プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★2時間ウォークでならし運転

2016-05-26 13:56:20 | スポーツ
 完全休養も5日目。妻との合同練習を3回パス。今朝も、妻が一人でジョギングに出掛けるのを見送って、ストレスを感じた。

 さいわい、3日間続いた微熱がひいたので、午前9時過ぎに、2時間ウォーキングに出た。

 通常なら、30分~60分程度で様子を見るのだが、6月5日のレースが迫っているので、無理を承知で出発した。

 途中で小休止を挟みながらも、何とか2時間のノルマを終えた時は、汗びっしょり。歩くうちに、痛みが集中する個所が特定出来たのが収穫だった。

 次回の合同練習日(28日)に、走ることが出来るまでに回復していなければ、最悪のケースに備える必要がありそうな雲行きになりつつある。

★順応性の劣化?

2016-05-25 10:59:18 | 日記・エッセイ・コラム
 体が熱っぽく、節々が痛いので、夏風邪かと思い、3日間、大事をとって完全休養した。

 急に暑くなったので、身体が順応していないのだと思ったのだが、どうも様子が違う。

 今朝、着替えようとしたら、左足が上がらなかった。無理やり、足を上げようとしても、10㎝程が限界で、激痛が走った。

 階段昇降も満足に出来ず、朝一番に整形外科医院で診察を受けた。骨に異常は無く、一過性の炎症との診断に安堵した。

 しかし、注射出来ない微妙な個所なので、痛み止めの薬と消炎パップ剤を処方して貰い、経過をみることになった。

 「好事魔多し」と言うが、ここまで、順調に仕上がって来ていたので、6月5日のレースを間近に控え、焦り気味である。

 
 

★東京都民211万人の嘆き節

2016-05-23 15:44:53 | 日記・エッセイ・コラム
 「東京ブルース」の歌い出しを、”だました都知事が悪いのか 信じた私が馬鹿なのか~”と並べてみたくなった。

 牧伸二が健在だったら、「あーあーあーあぁ やんなっちゃったぁ!あ~ぁ~あ~あぁ驚いた」と歌って、後は絶句したに違いない。

 法的に問題なのか否かではなく、政治家として、それ以前に、人間として、だらしない。

 私の頭の中で、無責任な噂話しが、芽生えた。「自民党では、都知事選の候補者選びが始まったらしいヨ!」。「一説には、橋下前大阪市長が有力だとか。憲法改正に積極的だし、原発推進でも安倍さんと考え方が共通だというのでね」。

 「なるほど、細川・小泉連合の対抗馬として、自民・公明は、舛添さんを支持したけど、本心は別。安倍降ろしの急先鋒で、党が一番大変な時に、新党改革を作って逃げ出した人だったからな」。

 「石原慎太郎の長男説も捨てがたい。本人が、現職に限界を感じてるからね」。

 辞めたくない本人の思いと、辞めればそれで済むのか?との疑問が渦巻く。選挙をすれば、約50億円のお金がかかる。東京都民の恨み節ならぬ嘆き節が聞えてくる。

★岐阜市の魅力③(完):食

2016-05-21 08:23:07 | 日記・エッセイ・コラム
 岐阜県は、北は、3,000m級の山々が連なる飛騨山脈を中心とした「飛騨地方」、南は、濃尾平野を中心とした「美濃地方」に二分される。

 面積は、全国7位の広大さを誇り、豊かな水に恵まれた自然環境から、南北それぞれに、独自の伝統的な郷土料理を育んでいる。

 長良川の鵜飼の本格的シーズンはこれからなので、飛騨牛を食べることにし、ホテルのフロントでお勧めの店を教えてもらった。

 お決まりのコース料理が嫌いなので、朴葉味噌ステーキとビーフシチューをメインに、温野菜サラダと玉ねぎを丸ごと1個使った串焼き等、二人でシェアしながら、久し振りに酒に酔った。

 さて、外食金額に関する政令市の比較で、岐阜市は、東京・川崎に続き、堂々の全国3位。以下、名古屋4位、さいたま5位、横浜6位、京都7位と続き、我が金沢は9位となっている。

 翌日、奥美濃古地鳥料理を食べた。赤みを帯びた歯ごたえのある肉質でコクがある。知名度で、名古屋コーチンに及ばないが、甲乙つけ難い旨さで、岐阜の食文化の充実度を実感した。

★岐阜市の魅力②:岐阜公園と岐阜城

2016-05-20 08:47:39 | 日記・エッセイ・コラム
 列車から金華山の山頂に位置する城を見るたびに、「いつか必ず」と思い続けてきた岐阜城。

 岐阜駅前から、バスで15分程の岐阜公園駅で下車し、園内にある金華山ロープウェイを利用すると、約4分で山頂駅に着き、更にしばらく登ると岐阜城に着く。

 ハイキングを兼ねて、上りを歩き、下りをロープウェイにするつもりだったが、急峻な山容におじけづき、往復ともロープウェイを利用した。

 公園の入口で、板垣退助の銅像を見つけた。はて?彼は土佐藩士のはずと、説明文を読んでみた。

 自由民権運動の中心人物で、100円札の肖像にも用いられた板垣退助が、暴漢に襲われた、世にいう「岐阜事件」は、1882年4月6日、岐阜公園内にあった神道中教院での演説を終え、玄関を出た時に起きたとあった。

 金華山山頂に建つ織田信長ゆかりの岐阜城は、難攻不落の天然の要塞の印象を与える。しかし、標高329mにある城は、水や食料の備蓄が限られ、兵糧攻めにあって落城を経験している。

 眼下に広がる岐阜の街や濃尾平野の雄大な景色を見渡していたら、時空を超越して、天下国家を考えた信長や板垣の思いにシンクロしていた。