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時悠人chosan流処世術

★亀田親子へのエール!

2006-08-10 09:13:58 | 日記・エッセイ・コラム

 ボクシングの亀田選手のジャッジ問題が、人格問題にまで広がりを見せているのをみていると、日本人のメンタリティの低さを象徴するようで情けない。

 発端となった判定問題。WBC野球で、日本チームが抗議した判定も記憶に新しいし、女子サッカーで北朝鮮チームが暴力行為に及んだのもジャッジ問題だ。かつて、ファイティング原田が豪州で3度のダウンを奪っても負けたのは語り草になっている。ホーム・ディシジョンは良いとは思わないが、ボクシングに限らず、人間がジャッジする場合、主観を排除することは不可能だ。むしろ、当の選手以外の者が大げさに騒ぎ、話を混乱させている。

 「亀田は負けていた。同じ日本人として恥に思う。申し訳ない」などと、ベネズエラ大使館へ電話をかけたり、メールを送ったりした人達が1000人以上いたという。「日本人の良識に感心した」と誉める評論家には反吐が出る。リングで命をかけて戦った選手に送る言葉ではあるまい。

 亀田は、全力で戦ったし、結果が持つ意味を誰よりも理解している筈。表現のまずさは別だ。ファンがWBAの審判員に抗議したいなら、それはそれで良いが、亀田には、次回はKOで勝てよで済ますべきだ。テレビに引っ張り出し、それに飽き足らず父親とゲストを喧嘩口調で対立させた企画は、茶番を通り過ぎて見苦しい。

 全ては、メディアが亀田親子をプロモーションの道具に使い、高視聴率を叩きだし、面白おかしく興行をうっただけのことだ。父親や本人の言葉遣い・マナー不足をとやかく言うが、彼らは飾り立てようがない素材なのだ。チャンピオンらしく優等生的な発言を期待する人たちは、野生動物をペットとして飼ったが、手に負えなくなったので捨ててしまう無責任な飼い主と大差ない。

 最後に、プロスポーツは、少々の違いはあろうともショービジネスの世界であって、高校野球のように純スポーツとして観るのは止めた方が良い。悪役レスラーや、粗暴さを売り物にしたプロ選手が人気をはくすのは、ショースポーツとの割りきりがあってのこと。何故、今回の亀田選手の件だけを別格に扱おうとするのか、ぶれ過ぎる価値観の落差にがく然とした。