取り置きの新聞から(その2)

2011-07-23 09:59:25 | 日常

留守中に販売店に取り置きしてもらった新聞(東京)にぼつぼつ目を
通しているのですが、その中に興味深い特集がありました。

レベル7 汚染水との戦い5回シリーズ)です。
今日はその中から第4回、水棺米に促され715日朝刊1面)を
転載します。

 福島第一原発の事故から六日後の三月十七日。東京・市谷の防衛省
大臣室で、米原子力規制委員会(NRC)から派遣されたチャールズ・
カスト(55)が防衛相の北沢俊美(73)と向き合っていた。

 「事故の現状をどう認識していますか」
 カストが北沢に問いかける。「どうなると思いますか」。北沢が逆
に尋ねると、カストは「最悪の場合はメルトダウン(炉心溶融)し、
(旧ソ連)チェルノブイリ(原発事故)のようになる恐れがあります」
と答えた。

 経済産業省原子力安全・保安院や東京電力の幹部らを交え、翌日は
防衛政策局長高見沢将林(55)の部屋、十九日は地下会議室と、防衛
省内で連日、秘密協議が続く。

 「原子力災害対策チーム」と呼ばれた協議で、カストは「フラッ
ディングや窒素注入などの対処方法がある」と話した。フラッディング
とは、水浸しにするという意味。原子炉を覆う格納容器の中を水で
満たし、原子炉を丸ごと外から冷やす世界初の「水棺」冷却の提案
だった。
 だが、日本側の反応は冷ややかだった。
              ■             
 首相官邸裏の内閣府別館。日米協議は二十二日以降、このビルの
九階会議室で開かれるようになる。十人程度だった参加者は五十人
に拡大。官房副長官の福山哲郎(49)を中心に首相補佐官(当時)
の細野豪志(39)や東電副社長(同)の武藤栄(61)、カストら
が出席し善後策を協議する。
 「調整会議」と呼ばれた会議で、武藤は水棺に難色を示す。水で
重くなった格納容器は余震に耐えられない恐れがある。電源が復旧
すれば、水を循環させる冷却システムの回復が期待できる。そちら
を優先すべきだ_という意見だった。
 だが、二十四日、3号機のタービン建屋地下で、三人の作業員が
高濃度汚染水に被ばく。1、2号機でも汚染水が見つかり、冷却
システムの回復に向けた復旧作業は難航する。
 政府は結局、二十八日になって水棺を受け入れる。NRC委員長の
グレゴリー・ヤツコ(40)が来日した、まさにその日。東電は四月
十七日、事故収束に向けた工程表で、1号機から水棺を行う方針を
正式に表明した。
 1号機では既に、水素爆発を防ぐため窒素を注入していたが、格納
容器内の圧力は上がらない。どこかから漏れている_。そんな心配
があったが、水棺は決行される。
 二十七日以降の注水量は、毎時六~十トン。それまでより増やし、
注水を続けた。
              ■             
 「私自身は、いい方法だと思わない」
 五月二日、自民党の勉強会で、日本原子力技術協会最高顧問の石川
迪夫(77)は水棺に疑問を呈した。北海道大教授の奈良林直(59)
も「また地震があったら、格納容器が耐えられるのか」と懸念を示す。
 注水量を増やしたが圧力は上がらない。データは汚染水漏出の疑い
を示していた。
 東電は十二日になって初めて、漏出の可能性を認めた。細野はその
五日後の記者会見で「別の方法を選択した方がいいと判断した」と述
べ、事実上の水棺断念を表明する。
 米側に促されるまま、政府主導で見切り発車した水棺作戦。格納
容器に入れる水量を増やした分、汚染水も増えた。(敬称略)

コロ子の感想
米国のご機嫌を損ねてはならじと、(日本の技術者が異口同音に疑問
を呈する)水棺作戦に突入したのなら、とても残念です。
同じく日本の専門家が「ほとんど無意味」とした”ヘリからの注水”も、
米国に日本の本気度を示すためだった、と毎日新聞が報道しています。
これでは、現場が報われません。しかも残された汚染水の処理にさい
なまれることになるのですから、徒労感はいかばかりかと思います。


「ヘリ放水はアメリカ向けだった」 米政府好感、現実には冷却効果
が期待できないヘリ放水は二度と行われず

(2011年4月22日 毎日新聞)


◇巨大なバケツ
晴れ渡る空に陸上自衛隊の大型輸送ヘリCH47が2機、巨大なバケツ
(容量7.5トン)をつり下げて仙台市の陸自霞目(かすみのめ)駐屯
地を飛び立ったのは、東日本大震災6日後の3月17日朝だった。目指
す東京電力福島第1原発3号機からは白煙が上がる。使用済み核燃料
プールの水が沸騰した放射性水蒸気だ。海水をくんで放水し、プールを
冷やす作戦だった。「炉心溶融が進行していれば、放水によって水蒸気
爆発を起こすおそれもある」。菅直人首相らは「最悪のシナリオ」を
危惧し、防衛省は搭乗隊員向けに防護策をとった。放射線を極力遮断
するため戦闘用防護衣の下には鉛製ベスト、床部にはタングステン板を
敷き詰めた。放射線を浴び続けないよう上空に停止せず、横切りながら
放水する方式とした。「ヘリ放水開始」。午前9時48分、テレビ画像
のテロップとともに映像は世界に生中継された。計4回(計約30トン)
の放水で1回目が目標に命中したが、爆発は起きなかった。日本政府が
命がけの作戦を開始した−−。ニュースが伝わった東京株式市場では全面
安の展開だった日経平均株価の下げ幅が緩んだ。ワシントンの日本大使
館では拍手がわいた。「自衛隊などが原子炉冷却に全力を挙げている」。
作業終了から約10分後、菅首相はオバマ米大統領に電話で伝えた。
米国防総省は藤崎一郎駐米大使に伝えた。「自衛隊の英雄的な行為に
感謝する」翌18日、米原子力規制委員会(NRC)代表団や在日
米軍幹部と、防衛、外務当局や東電など日本側関係者が防衛省でひそか
に会合を持った。米側の一人はヘリ放水を称賛した。「よくやりました
ね」相次ぐ水素爆発と放射性物質の広域拡散……。原発暴走を制御でき
ない無力な日本という印象が世界に広がりつつあり、菅政権は「この
ままでは日本は見捨てられる」と危機感を強めていた。「放水はアメ
リカ向けだった。日本の本気度を米国に伝えようとした」。政府高官は
明かした。
「原発の状況が分からない」。米国のいら立ちは震災直後からあった。
NRC先遣隊が12日の1号機水素爆発直後に日本に派遣されたが、
複数の政府関係者によると、経済産業省原子力安全・保安院は当初、
「情報開示に慎重だった」といい、米政府は限定的な情報で原子炉の
現状を推測するしかなかった。
14日には「トモダチ作戦」に参加していた米原子力空母ロナルド・
レーガンが乗員から放射性物質が検出されたとして三陸沖を離れ、16
日にはNRCのヤツコ委員長が下院公聴会で「4号機の使用済み核燃料
プールには水がない」と証言。17日にはルース駐日米大使が日本の
避難指示より広範な原発から半径50マイル(約80キロ)以内の米国人
に圏外避難を勧告。米国の一連の言動は日本への不信と強い危機感の
表れと映った。
◇やるしかない
日米がかみ合わない中、打開に動いたのは防衛省だった。15日に東電
側と相談して「3号機は上空、4号機は地上から」という放水作戦を立案。
水蒸気爆発を懸念した菅首相は防衛省に「地上の前にまず上空から」と
手順を指示した。隊員から戸惑いの声も漏れたが、「やるしかない」と
作戦に臨む陸自幹部は覚悟を決めた。
16日のヘリ放水は高い放射線量が観測され断念するが、この日夜には
北沢俊美防衛相と制服組トップの折木良一統合幕僚長が「放射線量の
数値が高くても踏み切る」と「17日決行」を決める。
「隊員の命にかかわる作戦だ」。17日朝、折木統幕長は東電から情報
収集するよう指示。「安全」を確認すると北沢防衛相に最終的なゴー
サインを告げた。
「今日が限度と判断した」。北沢防衛相は放水後の
記者会見で言った。米政府は好感し、現実には冷却効果が期待できない
ヘリ放水は二度と行われなかった。


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