遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

百年!?駄鉢

2024年01月10日 | 古陶磁ー国焼

今回は、雑器中の雑器、美濃焼の鉢(丼)です。

左:径 17.0㎝、底径 9.6㎝、高 6.2㎝。重 617g。大正―昭和。

右:径 17.9㎝、底径 9.9㎝、高 5.5㎝。重 608g。大正―昭和。

骨董市にいくらでも転がっていそうな品で、ブログに出すような代物ではありません(^^;

美濃、多治見か土岐の駄知あたりで大量に作られた美濃焼の品でしょう。

駄知で作られたダダクサな鉢 ・・・・・・・

駄馬ならぬ、駄鉢とネーミング(自嘲気味 ^^;)

左の駄鉢:

伝統的な一樹一屋の図です。底は碁笥底。一番の特徴は器の厚さです。現在の売られている鉢の倍ほどあります。器がそれほど大きくないので、ひどく重いとは感じません。

右の駄鉢:

器の造りは、左の駄鉢とほぼ同じ。

異なるのは、絵付けです。雑器にしては、なかなか洒落ています。

ダミの使い方が雑器にしては丁寧です。

よく見ると、葉脈は墨はじきで描かれています。

そして、この駄鉢の最大の特徴は・・・・・・・・

器をグルっと一周するほどのニュウです(^^;

ニュウは、反対側まで、見事に抜けています。

あまりにも危なっかしいので、数年前、私が漆を浸み込ませて留めました(気やすめ(^^;)

どうして、ここまで見事なニュウができたか?

その答えは、この鉢の年齢と使われ方にあります。

私が物心ついた頃には、もう今回の駄鉢たちは、食卓の上にありました。おそらく戦前から使われていたのでしょう。

それからずっと、今に至るまで、ほとんど毎日、この駄鉢たちは活躍しています。煮っころがしなどを盛るのに最適だからです。

深いニュウきずを追っても、なおけなげに現役。

百年戦士かもしれない鉢に、里芋を盛りました。

今年は干ばつで十年来の不作。大きな芋は全くありません。そのまま皮をむいたら、実がなくなってしまいそう(^^;

そこで思いついたのがキヌカツギ。

赤ちゃん芋を美味しく食べるうまい方法です。

ん!? これが衣カツギ?

鬼太郎の親爺かベビー布袋さん。

でも、上下逆転すると、

「衣被ぎ」(きぬかづき)を深くかぶった、平安時代の高貴な女性が浮かんできます(^.^)

剥いた部分に生姜醤油をチョンと付け、

「衣被ぎ」を指でギュッと押してやれば、つるりと白肌の小里芋が口の中に入ります ・・・・・うーん😋ウマイ。

指と口がとまりません(^^;

駄鉢の活躍は、まだまだ続きそうです(^.^~)

 

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万古焼秋草紋煎茶器

2022年10月08日 | 古陶磁ー国焼

このところ紹介している赤絵磁器は、ほとんどが疵物で、私が素人金継ぎを施した物でした。

それならこれも、と登場したのが今回の品、万古焼の煎茶器です。

急須:径 7.8㎝、高 7.2㎝。湯さまし:径 9.4㎝、高 4.1㎝。茶碗:径 7.1㎝、高 4.6㎝。明治ー昭和。

風雅な秋草紋が盛上げ赤絵の手法で描かれた万古焼です。

この手の品は、明治から連綿と作られてきたので、正確な時代はわかりません。が、盛期の物に較べれば、少し造りが甘いので、伝統的万古焼の末期、戦前頃の品だと思われます。

菊の絵は、胴から蓋へと続いています。把手の透かしや回る蓋摘みは、万古焼急須の定番です。

明治万古のように、極端な薄造りではないので、気楽に日常使いできます(^^;

欠けやニュウは、私が修理しました。

土質の肌に鮮やかな盛上げ色絵。完成度の高い絵付けです。

今回の品は、骨董市で、わずか0.7K円でした。

現在、万古焼は健在ですが、作家物をのぞいて、伝統的な色絵万古は作られていません。どうして廃れてしまったのかよくわかりません。煎茶とともに、過去の遺物になってしまったのでしょうか。

格安の万古煎茶器で一服するたびに、首を傾げる遅生でした(^.^)

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九谷庄三銘『竹林賢人・牡丹図三足香炉』

2022年09月18日 | 古陶磁ー国焼

先回に引き続き、幕末ー明治期の香炉です。

 

 

 

横(把手含む) 13.6㎝、縦 10.3㎝、高(火屋含まず) 7.8㎝。幕末―明治。

九谷焼の香炉です。

赤絵で、非常に細かな絵付けがなされています。

竹林七賢人図だと思われます(七人そろって描かれていない図も多い)。

反対側は牡丹の花。

 

耳(把手)は獅子でしょう。

地は、青海波や幾何学模様で埋め尽くされています。

底には、「九谷庄三」の銘が書かれています。

九谷庄三(しょうざ)は、幕末に活躍した九谷焼の名工です。人気が高かったのでしょう、同じ名の品がたくさん作られました。結果、どれが本物の庄三の作か、素人では見分けがつきません(^^;   京焼の「仁清」のようです。

今回の品も、「庄三手」としておくのが賢明でしょう(^.^)

 

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薩摩焼『武者・羅漢図五足香炉』

2022年09月16日 | 古陶磁ー国焼

今回の品は、幕末―明治にかけて作られた薩摩焼の香炉です。

反対側:

 

 

横 14.5㎝、縦7.6㎝ 、口径 7.4㎝、底 7.2㎝、高 11.3㎝。幕末ー明治。

太鼓型の胴に五本の猫脚がついた香炉です。

白土の胎土に白化粧をし、その上に精細な絵付けがなされています。

武者合戦図と羅漢図が描かれています。

金で輪郭を描き、細部を色絵でビッシリと描きこんでいます。

反対側も精細図、多数の羅漢さんが描かれています。何かの一場面でしょうか、羅漢さんたちが、香炉を焚きながら掛軸を鑑賞しています。

両側の把手は、細かな龍の細工になっています(片方は、破損修理)。

この時代の薩摩焼は、精細な描写の絵付けとともに、細かな地模様が特徴的です。

今回の品では、青海波や幾何学模様が、色絵盛上げ技法で描かれています。多数の小さな点が、一つ一つ丁寧に色釉で打たれています。

今の我々の感覚からするとクドイですが、当時、このような日本の工芸品が、海外で人気を博しました。

この品は、ガラクタ類に目を向け始めた駆け出しの頃に入手した物です。右も左もわからないまま購入しました。結構なお値段でした。まだ、染付の良さはわからず、伊万里焼は敬遠、色絵の方がなじみやすかったからです。陶器と磁器の区別さえおぼつかないまま、外国人の眼で薩摩を眺めていたのかも知れませんね(^.^)

 

 

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肥高山富善銘釉下彩梅鳥紋飯茶碗(五客)

2022年09月14日 | 古陶磁ー国焼

今回は、明治に肥前で作られた飯茶碗、五客です。

 

径 1.8㎝、高台径 4.3㎝、高 8.2㎝。明治。

先回と同じような飯茶碗です。先回は山水紋でしたが、今回の品には梅花、草花、鳥が描かれています。

本体と蓋は、内、外共に、同じ絵付けです。

 

例によって、この品も、じっくりと眺めるのは初めてです。

染付で梅の幹と花を描き、ピンク、緑の色釉を使って上絵付をした・・・・とばかり思っていました。でも、よく見ると、すべて上釉の下にあります。釉下彩なのですね。この時代の先進技術を使ったのでしょう。特に、緑の線の鋭さと色の鮮やかさには驚きます。

対照的に、染付部分は少しボケています。鳥の飛び方もおぼつかない(^^;

 

 

内側の梅は、本体、蓋ともに、外側の梅枝の続きが描かれています。

今回の品の蓋表には、「肥高山富善製」と書かれています。

明治期、肥前では、新しい窯が続々誕生しました。中でも、富永源六が創始した源六焼が有名です。この窯は、明治21(1888)年、佐賀県嬉野市嬉野町で起こり、釉下彩の高級食器を生産して人気を博しました。

富永源六の弟、富永善九郎が作ったのが、「肥高山富善製」と銘がある今回の品です。はっきりとした製作年はわかりませんが、明治中頃だと思われます。伊万里の伝統を生かしながら、新しい時代にマッチした磁器を生産しようとした人たちの心意気が伝わって来るようです。

 

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