昨日の糸魚川市の大火で、忘れかけていた古い記憶が蘇った。
当金沢市で、明治以降で最大の火災は、「彦三の大火」。私が生まれる16年前の昭和2年4月のこと。消失面積は、およそ18万㎡で、今回の糸魚川大火をはるかに凌ぐ規模だった。
被害が広域に及んだ原因は、木造住宅の密集に加え、折からの強風とフェーン現象と言う点で、糸魚川市の火災と一致する。
同地で生まれ育った私が、19歳の時、となりの横安江町にある浄土真宗大谷派・金沢東別院が消失し、死者1、負傷者24名を出した。
家族総出のバケツの水リレーで、大屋根に水をかけ、類焼を免れたが、幼少期の思い出が、一瞬にして奪われた。再建された東別院は、殺風景で何の郷愁も感じられず、表参道にあたる横安江町商店街は、同期をとるように衰退した。
大糸線への乗換え時間を利用して、旧街道の風情が残る雁木通りをぶらつき、蕎麦屋の暖簾をくぐったりと楽しい思い出が残っている。
天災・人災を問わず、災害は不幸だ。一日も早い復興を願っている。
当金沢市で、明治以降で最大の火災は、「彦三の大火」。私が生まれる16年前の昭和2年4月のこと。消失面積は、およそ18万㎡で、今回の糸魚川大火をはるかに凌ぐ規模だった。
被害が広域に及んだ原因は、木造住宅の密集に加え、折からの強風とフェーン現象と言う点で、糸魚川市の火災と一致する。
同地で生まれ育った私が、19歳の時、となりの横安江町にある浄土真宗大谷派・金沢東別院が消失し、死者1、負傷者24名を出した。
家族総出のバケツの水リレーで、大屋根に水をかけ、類焼を免れたが、幼少期の思い出が、一瞬にして奪われた。再建された東別院は、殺風景で何の郷愁も感じられず、表参道にあたる横安江町商店街は、同期をとるように衰退した。
大糸線への乗換え時間を利用して、旧街道の風情が残る雁木通りをぶらつき、蕎麦屋の暖簾をくぐったりと楽しい思い出が残っている。
天災・人災を問わず、災害は不幸だ。一日も早い復興を願っている。