遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

『面白古文書 金玉尽・鳥尽 番外篇1』観世元章「点取俳句帖」(能楽資料39)

2022年11月25日 | 能楽ー資料

『面白古文書 金玉尽・鳥尽 』を6回にわたって紹介してきました。

そのうちの6回目に、「前頭 俳諧の点とり」がありました。いわゆる点取り俳句です。点取り俳句は、何人かが寄って俳句を読み、評者が点数をつけて、総得点を競うものです。芭蕉の弟子、室井其角が広めたと言われています。

例によって、そういえばどこかに、江戸時代の点取り俳句帖があったはず、と探し回り、やっと見つけました。

17x12cm、28頁。江戸中期。

この手の物にしては非常に立派な品です。題簽は消えていますが、分厚い表紙と裏表紙がついています。本紙も厚い良質の紙を使っています。

発句のみではなく、五七五ときたら七七とつける連句形式で俳句が続きます。

赤線や印(青)は、評者がつけた点と思われます。

所々に評者によると思わるコメントがあります。

下欄は詠んだ人の俳号。千季、良角、吟鼡、魚明など全部で14名、参加しています。

最後に評点の合計と順位が示されています。

良角 四十ニ点、村市 三十七点、千季 三十五点、下略

宝暦十三未年初冬

宝暦13年の冬に行われた句会であることがわかります。

良角が一等です。

彼の句の中に、面白いものを見つけました。

拡大すると・・・

囃しには 観世太夫も 下掛り     良角
    下掛をその変化物としるし
熱(?)仕舞して 奢る追善

囃子の出来次第で、観世太夫もまるで下掛りのよう。
高ぶった仕舞となり、追善能が派手やかになってしまった。

【囃子】能の音楽。通常、笛、小鼓、大鼓の3種楽器が、キリなどでは太鼓が入り4種の楽器が担う。江戸時代には、囃子方は座付であり、メンバーはほぼ固定していたが、現在は、能の公演に応じてその都度、編成される。
【観世太夫】能楽シテ方観世流の家元。現在は26世。
【下掛かり】能のシテ方五流の内、観世流、宝生流を上掛かり、金春流、金剛流、喜多流を下掛りという。
【追善(追善能)】故人(多くの場合、著名な能楽師)を追善するために行われる能。
【仕舞】囃子を伴わず、地謡のみによって行われ、装束や面はつけずに、紋付袴などで能の一部を舞う。この句では、囃子を伴う舞囃子、あるいは能の中でのシテの舞事を指していると思われる。

左上に朱印(不鮮明)。左中に青印、楽器を持った西洋人に見えます。

この句会で一等をとった、良角=観世太夫とは誰なのでしょうか。

その謎を解くカギは、奥付の日、「宝暦十三癸未年」にあります。この時に観世太夫であった人物、それは十五世観世元章(享保七年(1722)ー安永三年(1774))です。彼は、26代の観世宗家の中でも傑出した太夫で、観世中興の祖と言われています。特に、謡本の大改訂を行い、明和改正謡本を刊行しました。この本自体は、彼の死後、元の版本に戻されましたが、能に関してその他多くの改革を行い、現在に到る能楽の新しい流れを作りだしました。


このようなビッグな能楽師が、どんな俳句をつくったのか?
予想に反し、下掛かりの流派を見下したり、能演舞の失敗などを詠んでいます。しかも、その失敗を囃子方の所為にしています。もちろん、囃子の出来栄えはその都度変わりますが、本来、囃子方は座付き、呼吸はわかっているはずです。しかも、シテの権威は絶対ですから、囃子方はすべてシテの考えや所作を読み取り、従わねばなりません。ですから、「下掛り」と揶揄するほど囃子が調子を外すとは考えられません。

自分のミスを他になすりつける!?

名人とはいえ、失敗はつきもの。素直といえば素直、人間味あふれる太夫ですね(^^;


点取り句会は、江戸能楽界の頂点に立ち、大観世を率いる彼にとって、重圧から解放される唯一の場であったのかも知れません。ひょうきんな印章も遊び心満載です(^.^)


江戸から明治にかけて非常に盛んであった点取り俳句には、現在、堕落した俳諧としての評価しかありません。しかし、考えてみれば、私たちが目にする特選、入選の句は、現代の点取り俳句で選ばれたものとも言えるのではないでしょうか。

選者(評者)は数人、参加する俳人の数は膨大。点数制でないと、期限内に公正な評価をするは無理でしょう(^.^)

 

 

 

 

 

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能楽資料40 明治44年演能写真ー岐阜ー

2021年07月21日 | 能楽ー資料

このところ、在庫本の整理のようなブログが続きましたが、能楽資料も今回で40回目なので、資料らしい資料を探してみました。

明治44年4月23日、岐阜西別院で行われた演能写真(9.6x13.7㎝)3枚です。祖父の能楽関係の物の中にあった品です。

明治維新で消滅しかかった能は、その後奇跡的に息を吹き返し、明治後期には、かつてないほど能が盛んになり、地方でも大きな盛り上がりを見せました。この写真は、明治後期、岐阜市で盛大な観能会がもたれた時のものです。岐阜観世会催能で、演目は、『葵上』『船弁慶』『望月』です。

 

能 葵上:シテ 橋岡久太郎、シテツレ 吉住清三郎、ワキ 栗崎清之、ワキツレ 藤野健之助、笛 森四郎、小鼓 福井初太郎、大鼓 谷口喜三郎、太鼓 野崎光之丞

 

能 船弁慶 前後替:シテ 観世清久、シテツレ 磯野直一、ワキ 藤野健之助、ワキツレ 斎藤市之丞、ワキツレ 杉山愛三、笛 安藤花友、小鼓 青木恒治、大鼓 永田虎之助、太鼓 野崎光之丞、間1 田中清

 

能 望月:シテ 片山九郎三郎、シテツレ 伊東種三郎、シテツレ 磯野直一、ワキ 西村龍六、笛 藤田米次郎、小鼓 田鍋惣太郎、大鼓 谷口喜三郎、太鼓 鬼頭為太郎、間1 西池雪翁

 

自前の能楽堂がない岐阜でしたから、西本願寺の岐阜別院を会場にしたのでしょう。急ごしらえの能舞台には、鏡板のかわりに老松が描かれた屏風が置かれています。裸電球の下で、当代一流の能楽師による能を観ようと、満員の会場は熱気にあふれています。私の祖父もその中にいたようです。

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能楽資料39 能の英訳本

2021年07月20日 | 能楽ー資料

先回の『善知鳥』は、謡曲の日本語版、英語版、木版画を組み合わせた特異な本でした。

今回は、能や謡曲を英訳した本、2冊です。

Toyoichirou Nogami『JAPANESE NOH PLAYS』(右、国際観光協会、昭和13年、67頁)

林 なを『謡曲の英訳』(左、昭和60年、自費出版、7冊子(8-12頁))

 

能楽研究の第一人者、野上豊一郎が、戦前に出した本です。Tourist Lobrary 2とあるように、日本の文化を外国に紹介し、観光振興を図る目的で出版されました。発行は、国鉄内の国際観光協会ですが、日本旅行協会(Japan Travelist Bureau(JTB))が発売を担いました。このTourist Lobraryシリーズの1は生花、3はきもので、40まで発行されています。

この本は、能や謡曲を英語に訳したものではなく、能舞台、能の構成、面と装束、能の分類、能番組の構成、能の鑑賞など、能を実際に見て楽しむために必要な知識、情報をあとめた実用的な書です。

 

本が出版された昭和13年は、日中戦争がはじまり、日本が無謀な道を進み始めた時期です。その頃、一方では、日本を外国に紹介し、外国からの観光客を増やそうとしていたのです。

本の中に、当時の新聞記事の切り抜きが入っていました。世阿弥生誕五百年祭りに際しての記事です。

裏側には、ヨーロッパの戦況を伝える記事(昭和17年1月26日)が一面に載っています。

私が、この本『JAPANESE NOH PLAYS』を初めて見たのは、25年程前、オーストラリア、某大学の図書館です。おかげで、能について何とか説明をすることができました(^.^)

 

もう一つの本は、『なをの遺稿 謡曲の英訳』とあるように、これまでのものとはかなり異なった本です。

中には、6種の謡本の英訳物とあとがきが入っています。

『熊野』『竹生島』『安宅』『羽衣』『道成寺』『隅田川』、いずれも極めてポピュラーな演目です。

『熊野』は、著者が一番好きだった謡曲。

著者が描いた挿絵が入っています。端が焦げています。

謡曲本が忠実に英訳されています。

あとがきによると、著者、林なを(明治37年生)さんは、夫君、浩氏とともに、謡曲、能を愛好し、謡曲本を英訳していたそうです。彼女が亡くなった後、家は火災にあいましたが、原稿は奇跡的に消失を免れました。しかし、原稿を本の形にできぬまま、夫君もなくなりました。二人の死後、有志が二人の遺志をくみ、残された原稿をもとに英訳謡曲本を自費出版し、関係先へ配布したのがこの本です。なお、複写原稿は、著者が教鞭をとっていた梅花女子専門学校(現、梅花女子大学)の図書館に保管されています。

謡曲や能の愛好者が亡くなったあと、故人を偲んで能や謡いの会が持たれることはよくあります。また、今回の品のように、能や謡いにまつわる出版物が出されることもあります。

能や謡いには、人の生とかかわる何かがあるように思うのです。

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能楽資料38 世阿弥元清原作『善知鳥』 メレディス・ウェザビー・ブルース・ロジャース英訳、棟方志功装幀

2021年07月19日 | 能楽ー資料

今回は、かなり変わった本の紹介です。世阿弥作の能『善知鳥(うとう)』を英訳し、棟方志功の版画を組み合わせた本です。

 14.3x20.7㎝、全95頁、昭和22年、旺文社。

反対向けると、英語版になります。

 

棟方志功の装丁です。日本語部分は、約30頁。和紙に印刷されていて、和綴り本です(写真は洋紙)。

 

目次

 

観世流の謡本を元に、人物の所作が書かれているので、能の進行具合がよくわります。

 

続いて、棟方志功の善知鳥版画、30図が載っています。

棟方志功の代表作の一つです。載っているのはもちろん印刷物です(^^;

棟方は、善知鳥神社の近くで生まれ育ったので、能『善知鳥』には、特別の思い入れがあったのでしょう。

北国の海浜に棲む鳥、善知鳥の肉は美味で、猟の対象になりました。伝説では、善知鳥が「うとう」と鳴くと、隠しておいたひな鳥が「やすかた」と答えると言われています。これを使って、ひな鳥を捕まえた猟師が、地獄へ落ち、善知鳥から過酷な責めを受けるという物語が能『善知鳥』です。

英語版では、

日本語版を、

忠実に英訳しています。

こんな図が手元にあれば、外国人を能楽堂に連れて行っても、説明ができそうです(^^;

なお、英訳者、メレディス・ウェザビーは、ウエザーヒル出版社の共同創業者で、三島由紀夫を海外へ紹介した人としても知られています。タイトルの"BIRDS OF SORROW"は名訳だと思います。

 

この本はかなり画期的なものです。発行元は旺文社、戦前から、受験雑誌などで知られた出版社です。受験生には、「赤尾の豆単」でおなじみです。その旺文社が、どうしてこのような本を出したかわかりません。ただ、敗戦から数年たち、世の中の混乱が少しずつおさまり、新しい可能性を求める雰囲気が出てきた中にこの出版があったことは確かでしょう。

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能楽資料37 和田萬吉『謡曲物語』

2021年07月18日 | 能楽ー資料

和田萬吉『謡曲物語』です。

最初の版(右側、前編・後編)と普及版(左側)です。

最初の版は、明治45年、発行です。大判で、前編と後編に分かれています。

 

普及版は片手で持てるサイズで、大正12年発行、版を重ねています。

なお、2000年に、白竜社より新装版(1004頁)が発行されているので、入手可能です。

 

さて、大部の『謡曲物語』がですが、大部の本に馴染みやすくするためでしょうか、木版彩色の能画が多く挿入されています(木版画を本体に簡易糊付けしてあります)。

作者、月岡耕漁は、明治、大正期に活躍した浮世絵画家で、能画を得意としました。この時代の木版能画は人気があるので、これだけでも元は取れたでしょうか(^^;  なお、普及版、新装版の能画は印刷物です。

「羽衣」

「嵐山」

「桜川」

「望月」

「隅田川」

「鉢木」

「松風」

 

他に、古画(印刷)も多数挿入されています。たとえば、

「国栖」

「百万」

 

『謡曲物語』には、155番の謡曲(能)が、物語形式で載っています。もちろん、すべて、和田萬吉が書き下したものです。

例によって、謡集の最初にくる『高砂』の冒頭部分です。

相当する謡曲本の部分です。

謡曲の一部を取り入れなをら、たくみにストーリー展開がなされています。

これまで、大和田健樹『謡曲評釋』野上豊一郎『謠曲全集』佐成謙太郎『謠曲大観』を紹介してきました。これらと、『謡曲物語』との違いは、各謡曲の解説ではなく、それぞれの謡曲を咀嚼し、物語として展開していることです。能や謡曲のあらすじであれば、謡本などに記されています。能(謡曲)のストーリー展開は単純ですから、それで事足ります。しかし、味も素っ気もありません。能の面白さや謡いの味わいは、あらすじでは表せません。物語が必要なのです。しかし、能は余分な物をギリギリまでそぎ落とした芸術ですから、最終的に物語を造り上げるのは、能の観客であり、謡いを謡う人になります。だからこそ面白いのですが、なかなか難しいのも事実です。

和田萬吉が『謡曲物語』を書いたのは、謡曲愛好者が、謡曲の節や抑揚をマスターするのに終始して、謡曲が能とは別個のものになっている状況を何とかしたいという思いからです。世阿弥のいう能の本質は、「物真似」です。登場人物が、男女、老幼、貴賤、凡聖、神人などの別を十二分に心得て謡い、舞わねばなりません。そのためには、その謡曲(能)が、どのようなストーリー展開になっているかを、謡曲の章句との関係で理解する必要があります。『謡曲物語』を著したのはそのためです。

 

和田萬吉の著書を、もう一冊紹介します。

和田萬吉『能と謡』(白竜社、2004年)です。昭和18年に発行された物の新装版です。この中で、和田は、能が武士とともに生まれてきた事、明治維新以来、武士の精神が失われ、それに伴い、能や謡曲の本質的なものが見失われていると繰り返し説いています。失われた武家気質をなげき、武家の精神世界を能や謡曲の中に見出そうとしたのかもしれません。その意味では、和田萬吉は、明治文化人の一典型といえるでしょう。彼は、日本における図書館学の草分けでもあります。郷土の生んだ近代偉人の一人ですが、今では、地元でもほとんど知る人はありません。

和田萬吉(慶応元年(1865)ー昭和9年(1934))は、美濃大垣藩士の子。東京帝大卒、文学博士、国文学者、東大図書館の館長を長く勤める。謡曲、能に造詣が深く、梅若流の顧問も勤めた。

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