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「恋するピアニスト フジコ・ヘミング」(2024年 日本映画)

2024年12月11日 | 映画の感想・批評


 今年も残すところ1ヶ月足らずとなり、改めて1年間が早く過ぎたように感じるのは年をとったせいだろうか。アラン・ドロンに西田敏行、中山美穂と、今年亡くなられた有名人もたくさんいらっしゃるが、4月に92歳で亡くなった世界的に有名なピアニスト、フジコ・ヘミングもその一人。本作は2018年に公開され、ロングランヒットとなった「フジコ・ヘミングの時間」以降の彼女がどのように生きてきたかを、前作と同じ小松荘一良監督が温かいまなざしで描いたドキュメンタリー作品だ。
 フジコ・ヘミングについて、資料をもとに少し説明を加えると、本名はゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ。ベルリン生まれで、父はスウェーデン人の画家で建築家のジョスタ・ゲオルギー・ヘミング。母は日本人のピアニスト、大月投網子。フジコが5歳の時、一家で日本にやってきたが、第二次世界大戦が起き、父は祖国スウェーデンに帰されてしまい、その後は弟の大月ウルフと共に母親のもとで育てられる。フジコはその父との思い出を映画の撮影中に一枚の絵に描いている。蓄音機にダンス音楽をかけて2人で踊っているところの絵なのだが、何とも楽しそうで、フジコの父親への思いが自然と伝わってくるようだ。東京芸術大学を卒業後、ストックホルムの大学に入ったのも父を意識してのことだろうし、父が描いたポスターが、横浜にある日本郵船歴史博物館に保存されているということも、口では父のことをあまりよく言わない割には、まんざらでもない様子。昨年開催されたその思い出の地ともいえる横浜でのコンサートは、フジコが一番理想としていたコンサートに仕上がったようだ。フジコと言えば「ラ・カンパネラ」をドラマティックに演奏する姿が印象的なのだが、『赤いカンパネラ』と名付けられたそのコンサートでは、青~紫~赤と変わっていく美しい照明のもと、さらにそこに色を付けていくように弾くピアノの音色を体感できるように構成。その模様は天井からのアングルや手元のクローズアップなど、4Kシネマカメラ17台で捉えた迫力の映像となって現れる。もちろんこのコンサートを演出したのも小松監督だ。
 とにかくフジコが弾くピアノを聴くと、どんな曲でも独特の世界に引き込まれてしまい、陶酔してしまうから不思議。音楽には全く素人の自分でもそれが感じられるのだから本物だ。それはいつの時代でも、どこに暮らしていても、自分らしく生きたフジコだからこそ生み出せる技なのかもしれない。その生き方が様々なエピソードで綴られていて楽しい。世界各所に住む家を持つフジコだが、サンタモニカの家で自然と動物に囲まれて過ごす穏やかな休暇の時期から一転、コロナ禍に入り、フジコは動き出す。まずは東京の阿佐ヶ谷教会での無観客ライブで悲しみに暮れる人々の心を癒やし、続いて戦時中を過ごした疎開先の岡山の小学校で演奏会を開催。77年ぶりに当時自分が練習したピアノを使って子どもたちの前で披露。このピアノ、よくぞ残っていたものだ。さらに横浜でのコンサートを成功させた後は、ついに夢見たパリのコンセルヴァトワール劇場へ。ここは世界の名だたるピアニスト達が目指した劇場。そこでの演奏は、まさに人生の集大成のような趣に満ちていた。ショパンの『幻想即興曲』、ドビュッシーの『月の光』など、聞き慣れた曲だけれどフジコが演奏しているというだけで特別に聴き入ってしまう。90歳を超え、歩くのが不自由になってきたとはいえ、ピアノの前に座った途端見事に動き出す大きな手と長い指。そこには5歳から始めたというピアノの練習を一日も休まず続けているという自信と、それを温かく見守った母親の愛情が重なって見えた。
 “恋する”ピアニストはいくつになっても少女のようなときめきを忘れない。子どもの頃に習ったピアノの先生から始まり、コンサートで一緒になった指揮者や演奏家達をすぐに好きになってしまうのだから・・・、フジコにはピッタリのタイトルかも。演奏会は生の音楽を楽しむ至高の場所。しかし、残念だけれど、音楽はその場で消えてしまうはかないものでもある。もうフジコ・ヘミングの生の演奏は聴くことはできないけれど、映画として残った!!これから先もきっとこの映画を観てフジコ・ヘミングの魅力に浸れる方も多いことだろう。
(HIRO)

監督:小松荘一良
撮影:藤本誠司
出演:フジコ・ヘミング、陣内太蔵、ヴァスコ・ヴァッシレフ、吉永真奈 


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