遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

金工10 松竹梅菊蘭紋古詩彫錫茶托

2020年04月29日 | 金工

 煎茶用の茶托、5枚です。

大型で、手にズシリとくる錫製花形茶托です。

それぞれに、植物と詩文が彫られています。

彫られている植物は、松、竹、梅、菊、蘭です。

中国では、蘭、竹、菊、梅の4種を、草木の中の君子、すなわち四君子とよび、文人の理想とする君子の象徴として、多くの絵や詩に表現されてきました。

また、松、竹、梅の歳寒三友は、同様に、文人の理想とされ、好んでとりあげられました。

松や竹は四季を通じて青々と葉をひろげ、梅は早春、真っ先に花開きます。菊は、晩秋の寒さの中で鮮やかに咲きます。蘭は、気品と香にみちた清楚な姿が高潔さにつながります。

裏には、「刘洪大造」と押印されています。刘は劉の異体字なので、「劉洪大造」となります。この裏銘は、清朝後期の作の錫器と考えられます。

 

    径11.9㎝、高2.5㎝、重 171g(5枚、876g)

松と竹が彫られています。

詩文は、『皆作老龍鱗』。

中国・唐の詩人、王維の『春日與裴廸過新昌里訪呂逸人不遇』という詩に「種松皆作老龍鱗」(松を種えて皆な老龍鱗と作る)という句があります。

この器に彫られているのは、若松です。幼い松も、すべて、威光のある老大木になるということでしょうか。

 

裏側には、轆轤目がみられます。

錫器の製法も、砂張と同じく、鋳造、轆轤引き、成形、彫金の手順を踏むようです。

 

竹が彫られています。

詩文は、『秋聲風雨外』。

中国・唐の陶宗儀撰の南邨詩集巻四 に「墨竹」と題する詩があります。

「把燭倩官奴娟娟入畫圖秋聲風雨外照見碧珊瑚   蒼梧帝子游蕭瑟倚清秋一握氷紈裏長縣翡翠鈎   題紈扇折枝竹   翦來青鸞尾挂向珊瑚鈎明月照清影一握湘江秋」

 

梅が彫られています。

詩文は、『歳寒氷雪裏』。

『元詩選初集卷六十八』に、

「梅  歳寒氷雪裏獨見一枝來不比凡桃李春風無數開」とあります。

 

菊が彫られています。

詩文は、『猶存晩節香』。

中国の原典は不明ですが、長崎・亀山焼の絵付師、津田南竹の扇面に、『未覚秋容寂猶存晩節香』の賛がある菊花図を描いてています。頼山陽も、この句を含む漢詩を残しています。

 

 

蘭が彫られています。

詩文は、『遺珮満沅湘』。

『元詩選初集卷六十八』に

「蘭 竝石疎花痩臨風細葉長靈均清夢逺遺佩滿沅湘」

とあります。

 

幕末の学者、画人、田原藩家老渡辺崋山も、この句に依った書(元詩選とほぼ同じ)を残しています。また、天保10年には、この絶句を賛とした蘭の図も描いています。

渡辺崋山五言絶句(東京国立博物館蔵)

「倚石疎花痩 帯風細葉長 霊均情夢遠 遺珮満沅湘」

「石に倚って疎花痩せ、風を帯て細葉長し。霊均の情夢遠く、遺珮沅湘に満つ」

霊均;屈原の字、珮;はい、腰飾り、沅湘;洞庭湖にそそぐ2大河川、沅水と湘水。

楚の詩人、屈原は、その才能を妬む者たちの諫言によって、国を追われ、各地を放浪しました。そして、祖国の将来に絶望し、石を抱いて、湘水の支流、汨羅 (べきら) の川に身を投げました。その際、屈原は、水辺の蘭をつみ、腰飾りにしたと言われています。この時の様子を詠んだのが、この五言絶句です。

幕末、日本が大きく動き始めようとする天保10年、開明的思想の碩学、渡辺崋山は、幕府中枢から危険視され、捕われました(蛮社の獄)。そして蟄居中の2年後、周囲に禍が及ぶのを憂い、自刃しました。崋山は、自らの境遇を、屈原に重ね合わせていたのかも知れません。

古くから蘭は高潔さの象徴とされてきました。しかし、高潔な人は生き難いという人の世の有様は、時代を経ても変わらないようです。

ブログを書くにあたって、初めてじっくりと眺めた5枚の茶托ですが、いろいろと考えさせられるところがありました。

 

せっかく茶托を出したのですから、使ってみようかなと思い、取り合わせの品を探しました。

唐物の寄木盆です。

丁度、蘭が描かれています。

        径 28.9㎝、高 3.8㎝

 

 

茶托の蘭の花がピッタリと合います。

 

古染付の碗を置けば、雰囲気良し(^.^)

煎茶道具は、今では過去の遺物扱いですが、こうやって茶を味わってみると、文人たちがなぜ煎茶を愛したのか、ほんのわずかですがわかったような気がします(^_^)

 

 

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金工9 古銅寿老人鹿のったり香炉

2020年04月25日 | 金工

古銅の寿老人香炉です。

     幅 23.6㎝x奥 11.8㎝、高 20.5㎝、重853g。

 

寿老人は、中国宋の時代の伝説に由来し、七福人の一人といわれ、長寿をもたらしてくれると言われています。

 

寿老人は、南極星の化身で、寿命は1500年。雄鹿を従え、手には、杖、扇子、桃などをもっている姿が一般的です。老子の化身ともいわれます。

 

この鹿は、玄鹿とよばれ、長寿の象徴とされ、その肉を食べると2000年の寿命を得るとか。

 

香炉ですから、煙が出る穴があります。

ん、右肩のこれはハート?

寿老人は、男女の間にも福をもたらす粋な老人?(^^;)

 

この品物には、もともと漆を塗ってあったようです。ほとんどはげ落ちていますが、このような品は、非常に珍しいと思います。

 

もう一つ、古銅寿老人鹿騎香炉がありました。

  幅 24.7㎝x奥 9.8㎝、高 23.3㎝、重 840g。

 

先の寿老人香炉と非常によく似ています。

 

鹿の表情も写実的。

 

煙出しの穴は、大胆にあけられています。見方によっては、寿老人がもう一人(^^;)

 

同じような香炉を、二つもそろえてしまいました。

いかにも抹香臭い(実際、相当匂います)古ぼけた品が、骨董のようなオヤジが座っている後ろの棚にポツンと置いてある。

これは既視感ではなく、その昔、高校生の私が、どういうわけか、一軒の古道具屋にまよいこんだ時の光景です。

今や、オヤジのかわりに店番をしていてもおかしくない(^^;)

この寿老人、左手に何かをもってそれを見つめています。持ち物と言えば、杖か桃ですが、桃にしては小さい。カットされた桃でしょうか(^^;)

 

もう一つは、賢者の風貌、老子でしょう。

この二つ、非常によく似ていますが、手で持った感触が違います。上の方は、たなごころに優しいのです。微妙なこの感覚は、銅器を評価する場合、必須です。陶磁器でも同じようなことが言えますが、銅器の方が違いがはっきりとわかります。風化、手ずれなどで、古い物はまろやかになっているのです。

老子寿老人香炉はおそらく、明治の品でしょう。一方、布袋頭の寿老人香炉は、それよりずっと古く、唐物の可能性もあります。

 

広い見識と仁徳を備えた寿老人。長寿だけでなく、円満、壮健、厄除けの神でもあるそうです。

故玩館でも、ずーと日陰者扱いだった寿老人。遅まきながら、玄関と床の間に、一体ずつ鎮座していただきました。

コロナ禍の今、この世に福をもたらして欲しいものです。

 

 

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金工8 銀象嵌太古石牡丹図水注

2020年04月23日 | 金工

銅打出しの水注(薬缶)です。

    幅15㎝x奥13.5㎝x高12.8㎝、重 522g

 

 

 

銀象嵌と装飾が、びっしりと施されています。

 

底は、別の板(黄銅)を付けてあります。

胴部と蓋は銅、取手と底は黄銅です。

 

いろいろな部位に、装飾板が打ちつけられています。

 

 

この水注の一番の特徴は、銀象嵌です。

古い中国画題の「太古石と牡丹」が、ダイナミックに表現されています。

 

 

 

 

反対側には、漢詩が象嵌されています。

        「江山到處播清香」

        

蓋に「清茶味」とありますから、この水注は、煎茶用でしょうか。

 

先のブログで、銅蟲菓子器を2個、紹介しました。

今回のブログの水注は、槌目、装飾、色つやなど、銅蟲の技法に非常によく似ています。

しかし、これが銅蟲だろうか、と決めかねています。

その理由は二つ。

まず、太古石‐牡丹の図柄は、日本の伊万里にもまま見られますが、これだけ本格的に描かれる例は少ないと思います。漢詩もふくめて、中国本家のような気がします。

それから、銀象嵌です。先のブログのように、銅蟲では、鍍銀を巧みに使って、まるで銀象嵌のような効果を出しています。しかし、今回の品は、本物の銀象嵌です。銀板を嵌め込んでいるので、強く磨いても、地肌が透けてくることはありません(^^;)

中国物か日本の伝統工芸品、銅蟲の優品か迷うところではありますが、いずれにしても、コロナで閑になった今、風雅な煎茶文化を、もう一度見直してみたいと思います。

 

 

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金工7 鉄地蓮紋鍔

2020年04月21日 | 金工

鉄地の鍔です。

表側

      縦 72㎜、横 66㎜、厚 4㎜、重 110g。

 

裏側

鉄地に金、銀象嵌の鍔です。模様ははっきりとしませんが、蓮ではないでしょうか。

 

これは、まぎれもなく武具(の一部)ですね(^^;)

武具、宗教物はご法度なのにどうしてこの品が?

実は、故玩館を改修するとき、長持の隅にポツンと残っていたのです。

物騒なモノには縁がないはずだし?

記憶をたどって見ると、その昔、祖母が幼児の私によく話していました。

「家には、いい刀がいくつかあったのに、進駐軍に出してしまった」

今から考えると、戦時中の供出を免れた何振りかを、戦後の刀狩りに出してしまったことを悔やんでいたのでしょう。

まあ、いずれにしても、アブナイ物は近くにない方がいいです。その点、鍔なら手の上で転がしても安全です(^.^)

それにしても、ボロボロにサビてみすぼらしい。

ここで、パッとひらめきました。

昔、骨董屋のオヤジに教えてもらった方法。

「鉄の錆には、バターを塗れ」

さっそく、冷蔵庫からバターを取り出し、さあ塗ろうとしたところ・・・・コロナのこのご時世に、そんな事に貴重な食べ物を使うのはもってのほか、とのお言葉・・・・まことにごもっとも(^^;)

で、代わりはないかとさがしたところ、手荒れ用のワセリンがありました。暖冬の今年、さして消費せず、たっぷり残っています。

それをすり込んだところ・・・・・

写真でははっきりしませんが、みすぼらしさは薄れ、深みが増しています。ただ、あまり塗りすぎると、厭味なテリが出るので、ここまでにしました(^.^)

 

年月を経た渋い地肌に、金象嵌、銀象嵌が映えています。

以前、ブログで紹介した銅蟲は、象嵌まがいの金工細工でしたが、これはさすがに本物の象嵌で、鉄地を彫り、金、銀を埋め込んであります。

金象嵌は、デザイン上の装飾?(ワンちゃんの顔に見えなくもないですが(^^;)

銀象嵌は、蓮の花を表しているのでしょうか。

 

金の点象嵌は、1㎜ほどの大きさです。写真では難しいですが、よく見ると、その1/10くらいの小さな金象嵌も点々と散りばめられています。少し錆を磨いてやれば、もっと多くの極小金象嵌が顔をあらわすでしょう。

こんな小さな象嵌を、どうやって作るのでしょうか。

江戸時代の刀装工の腕には、驚かされます(^_^)

 

 

 

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金工6 梅花図砂張盆

2020年04月19日 | 金工

砂張の中型盆です。

砂張は、銅、錫、鉛の合金で、硬く、叩くとよく響きます。沙張、砂波理、佐波理、響銅などともよばれ、中国、朝鮮、東南アジアなどから、日本へ招来されました。古渡の砂張は、茶席で珍重されるようです。

 

      径 22.7㎝、 高 1.2㎝、 重 535g

 

もう、ずいぶん前になりますが、都内の小さなアンティークモールの一番奥の店の片隅に、ポツンとこの品が置かれていました。丁度、いくつかあった東京の骨董モールが次々閉じていく時期でした。ここも、あと数日で終わりということで、店主は寂しそうでしたが、それでもいくらか勉強してもらい、この品を得ました。実は、数年前からこの品に目をつけていたのですが、なかなかふんぎりがつかずにいて、土壇場でやっとゲットできたのです(^^;)

ところが、例によって、その後ずっと故玩館の片隅に放りっぱなし。今回、やっと日の目を見ました(^^;)

 

   梅花紋と文字が彫り込んであります。

 

 

 

日本では、正倉院御物の砂張匙など、朝鮮由来の砂張が有名です。砂張の語源も朝鮮半島にあると言われています。ですから、この盆も、朝鮮の物だろうと勝手に思い込んでいました(^^;)

盆には、「青帝宮中第一妃」と彫られています。

調べてみると、これは、中国宋時代の詩人、陸游(りくゆう、1125一1210年)が詠んだ多数の梅花絶句のなかの一節であることがわかりました。

陸游<雪後尋梅偶得之二>

「青帝宮中第一妃,寶香薰徹素綃衣。 定知謫墮不容久,萬斛玉塵來聘歸。」

ですから、この盆は、朝鮮ではなく、中国の品だと思われます。

 

裏側は、いたって簡素。

 

よく見ると、轆轤で削った跡がはっきりと付いています。

側面にも、轆轤削りの跡があります。

表側の表面はツルツルです。が、よく目を凝らすと、うっすらと轆轤目が見えます。轆轤引きした後、研磨し、さらに彫りをいれてあるのです。

手で触ってみると、初期伊万里ほどではありませんが、中央部が厚く、端にいくほど薄くなっていることがわかります。木の皿や盆など、轆轤引きされた物も、このような特徴をもっています。

まさか、金属塊から削り出されたわけではないでしょう。

中国の砂張は、鋳造の後、轆轤成型されたと言われています。いずれにしても、かなりの手間がかかっている品であることは間違いないでしょう。

 

彼の国の職人に敬意を表して、白南京茶碗にお茶をいれ、砂張盆にのせてみました。心なしか、古人の香りが漂ってくるような・・・・・!?(^.^)

 

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