遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

これぞ組立式座椅子

2022年10月21日 | 能楽ー工芸品

 

 

壁に飾るほどの価値のない駄古面たちを置いてある棚の一角に、仮面とは思えない物を発見しました(単に置いたのを忘れていただけ(^^;)

開いてみると、

丸っこい木が一つと四角い木が二枚。

さらに、丸い木の中には、横長の木が2個、入っていました。

大きな木、三つには、ホゾが彫ってあります。どうやら組み木のようです。

溝の凹に合う凸を嵌めていく事にしました。

まず、四角い板に横棒。

細い横棒も嵌め込みます。

もう一枚の四角い板を合わせて、凹をに凸を嵌めると・・・

こんな形になりました。

向きを変えれば、

受け台のようです。

丸い板に乗せて、凹部にホゾを嵌めれば、

これこの通り、

裏返して、

完成!(^.^)  

幅 22.4㎝x13.3㎝、高 14.2㎝。明治時代。

これは、座椅子ですね。

highdyさんに教えてもらったPC技で、おさらい。

実はこの品、能に興味をもち始めた数十年前、まずは定番の謡曲から習い始めた時に購入した物です。とにかく、正座には難渋しましたから(^^;  その後、何処へ行ったのかわからなくなってしまい、仕方なく、以前のブログで紹介した、今出来の安直な座椅子(下写真)を使っていたのです。

木組みではなく、マジックテープで座部に脚をくっつけるだけの物です。しばらく、謡曲の練習に使っていました。が、歳をとるにつれ体重が減少、何とか正座ができるようになり、この品は不用となりました。その後の、小鼓や能管の稽古も、座椅子無しでいけました(^.^)

今回の木組みの座椅子には、「明治四拾四年拾壱月参日新調 八条 藤司」と書かれています。京都の藤司さんが、明治44年に入手(注文品?)された品であることがわかります。

二つの座椅子には、100年の時間差があります。

私と藤司さんは、一世紀をへてめぐり合った座椅子兄弟!?

座椅子は、時代の変化を、尻の下で受け止めてきたのですね(^.^)

 

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豆土人形『高砂』『熊野』

2022年07月07日 | 能楽ー工芸品

ここしばらく、能の土人形を見てきました。

面と同じく、私の蒐集は、人形の場合も基本的には木彫品なのですが、こういう土物や金属製の人形も紛れ込んでいます。そこで、今回は在庫セール。うっかりすると見過ごしてしまいそうな豆土人形を探し出しました。

『高砂』

尉、高 4.4㎝、姥、高 4.1㎝。昭和。

尉は立ち、姥は座る。尉のみ箒持つ。

 

『高砂』

尉、高 3.6㎝、姥、高 2.5㎝。昭和。

立っている尉と姥の豆人形です。二人とも箒を持っています。

 

『熊野』(あるいは『船弁慶』)

高 4.0㎝。昭和。

 

『熊野』

高 3.6㎝。昭和。

右手に扇、左手に母からの手紙を持っています。 母の病気の知らせに、帰郷を平宗盛に願い出るも、聞き入れられない場面です。カンナクズで手紙を表すとは、芸が細かい(^^;

 

これらの豆人形の時代や産地はわかりません。お土産品の類でしょう。

掌にピッタリおさまるので、愛玩には最適です。

一緒にこんな物も出てきました。

高 1.8㎝。昭和。

中国の故事に関係した物?それとも、角兵衛獅子でしょうか。

 

同じ土人形でも、こんなにも違いがあるのですね。

 

博多人形が入れば、いっそう多彩(^.^)

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京人形『猩々』

2022年07月06日 | 能楽ー工芸品

能の土人形はまだありました。『猩々』です。

幅 14.2㎝cm、奥行き 8.0㎝、高さ 22.2㎝。昭和。

彩色土人形は古くから京都で作られてきました。京都らしい落ちついた雰囲気の品です。

かなり時代が付いた桐の共箱に入っていました(桐は他の材より早く時代が付きますが)。おそらく、戦前の品でしょう。平安祥鳳の銘があります。

能『猩々』は、これといったストーリーがあるわけではない祝言物の一つです。『高砂』よりももっとシンプルに、汲めども尽きせぬ壺の酒で、常しえの世を祝福します。

主人公の猩々は、人ではなく、空想の動物、赤く酔った妖精です。

そう思うと、酔っぱらった男の顔が、人を越えたもののようにも見えてくるから不思議です(^.^)

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博多人形『黒塚』

2022年07月05日 | 能楽ー工芸品

先回のブログで、能の土人形『江口』を紹介しました。

もう一つ、大きな能の土人形がありました。

能『黒塚』(観世流のみ『安達原』)です。

幅 30.8㎝、奥行き 19.3㎝、高さ 45.3㎝。昭和。

博多人形には、能を題材にした作品が多くありますが、ほとんどは『羽衣』や『熊野』のように、優美な女性の舞い姿の物です。その意味では、今回の物は例外的です。依頼製作の品かもしれません。

能『黒塚』は、『道成寺』、『葵上』とともに、三大鬼女ものといわれ、いずれも強い怨み、怒りを持った女性が主人公です。

【あらすじ】諸国行脚の山伏たちが、奥州、安達ケ原の一軒家に宿を求めます。主の女は、一度は断ったあと、一行を不憫に思い招き入れます。そして、糸車を回しながら、 自分の境遇を悔やみ、人生の虚しさを嘆きます。その後女は、奥の寝室を決して見てはいけないと言い残し、薪を取りに山へ出かけます。従者が女の部屋を覗くと死体が山積しており、一行は慌てて逃げ出します。女は怒り、鬼女となって襲いかかります。しかし、山伏たちに祈り伏せられ、去って行くのでした。

裏切られた女が怒りのあまり鬼女となって襲いかかる場面です。

裏切られた怒りと悔しさにあふれています。

博多人形特有の細やかな彩色が生きています。

シテが手にしている扇も土でできています。

 

般若面は沸騰する怒りをあらわしていますが、

やはり、どことなく哀し気な表情が見てとれます。

後ろ姿にも、業を背負った人間の悲哀が滲み出ています。

旅の一行をあばら屋に招き入れ、暖をとってもてなそうと、山へ薪を取りに行っている間に、自分の一番恥かしい部分を見られてしまった ・・・・・・女との約束を破ったのも人間、それに怒り狂い鬼女となるのも人間。

能『黒塚』は、永遠に逃れようのない人間の業と哀しみを、山奥に棲む鬼女と山伏たちによって炙り出す物語なのです。

作者太田卯三夫は、博多人形伝統工芸士。

かなり大きな人形ですが、

両足で立っています。

足の下に箸ほどの太さの木が着いていて、それが木の台に差し込まれています。よく、これだけでもつものです。

先回の相良人形と較べると、同じ土物ながら、作行きの違いに驚かされます(^.^)

 

 

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相良人形『江口の君』

2022年07月04日 | 能楽ー工芸品

先回のブログで、江戸時代の土佐派画家、土佐光孚の能画『江口』を紹介しました。今回は、同じく能『江口』の土人形です。

幅 13.4cm x 奥行 5.7cm x 高 14.0cm 。昭和。

花魁姿の江口の君が、白象に乗っている人形です。白土に、控えめな彩色が効果的です。

俗にまみれた女郎の身ながら、仏法の真理を説き、解脱して普賢菩薩となり、象に乗って西の空へ消えて行く所です。能『江口』では、淀川の舟遊びの船が象となり、江口の君は次第に透明で崇高な普賢菩薩の姿に変わっていきます。もちろん、能舞台ですから、大げさな仕掛けや変わり身の演出はありません。かわりに、観客の側が、演じられる舞台から、象に乗って去って行く江口のイメージを自分の中に創っていくことになります。

相良人形のこの品は、そのような『江口』にうまくマッチしていると思います。特に、相良人形の特色である三角眼でややうつむき加減の表情が、薄幸の女郎から気高く崇高な菩薩へと変身していくさまを良く表していると思います。

この品の作者、相良隆は、江戸時代、寛政年間に、米沢(山形県)で始まった相良焼の7代目、戦中に途絶えた相良焼を、戦後復興させた人物です。

能の土人形では博多人形が有名ですが、写実的な博多人形とはまた異なり、相良人形は、能の奥深さを素朴な姿形の中に秘めていると言えるのではないでしょうか。

 

 

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