6月6日から三日間にわたり開催された「第57回百万石まつり」は、昨日をもって幕を閉じた。7日には、メイン行事の百万石行列が市中を練り歩き、市内は祭りムード一色に染まった。
百万石まつりは、加賀藩祖・前田利家の金沢入城を再現するものだが、回数が示すように戦後生まれのイベントで、時代の移ろいとともに変化している。私の小学生時代は、利家入城の日を市祭として学校は休みになった。が、いつしか観光客を呼び込むために、6月の第一土曜日を中心とした前後三日間開催に。今年は、前田利家に俳優の山下真司、お松の方には石野眞子を迎えたが、毎年、起用する俳優を楽しみにしている市民も多いと聞く。
元来、お祭りとは大衆の熱気やエネルギーが凝縮される象徴的存在。徳島の”阿波踊り”や博多の”どんたく”、或いは、東北地方の三大祭り等々、メジャーな祭りに共通するのは、年に一度、市民総出で酔いしれることが出来る参加型だ。百万石まつりは、京都の三大祭りと同様、華麗な時代絵巻を繰り広げる見物型だけに私は魅力を感じない。
金沢に大衆が集う熱狂的な祭りがないのは、外様大名なるが故の防衛策が大衆文化にまで浸透していた気がしてならない。金沢城の構図をみても、一番守りの弱い方角に「尾崎神社」を配し、徳川家康公を祀っている。そこから敵が攻め入れば将軍家に叛くことと同義になるからとの深謀遠慮からだ。大藩を維持するには、常に江戸幕府に神経を集中していたことを理解すると、この町の宿命と限界に気づく。伝統工芸や芸事を奨励した前田家の遺産で生きている町、それが金沢だ。