遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

ここにもあるぞ、三種の神器

2019年04月27日 | 面白グッズ




今年はダメかと思っていましたが、なんとか冬越しして、咲いてくれました。半ば枯れかけていますけど。
多分、来年もまた同じセリフを言うことになるんでしょうね。


さて、ワケのわからない物ばかりの山をゴソゴソしていたら、こんな箱がでてきました。



こりゃ、何だ?

で、フタをあけてみると・・・・・




何かが納まっています。



麗々しく袋に入れられた品が3個。


まず、一つめ。



袋の中味は・・・・・


錆びた短剣です。
結構、鋭い。
銘もあるようですが、錆てよめません。


つぎは、これ。


中からは・・・・・



銅鏡です。


何の模様なのでしょうか?
下方に桐、右に鳳凰、左に橋?


最後の袋です。



中には、玉が2個と勾玉他。




こりゃあ、もう、三種の神器できまりです。



やっぱり、三種の神器です。
明治10年に新調された品です。

いかにもチープ?

それに較べて、




                 三種の神器(Wipikediaより拝借)

なるほど、本家は確かに立派。

三種の神器は、天皇家が天皇家である証だそうです。
即位式には、必須のアイテム。

やっぱり本物は違う。


ちょ、ちょっと、待った!
三種の神器って、見た人は誰もいないのです!

上のもっともらしい写真は、想像の産物にすぎません。

大体、平家滅亡の時、幼い安徳天皇とともに壇ノ浦の藻くずと消えたはず ・・・・・
奇跡的に浮かび上がって源氏が回収したとか、いろんなお話しは残ってますが。
南北朝のゴタゴタ時には、ウヤムヤのまま即位。
その後も、いろんな話が入り混じって、何が本当なのかわかりません。

決して、眼の前に現れることはない三種の神器。
実体があろうとなかろうと、ひれ伏す習い。
これは、もう、究極の魔法の道具でしょう。


でも・・・・
ちょっと待て。
ここにもあるぞ、魔法の小道具。
誰にも見える三種の神器。







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菅楯彦の道成寺

2019年04月24日 | 能楽ー実技
先回見た、道成寺縁起絵巻の冒頭の部分です。
宿の人妻に迫られた若僧が、それを断り、翌朝、熊野詣に出発する場面です。



よく見ると、画面の上部には、その前夜、忍んできた女とそれを必死で断る男の様子が描かれています。

このように、同じ図の中に、時間的に異なる情景を描くことを、「異時同図」と言い、絵巻物ではよく使われる手法だそうです。
一つの構図のなかに、登場人物の動きを、時間の変化を追って描けば、表現のくどさを避けながら、ストーリーが展開できるからです。

「争か偽事を 「かならず待まいらせ候べく候」 「先の世の契りの
 申候べき。                            ほどを
   疾ゝ                         御熊野ゝ
参候べし」                          神のしるべも
                                      など、
                                    なかる
                                     べき」
「御熊野の
  神のしるべと
    聞からに
 なほ行末の
   たのもしき
        かな
           これまで 
            にて候。下向を
                御待候へ」

 
 さて、もう一枚の絵です。


この絵は、ずいぶん昔、「道成寺」とタイトルにあったので、つい買ってしまいましたが、本当に道成寺かと疑問がわいてきて、お蔵入りになっていた品です。
        (そんな品がゴマンとあります(笑))

今回、絵巻と比較して、はじめてわかりました。

道成寺縁起絵巻の冒頭部を写した絵です。

作者は、菅楯彦。大正、昭和に活躍した日本画家です。独学で絵を学び、歴史画や風俗画を描いた大和絵の画家です。




書かれている文面は、道成寺縁起絵巻とほぼ同じです。
しかし、室町時代の文字より、大正・昭和に書かれた文字の方がはるかに読みづらい。気分を出すために、このような書体にしているんでしょうか。

季節は、絵巻では紅葉の秋、この絵では、梅の初春。
女性は、可憐な少女に見えます。絵巻の女性のような、後の展開を予感させるものは感じられません。

いずれにしても、独特のタッチで、少女と若僧の別れを、たおやかに描こうとしたのでしょう。

菅楯彦が、後の場面を描いたらどんな絵になっていたでしょうか。

残念ながら、それは無いものねだりだと思います。
この冒頭の場面、絵巻にあるような屋内の二人は描かれていません。異時同図ではないのです。
絵は、多分、これで完結。

ところで、この絵、触ってみると、デコデコしているではありませんか。
肉筆だとばかり思っていたのですが、木版画でした。

それにしても、色の濃淡、ぼかし、たおやかな線、文字のかすれなど、こんなにもうまく表現できるのですね。
日本の刷りの技術はすごい!




コメント (5)
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道成寺の石皿

2019年04月19日 | 古陶磁ー全般
不思議な絵皿の謎解き



先回の黄瀬戸の石皿のブログで、多くのコメントをいただいた不思議な絵付けの品です。

無地の黄瀬戸風石皿が径が32cmなのに対して、こちらの方は、37.5cmもあります。大きさも、石皿としては最大級でしょう。
どっしりと重い。

さて、問題の絵です。
もう一度、じっくりと眺めてみました。

真ん中にある炎にも、川のようにも見える所。この部分が、呉須で、薄く青色に塗ってあるではありませんか。

川です。
川を舞台に、男が逃げ、怪獣(のようなもの)が追いかけている。
上と下に2個ある花びらのようなものは、炎でしょう。

ピンときました。

これは、安珍・清姫伝説の一場面ではないだろうか?

ということで、道成寺縁起絵巻(国重文、『続日本の絵巻』中央公論社)を調べてみました。



ありました。
これです。

恋しさと怒りのあまり、毒蛇に変身しつつある清姫が、安珍を追いかける場面です。



道成寺縁起絵巻

道成寺縁起絵巻は、古くからある物語をもとに、室町時代、15世紀後半に描かれた絵巻です。

奥州から熊野詣にやってきた青年僧に恋慕した人妻が、逃げる僧を追って大蛇となり、道成寺の鐘のなかに隠れた僧を焼き殺す。その後、道成寺の僧たちの供養によって、両人共に昇天して天人になるという物語です。




宿の人妻に言い寄られた青年僧は、熊野詣の途中だからと断り、
熊野からの帰りには、立ち寄ることを約束して立ち去った。




女は、約束の日になっても姿を見せない僧のことが不安になり、
旅の人々に行方を問う。




「若い僧をみかけませんでしたか?」
「もうとっくに、通り過ぎましたよ」
「さては私をだましたか」




女は、髪を振り乱し、胸元、脛もあらわにして、必死に探し駆けまわる。
「ええい、くやしい。あの坊主をとっつかまえるまでは、心がおさまらぬ。恥もなにもあったものか。草履が片方失せようとも、かまわぬ」



女は、狂気のごとく追い駆ける。
すると、前方に若い旅僧の姿が。
「もしや、あなたはあの日の僧では?」



「いや人違いです。そんなにおっしゃっても、はなはだ迷惑です」
と言って、若僧は大股に走り去る。




みるみるうちに、女の顔が変わった。
目はつり上がり、口は耳元まで裂け、
口から吐く息は、大きな炎となって・・・・

「やれまてい。己をどこまども行かせるものではないぞよ」







女は、怒りで、ついに大蛇に変身。襟元からは、鱗のはえた蛇の生首がニョキッと。
目は爛々と輝き、口からは火炎を吐いている。
僧は逃げながら、必死に観音を念じる。

「先世にいかなる悪業を作て今生にかかる縁に報らん。南無観世音、此世も後の世もたすけ給へ」




日高川に来た僧は船で増水した川を渡る。
船頭は、女を渡そうとしない。



しかし、女は、着物を脱ぐと、たちまち、一匹の毒蛇となって川を渡った。





道成寺に逃げ込んだ青年僧。

鐘を降ろして、かくまう僧たち。




日高川を渡った蛇は、ついに道成寺の境内に現れた。




大蛇は、鐘に巻きつき、口から炎を噴射した。

三時ばかり焼きつくした後、大蛇は両眼から血の涙を流しながら、もと来た方へ帰って行った。



人々は、水をかけて火を消した。
鐘の中からは、墨のようになった僧が。





住持は、二人が蛇道に転生した夢を見た。
聞けば、焼けた青年僧と大蛇に変身した女だと言う。




僧たちは、法華経供養を営んだ。




老僧の夢に、二人が天女の姿で現れた。
二人は、熊野権現と観音菩薩の化身だったことを明かすと、別々に、虚空の彼方へ飛び去っていった。




道成寺縁起絵巻は面白い

とても、室町時代に描かれた物とは思えません。
劇画を見るようです。

特に、人物の描写が迫力満天。
怒りがつのって、女が次第に大蛇に変身していく描写は圧巻です。女の表情、髪、衣服など、細部わたって変身の様子が描かれています。

若僧が、なりふり構わず逃げる姿も真に迫っています。

主人公の女は、娘ではなく、何と人妻。それが、美しい若僧に一目惚れし、夜這いをかけるのですから、ビックリです。
若僧の焼死体もリアルです。

安珍、清姫の名は、絵巻には出てきません。絵巻の主人公の女は人妻ですが、能や歌舞伎の道成寺では、娘で、真砂の清次の娘となっています。その後に演じられるようになった浄瑠璃から、清姫となったようです。


なお、道成寺絵巻の末尾には、花押と但し書きが添えられています。



この花押は、最後の室町将軍、足利義昭のものです。

織田信長によって、将軍職に就いた義昭ですが、その後、信長と不仲になり、軍を挙げて信長に挑んで敗れ、各地を転々とします。
そして、紀州の興国寺に滞在したとき、道成寺からこの絵巻を取り寄せ、読んだと言われています。義昭は、絵巻を絶賛し、花押を記したと言われています。

義昭は、道成寺縁起絵巻のどこに惹かれたのでしょうか。
怒りと怨念の塊となった女に追われる若僧を、信長から逃れて各地を転進する自分に重ねたのでしょうか。

室町幕府を滅亡にみちびいた無能の将軍、と揶揄されるなど、散々な評価の義昭です。が、信長の死後、別格の大名として秀吉に重用され、室町歴代将軍の中では、最も長命でした。
似たような人物として、徳川慶喜が思い浮かびます。
足利義昭は、案外、聡明でしたたかな人だったのかもしれません。













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雑器の黄瀬戸

2019年04月13日 | 古陶磁ー全般
この時期、季節の変化は本当に急です。

いつのまにか、レンギョウの花は終わりました。




かわって、梅花ウツギの花が満開です。





わかったようでわからない
            ・・・・・・・私にとっての黄瀬戸です。

はっきりしているのは、器を焼くとき、空気中の酸素によって灰釉に含まれる鉄分が酸化し、発色した黄釉の一種が黄瀬戸だということです。 
   
逆に、酸素を断って焼成すれば、鉄が還元されて、青磁が得られます。

黄瀬戸と青磁、どちらが難しいかと言えば、それはもう、還元色(青磁)の方です。

鉄の酸化色、黄系統の釉は、空気中の酸素のため、容易に得られます。また、陶磁器の焼成に用いられる薪の成分、セルロースにも、大量の酸素原子が含まれています。

ですから、大量に生産される日用品の中には、黄瀬戸とみがまうような灰釉もあります。




瀬戸の石皿です。
良く使い込まれた器です。欠けやニュウは雑器の勲章。

実は、この皿、故玩館を改修した時、床下から見つけた物です。

ご先祖様、できれば、兎が踊っているような絵皿を残してほしかった(笑)。


でも、きれいな目跡がチマチマ配置された絵付き石皿よりも、無骨で大きな4個の目跡がデンとすわったこの皿の方が、貫禄があります。




失透気味の黄釉とジカン。
あちこちにムラができています。
なぜか釉薬が流れています。
雑器中の雑器ですが、黄瀬戸に近い感じがします。

このゴテゴテ感が黄瀬戸の本来の味ではないでしょうか。


瀬戸の石皿をもう一枚。



奇妙な絵付けの皿です。

人物は踊っているのでしょうか、それとも逃げているのでしょうか。
仮面怪獣(龍?)が追いかけています。
真ん中にあるのは川、それとも炎?
何かの物語でしょうか、不思議な絵です。

この絵皿、釉薬部分はずいぶんキレイです。
ツルッとした焼き上がりの灰釉です。
色調は、御深井釉に近い。


ついでに、もう一つ。
美濃の笠原鉢です。




茶陶の織部が終わる時期に、短期間、笠原窯(多治見市笠原町)で焼かれた大鉢です。
上の2つの石皿に較べれば、時代は遡ります。

補修部がなければ、結構きれいな肌です。
これはどう見ても、普通の灰釉。
黄瀬戸としてはキレイすぎます。

ところが、さる骨董屋の言では、緑釉がサッとかかっているので、黄瀬戸だとか。
それはないでしょ。
これは、れっきとした末期の織部ですわ。


今、多治見にいけば、黄瀬戸の器がずらっと並んでいます。
でも、作家物も含めて、どうしても欲しいという品にはお目にかかれません。
キレイすぎます。

知り合いの陶芸家。
美濃の山奥に窯を築いて、いろいろな焼き物に挑戦してきました。
土や釉薬の研究も熱心です。
当然、黄瀬戸にも挑戦。
しかし、今は専ら、白濁釉を施した陶器(美濃唐津?)を焼いています。

曰く。
「黄瀬戸は、キレイなものしか焼けなかった」





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黄瀬戸は青磁から?

2019年04月07日 | 古陶磁ー全般
いつのまにやら桜の季節です。

故玩館横、堤の桜も満開です。





昨今は、ビニールシート敷いて、どんちゃん騒ぎする人、皆無です。
ポツポツ人が通り過ぎるだけ。



薄ピンクの中に、緑のボールを発見。宿り木です。
茫洋とした桜景色が締まって見えます。




唐物青磁茶碗?

ご覧のような青磁の茶碗です。






大傷物です。

唐物でしょうか、それとも高麗青磁?




貫ニュウの入り具合や高台の砂からすると、高麗でしょうか。

鉄分が非常に多く、堅く焼き締まっている土からすると中国の品にも見えます。
それに、紫口鉄足と言えないこともない。
雨過天晴は無理にしても、雨過薄曇くらいなら許される?

いずれにしても、大陸、半島経由の品でしょう。





茶をいれても、結構、様になります。
飲みやすさも、なかなかのもの。





高麗青磁茶碗

高麗青磁の茶碗です。







釉色からすると、高麗後期~李朝初期の品でしょう
大変薄造りです。

青よりも黄色がかっています。
これでも、青磁?
米色青磁と言うんだそうです。

大振りですが、茶を入れて飲むにも適しています。




黄瀬戸は青磁から?

この2つの茶碗と「伯庵手?黄瀬戸茶碗」を並べてみます。






黄瀬戸は、謎にみちた焼き物です。
どうやって、黄瀬戸が焼かれたのかもよくわかっていません。

こうやって並べてみると、黄瀬戸のルーツ、諸説ありますが、
「黄瀬戸は、日本で青磁を焼こうとして、偶然に出来た」
と思えるのです。


コピー品の黄瀬戸茶碗

そうそう、黄瀬戸茶碗のコピー品がありました。




豪華な釉垂れ、それなりの雰囲気はあります。
ただ、見込みの茶だまりは、造りが中途半端。




釉薬の掛け方などは、室町時代の灰釉茶碗をよく真似ています。
小さな石がはずれた跡もあります(人為的?)。

高台は削り出し、しかも三日月高台ではありませんか。
さらに、高台内には、シッピキ跡まで。
多分、櫛で引っ掻いたのでしょう。削り出し高台にそんなものあるはずないでしょ(笑)。
そこまで過剰に演出するなら、竹の節高台にしておけばよかったのに。






「伯庵手?黄瀬戸茶碗」(右)と較べてみると、こんなにも違います。
やはり、コピー品の演出は過剰ですね。
それに、全体としてキレイすぎる。

最後の決め手は、やはり、用。
使ってみると違いは歴然です。

本物は使うために作られています。
コピー品は、見かけがよければそれでいい。

それぞれの茶碗で、お茶をのんでみます。
手取り、口当たりなど、言葉ではなかなか表現しづらいですが、使うために造られているかどうかが、はっきりとわかります。

骨董市には、精巧なコピー品があふれています。兎が走り、見込みに花弁の立派なそばチョコも、コーヒーやお茶を飲んでみれば、すぐにアウトと判断できます(買ってしまった後では遅い(苦笑))。


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