祖父の花道具類の中に、古い記念写真帖がありました。
『第一回諸流生花聯合大会』とあります。
地元の新聞社(現在もある)が主催して、昭和10年3月に開催されました。
現在、各地で同様の催しが開かれていますが、その先がけでしょうか。
集合写真からは、参加者の熱気が伝わってきます。
半分以上が、女性です。
この生花大会には、大日本則天門、正風遠州流、、岐阜未生流、正統則天門、千家古流、池之坊、舊御室御所千家御流、御室宮容眞流が参加しています。
当時の活花界の全体像を知る資料として、その一部を紹介します。
大日本則天門:
正風遠州流:
松月堂古流:
岐阜未生流:
正統則天門:
千家古流:
池之坊:
舊御室御所千家御流、御室宮容眞流:
流派によって、活け方に違いがあることは何となくわかりますね。
しかし、〇〇流の特徴は何か、と聞かれても、答えに詰まります(^^;
昭和には半分以上も女性ですか(@_@)
多分、明治では殆ど男性だったと思います(^^♪
お写真では殆ど立華ですね。(立華・立花は「たてばな」とも「りっか」ともいいます)
生花(しょうか・せいか)も流派で読み方がちがいます。ついで言うと、生け花だって、活け花も生花も活花も(;^_^A
私は自由花というものから習いましたが「真・副・体」を初めに教えていただきました。
池坊では「天・地・人」の形でと教わるかな??「真・行・草」もあるかな?
流派によって変わるので(茶道もそうです)ややこしいです。免状授与では「小笠原流」礼法で!でしたし(笑)
先に遅生さんに生け花を(立華)おすすめしたのは、生け花を習うということだけでなく、
見学的なことも含めてですので、どうか、古典華を活けるところをご覧になれてくださいね。
地元の生け花協会にご連絡すればいいと思います。
もしかしたら!!遅生さん宅の花器全部を使った花展(華展)につながるかも。
故玩館が花いっぱいになるかも
°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
我が県内のこのような催しを何度か見たことがありますが、これほどの規模と熱気は感じられませんでしたね。
昔のほうが盛んだったんですね。
この写真集も、編纂し直すと、立派な1冊の本になりますね。
この時代はもう少し大人しい生け花を想像していましたが、けっこう各流派ともに右に曲げたり斜めに大きく作ったり・・華やか志向だったんですね!
古流とか書いてあっても全然大人しくないし・・
正統則天門?の花器なんて何かブロンズ像のようなものに活けているように見えます👀
クリンが見てすぐに分かるのは池坊だけです🌼←まさに床の間・仏だん(檀)を飾る花ですね⤴✨
(お花といえば、少し前の記事の円空の入定の地の藤の花の話がとってもステキだと思いました~✨)
私は、用語一つ知りませんから、トンチンカンな事を書いていないか、心配です(^^;
当然のことながら、いけばなには、基本的なルールや型があるのですね。
以前、海外で、現地の人が活花を習っている人がいて、あれこれ聞かれて冷や汗をかきました。向こうは、日本人なら当然詳しいと思って聞いてきているのでしょうから。
粋や禅について説明するよりはマシですが、それでも素人には難しいですね。
うばゆりさんのおすすめの古典華、何とかやってみたいです。
無料で雰囲気に浸れる(^^;)ので時々行きます。
みな、上手ですね。
祖父の孫弟子にあたる人がいて、豪快な活花を出品しています。
お祖父様すごいですね!
第一回大会出場選手でしょうか??(^^)
選手じゃなくて審査員ですかね??
いずれにせよ戦前の貴重な資料ですね!
うちは母が少し花を趣味で習っていました。
そのせいもあってかやはり陶器などは古いものではないですが多く家にありました。
そう言った環境が私の蒐集に繋がるも影響はあるのかなあと思います。(^^)
女性も、これでもか、という具合に活けています。
正統則天門のブロンズいけばなには、私もドッキリしました。
大きなブロンズの人物が、頭の上に台をのせています。その上に花瓶を置き、花をいれています。大胆です。
正統則天門の出品者はほとんどが女性、この作品も女性が出展しています。
花はいずれ散る運命にあります。いけばなは、そのはかなさを前提として、限られた時間、花の生命力を最大限に表現しようとする芸術といえると思います。
どこか、円空の生き方に通じるところがありますね。
その点では、祖父ののこしたわけの分からない大量の物は、格好の遊び道具だったわけです。
私のガラクタ遊びは、その辺から始まったことは確かです(^^;
ぽぽさんも、お母さまの陶磁器に接するうちに、惹かれるようになったのでしょうね。
そうやって世代を繋いでいけると、ガラクタも宝になりますね(^.^)