プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★メディアの功罪

2006-08-29 09:34:55 | 日記・エッセイ・コラム

 今朝、東京歌舞伎座で開催された映画の試写会のTVニュースが流れた。会場に安倍官房長官の姿があった。「あれっ!」と思わず画面を凝視してしまった。そして、いつもの悪い癖で、あれこれ背景を模索し妄想した。

 最近、政治家がメディアの偏向、或いは、面白おかしく騒ぎ立てると口にすることが多い。とりわけ、マスコミを最大限利用してきた大物政治家が、自分に不都合な発言をメディアに責任転嫁するのをみると、無性に腹立たしい。リアリティはテレビの特性でもあり武器でもある。政治家がテレビの政見放送だけでなく、バラエティ番組にも登場するようになったのも、その威力を利用するのが目的。しかし、不都合な言動が映像として流されると、とたんに態度が豹変するのは身勝手というものだ。

 さて、W杯サッカーでのジダンの頭突きシーンやボクシングの亀田の人を食ったような態度、或いは、甲子園のスターとなった祐チャンのハンカチシーン等々、対比し繰り返し見せられると、固定観念が出来上がる危険を感じる。しかも、一部の映像を切り取り・編集し、何度もリピートする手法は時には嫌悪感をもよおす。

 新聞・雑誌類は視覚に、ラジオは聴覚に訴えるが、テレビ媒体は両方を同時に刺激するので、インパクトが強くなるのは当然だ。 ビジュアル主流の時代においては、テレビの影響力が大きいだけに、報道姿勢が世論形成上、如何に重要かを関係者は心しておくべきだ。要は、番組の企画・編集者の知性とモラルが問われることになる。