目散に家へ。






黄瀬戸の茶碗

発掘伝世でしょう。
上品な枇杷色の釉薬がかかっています。
使われているのはキメの細かな白肌色の土で、高台から上3分の1ほどは土見せです。
薄造りで、一気に引き上げた轆轤の勢いが伝わってきます。

室町時代の灰釉茶碗ですが、これはもう、黄瀬戸の茶碗と言ってよいでしょう。

しかし、黄瀬戸茶碗が素人の所へやって来る、そんなことがあるだろうか?

この時代の灰釉茶碗は、瀬戸、美濃両方で作られています。
この茶碗は、どちらでしょうか?



しばらくして、知人から、陶片をもらいました。





これは、まぎれもなく、灰釉茶碗の陶片です。
しかも、瀬戸。なぜなら、知人は瀬戸の人(笑)。

私の茶碗と比較してみます。





両者、似ているけれども、違いは歴然。

釉薬が全然違います。
透明感があり、ツルツルとした肌触り、冷たい感触の瀬戸に対して、
鈍いマットな枇杷色、柔らかでしっとりとした感触。

荒く堅い土の瀬戸に対して、
キメ細かく柔らかな土。全体が薄造りです。

削り出し高台の瀬戸に対して、
付け高台。

このように比較していくと、
私の茶碗は、美濃で焼かれた黄瀬戸茶碗と言えるのではないでしょうか。


謎の石噛み

もう一つ、この茶碗の特徴は石噛みです。

美濃や瀬戸の中世陶で、こんなにも多くの石を噛んだ品を見たことがありません。








ざっと見渡したところで、少なくとも8個の石を噛んでいます。

石の所から、短いニュウが伸びていますが、雨漏りもみられます。

唐津などには、意図的な石噛みもあるようです。
が、味をだすためだけなら、この茶碗のように多くの石を噛ませる必要はないでしょう。

これだけの石が入っていても、この薄造り。しかも、内側は、石の混入が感じられないほど、なめらかに処理されています。

わざわざこのような土を用いた理由は、何なのか、不明です。


お茶を飲んでみる

この茶碗が発掘されてから、どれだけの人の手にのったのでしょうか。
瀬戸の陶片と較べると、あまりの違いに驚きます。
数百人の喫茶で使い込まれた位では、ここまでなめらかな感触にはならないでしょう。

とにかく、おどろくほど手にフィットします。
しいて表現すれば、たなごころに優しい。

そこで、茶を点ててみました。
ちょうど良い具合の茶だまりで、心得の全くない私でも、そこそこにできました。





うーん、のみやすい。

かつて、大コレクターのお宅にうかがったとき、犬山城主成瀬家伝来の光悦茶碗で茶をいただきました(手が震えた)が、お茶を飲むには私の茶碗の方がいい。














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池大雅が1000円で来ました

2019年03月23日 | 文人書画
久しぶりのネットオークション

毎日、パソコンの前に陣取って、バシバシ落札していた頃が懐かしい。

今や、気力、体力、財力 ・・・・・・ ネットオークションの3スピリッツ、いずれも衰退。
どうやら、この3つはシンクロしていますね(苦笑)。

勘を失なわないよう、久しぶりにクリック。
ほとんど競争相手がいない安全運転で落札。

ピンポーン。
宅配業者かどうか、もう雰囲気で分かるようになってます。何事も場数です。

玄関まで運んでもらいます。

お、お、重~~い!



何と、12kg以上あります。

気がつけば、そこには、つれ合いの姿が。

そして、例の決まり文句。

「また買ったの!いくら?」

いつもなら、ここで一呼吸あるのですが、
この日は、間髪をいれずに・・・・・・・

「千円でございます」

「ウソでしょ!本当はいくらなの?」

バッと落札画面を見せて、どうだと言わんばかりに一件落着。


池大雅『東山清音帖』

池大雅の『東山清音帖』です。
瀟湘八景の扇面図と書が一体となった、池大雅晩年の傑作です。

もちろん、復刻。新たに発見された江戸時代の古版木を使って丁寧に刷り直した品です。
毎日新聞社、昭和58年、限定300部。定価37万円。

この品、ネトオクには、いくつか出品されていますが、なかなか入札者がいません。
その一つを、開始価格¥1000で、ゲットしたわけです。

大きな段ボール箱の中には、さらに帙が2つ。


青い帙箱には、専用の額が入っていました。




もう一つの帙が本体です。


これを開けると



中味は、瀟湘八景の8図とそれぞれ対応した書8枚です。






































人物の飄々とした描写。文人の理想を、ここまで描ける様になるには、天才大雅をもってしても、晩年を待たねばならなかったのでしょうか。







木版刷りにも見るべきものがあります。
同梱の解説書によれば、この古版木は上方版木とのこと。この版木を使って、伝統を引き継ぐ現代の上方刷師が制作したのがこの復刻版です。
シャープさを特徴とする江戸刷りに対して、上方の刷りは、やわらかな曲線を得意とするそうです。文人の書画のほのぼのとした感じは、上方刷りに向いているのです。



刷られた書をよく見ると、墨がきれて薄くなっていく部分が、実にうまく表現されています。

池大雅の肉筆「東山清音帖」と比較すると、この部分も含め、かなり忠実に刷られていることがわかります。





せっかく購入した品です。
額をつるすために、吊り金具を買いました。
2個で、¥2592。
池大雅の倍以上。




        なかなかきまっています。

これで、文人の雰囲気にひたれます。

つれ合いの表情も、今回はこころなしかおだやか。













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姿が見えない2匹

2019年03月22日 | 故玩館日記
花盗人は誰?

春満開! といきたいところですが・・・・・・・


   モクレン、無惨です。どの花もこんな状態。



紫モクレンもよく見ると・・・・・・・食われてます



  おー、さすが、コブシは大丈夫・・・・・・と思いきや



     よーく見ると、こんなのばかり


            










           ムクドリ                 ヒヨドリ

どうやら犯人は、このどちらか。
でも、両者、よく似ている。

ヒヨドリは全体的に灰~黒なのに対して、
ムクドリのくちばしと足は黄色だそうです。
これなら何とか見わけられそうです。

が、ここで問題が・・・彼らは夜明けとともにやって来る。
鳥は早起き!
ところがこちらは、春眠暁をおぼえず。

今、ジャガイモの植え付け時期です。
かつて、叔母から、「コブシの咲くまでには植えよ」と教えられました。

かろうじて、コブシの花が咲いてよかった。
無事、ジャガイモを入れ終えました。



こんな感じで、例年通り、5列(ダンシャク、メークイン、キタアカリ)。
6月には収穫。ジャガイモは、生育期間がすごく短い優等生です。
親戚、近所、知人などに配っても、段ボール5箱、自家用に残ります。

で、その蓄えを、どんなに頑張って食べても、翌年2月まで残ります。
当然、芽が伸び放題。まるでタコ状態ですが、取り去ってしまえば、なんら不都合無し。味はOKです。

芽止め剤の使用は日本では許可されてませんが、密かに(自家用?)、○○○○5万倍希釈を散布している人がいるみたいです・・・・・・恐ろしい!


音はすれども姿は見えず

もう、3年以上になるでしょうか。
夕食頃になると、決まって、壁の向こう側で、カリカリと音がするのです。
壁をこちら側からドンドンと叩いても、音は止みません。そのうち、静に。
そして、夜明け前、4時頃にもカタカタ、カリカリ。

こりゃあ、何かいる。夜行性の動物が。
しかし、どこをどう捜しても何も見つかりません。

毎夕と早朝、決まってカリカリ。

そのうちに、押し入れの天井にシミが!!

これは一大事。病気でもうつされたら大変。

天井裏へ登るか?
オオカミの匂いの忌避剤がいいらしい。
いや、バルサンの方が・・・・・
なかなか方針が決まりません。

どこかに出入り口があるはず。

必死で捜して、ついにそれらしきものを発見しました。

何と、玄関脇に動物の毛が。

その辺りをくまなく捜索。



怪しい場所を発見。ポット脇の何でもない所です。


懐中電灯で照らしてみると、毛や屑が散乱。


大胆にも、ここから出入りしているらしい。

レンガで塞ぎました。




もう、それからは、ピタリと音はしなくなりました。

あの音の主はどちら?




        アライグマ              ハクビシン

うーん、両者似ている。
アライグマのシッポは太くてマダラ模様。
ハクビシンのしっぽは細長く灰茶色。
違いは、これくらい。

どちらが壁裏に住んでいたのでしょうか?





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二つある遊行柳の絵

2019年03月20日 | 能楽ー実技




       先日の冷え込みで雪化粧し直した伊吹山
      (横に走るのは伊吹山スカイライン、冬期閉鎖中)


二つの遊行柳

能・遊行柳には、よく似た絵が二つ存在します。
作者はいずれも、橘守国。


                       橘守国『謡曲画誌』 「遊行柳」(版画)




                   橘守国 肉筆画 「遊行柳」

上の絵は先に紹介した『謡曲画誌』遊行柳の図です。
下の絵も同じく橘守国ですが、肉筆画の遊行柳です。

実は、偶然にも、『謡曲画誌』の原画13枚を入手したのです。江戸時代の版画の原画が見つかることは非常に稀です(詳しくは、後のブログで)。

その内の一枚がこれ。屏風剥がしだと思います。
淡く彩色がなされています。
ところが、この肉筆画は、版本『謡曲画誌』中の遊行柳の図とは異なっています。一方、他の原画は、12枚すべてが『謡曲画誌』中の図と一致します。

両方とも、柳の下に小川が流れ、その脇に立つ人達が柳の大木を眺めています。
しかし、詳細に見ると、2枚の絵は少しずつ異なっています。

では、この2つの絵はどの様にちがうのでしょうか?

①絵の中に書かれている和歌が異なります。
 上の絵は、西行法師の和歌。
     「道のべに清水ながるる柳蔭 
              しばしとてこそたちとまりつれ」
                   西行 「新古今和歌集」
 
 下の絵は、素性法師の和歌。
   「見わたせは柳さくらをこきませて 
                 都に春のにしきなりける」
                          素性 「古今和歌集」

②柳の木が違います。
 上の絵では、朽ちた老柳を一本だけ、下の絵では、柳の大木と桜の大木、2本を描いています。

③人物が違います。
 上の絵では、老人と上人、従僧の3人、下の絵では、上人と従者?の2人が描かれています。

①②③から、上の絵は、能・遊行柳の前場、下の絵は後場を表していることがわかります。

西行法師の歌は能・遊行柳の前場、素性法師の歌は後場に出てきます。
また、桜は、後場に登場します。
さらに、上の絵の3人は、上人一行と老人で、前場の登場人物です。それに対し、下の絵は、上人一行の2人のみ。他に人物は描かれていません。柳の精は、人には見えないからでしょう。

つまり、橘守国の2枚の絵は、非常によく似た構図の絵ではありますが、遊行柳の前半と後半、それぞれを描き分けた物であったのです。

結局、『謡曲画誌』遊行柳には、能前場から、朽ち柳下の老人と上人一行」の図が、能後半から、桜の木の下での蹴鞠図が取り上げられているのです。

前場と後場からそれぞれ一枚ずつ、これが『謡曲画誌』の編纂方針だったのでしょう。
そのため、この原画はボツになった!



橘守国肉筆画 「遊行柳」に描かれた後場の情景によく似ています。

実は私、まだこの地を訪れたことがありません。

いつか、柳葉と桜の花の下で、橘守国の原画を見ながら、描かれてはいない柳の精を捜してみたいと思っています。



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