留守中、販売店に取り置きしてもらった新聞(東京)にぼつぼつ目を
通しているのですが、その中に興味深い特集がありました。
レベル7 汚染水との戦い(5回シリーズ)です。
今日はその中から第3回、窮余の海洋投棄(7月14日朝刊1面)を転載します。
福島第一原発でメルトダウン(炉心溶融)した原子炉から、高濃度の放射
能汚染水がタービン建屋地下に漏れ続けていた四月一日。米ハドソン研究所
上席研究員の磯村順二郎(63)が官邸を訪ね、官房副長官の仙谷由人(65)
と向き合っていた。
「腹を固めてください。負の選択肢だが、低濃度の汚染水を海に放出する
しかない」
米エネルギー省と交流の深い磯村は、米側の「意向」を伝える。高濃度
汚染水の海への流出を防ぐには、低濃度汚染水がたまった施設を空にし、
そこに移すべきだ_。
仙石は「総理は『原子力に詳しい』なんて言うから口を出せないしな」
と言うと、携帯電話で首相補佐官(当時)の細野豪志(39)を呼び、磯村
に代わる。
細野は「米国とはうまくやっている。そんな話は聞いていない」とすげない
反応だった。
だが、三日後には一万トン余りを放出せざるを得なくなる。
■
「何とかしてくれ、頑張れと言われても、水の処理を決めない限り現場は
厳しい」
四日朝、東京電力本店の統合対策本部と第一原発の現地本部を結ぶ
テレビ会議で、所長の吉田昌郎(56)が切実な口調で迫った。「排出基準
より高いが、至急検討してほしい」
二日に高濃度汚染水の海への流出が判明。津波で無事だった5、6号機の
地下にも大量の水がたまり、排出しないと非常用ディーゼル発電機が水没
する恐れがあった。
「本店がしっかり受け止める。政府と調整する」。統合本部で技術面を
取り仕切る東電フェローの武黒一郎(65)が答え、その場をいったん
収めた。
東電は午後三時、経済産業省原子力安全・保安院に放出計画を提出。
保安院は原子力委員会の了承を得た上で、了承する。
「取れる方法としてこれしかないと...」
保安院の記者会見で四日夕、経産省審議官の西山英彦(54)は、集中
廃棄物処理施設と5、6号機の排水溝にたまる低濃度汚染水の放出を公表
した。
■
福島県と接する茨城県北茨城市。四日夜、市役所で帰り支度をして
いた秘書課長の清水邦明(57)の携帯電話が鳴った。「テレビ見たか?
これは大変なことだぞ」。市長の豊田稔(67)からだった。
汚染水放出は寝耳に水。豊田は「漁業者を守らないといけない。沿岸
の市町村と連絡を取れ」と指示した。
清水は深夜までかけて沿岸九市町村の意見をまとめ、翌五日に県との
連名で政府と東電に抗議文を提出する。韓国やロシアも放出を批判した。
海に汚染水が放出されたのは、四日午後七時過ぎ。東電は保安院や
地元には事前説明したが、放出の影響を受ける茨城県や漁協への連絡は
なかった。
■
海へ放出された汚染水は「低レベル」と発表された。東電によると、
これは「高濃度汚染水と比べると低い」という意味だ。実際は法令に
基づく濃度限度の最大五百倍で、緊急事態でなければ許されない濃度で
ある。
「汚染された魚を一年間食べ続けても、自然界から受ける放射線量の
四分の一」
福島市で会見した東電技術・広報担当(当時)の白井功(47)は、
健康への影響がないことを強調した。事故の前は「放射性物質は閉じ込め
ているから大丈夫です」と繰り返し説明してきた白井。「申し訳ありま
せん」と謝罪すると、思わず涙がこぼれた。(敬称略)
コロ子の感想
この記事が事実だとすると、平田オリザ氏の発言「汚染水の放出は米国
の要請によるもの」が裏づけられたことになります。
次に、ハドソン研究所の磯村氏がなぜこの場面で登場したか、です。
細野氏は「米国とはうまくやっている。そんな話は聞いていない」と
言い、日頃から米国とは緊密な連絡をとりあっていることが窺われます。
とすれば、細野氏に近しい勢力とは別のグループが動いた、と見るのが
妥当でしょう。
磯村順二郎氏の経歴がハドソン研究所のサイトに掲載されていましたので、
一部貼付けておきます。
Jun Isomura Senior Fellow
Hudson Institute, Washington, D.C. Headquarters
Biographical Highlights
Prior to joining Hudson, Isomura spent 12 years running his own international
public affairs firm and risk consulting firm. He was a pioneer in the cyber
security field in Japan. From 1997 to 2000 he conducted the cyber security
project “Committee for a Large-Scale Plan for Network Security” for the Ministry
of Economy, Trade and Industry. He was also a cabinet office member of
the committee responsible for the “Special Action Plan of Countermeasures
against Cyber-Terrorism on Critical Infrastructure”.
扱う会社を経営。日本ではサイバーセキュリティのパイオニアでもあり、
1997年~2000年、経産省の"ネットワークセキュリティの大規模計画
委員会"でサイバーセキュリティプロジェクトを指揮した。さらに"最重要
インフラのサイバーテロ対策に関する特別行動計画"で内閣府メンバーを
務めた。
As staff to the late Shintaro Abe, former minister of foreign affairs and former
secretary general of the Liberal Democratic Party, in 1990 Isomura arranged
a meeting between the Soviet President Mikhail Gorbachev and Shintaro
Abe. Isomura had a private meeting with Soviet Vice President Gennady
Yanayev in the Kremlin just three days before the August 1991 coup.
故安倍晋太郎氏のスタッフとして、イソムラは1990年にはソビエト大統領
ゴルバチョフ氏と安倍晋太郎氏の会談の手はずを整えた。イソムラは
1991年8月クーデターのまさに3日前、ソビエト副大統領ヤナーエフ氏と
私的会談を持っていた。