クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

イタリアから帰ってきました~!

2014年12月20日 | 教室の近況報告
 1週間のお休みをいただき、14日の朝、フランクフルトから関西空港に帰ってきました 母を実家に送り届け、荷解きを手伝い、夕方には新感線で帰京。我が家に着いた時には、ホッとしました

 じつは、その長い一日のスタートは・・・ローマのホテルで5時に起床、7時にはホテルを出発してローマのレオナルド・ダ・ビンチ空港へ。
出国の手続きをして、バタバタと機内に乗り込みましたが、フランクフルト行のルフトハンザの便が、ゲートを離れて動き出したたとん「機体に一部に不具合があるため、これから修理します」というアナウンス 関空行きの便まで2時間しか乗り継ぎの時間がなかったので、ザーッと青ざめました
 というのも、10年ほど前、ミュンヘンからルフトハンザの便に乗り、フランクフルトに向かう時、同じようなアナウンスがあり、機体修理。でも、その時には修理が完了せず、違う機材に乗り換えたため、十分に乗り換えの余裕を見ていたにも関わらず、フランクフルトで日本航空の便に乗り換えることができず、大変な思いをした・・・という苦い思い出があります 結局、その時は車椅子の父、すでに70歳をゆうに超えていたお姑さん、私の母を含め、全員がフランクフルトで余分な一泊をすることになってしまい、本当に苦労をしたのでした
 ルフトハンザよ、またもや同じことになるのか と怒り心頭でしたが、幸い、今回は50分ほどで修理完了し、大慌てのてんてこ舞でしたが、乗り継ぎも出来て、万々歳でした

 機内でも、旅行中も、83歳の母はよく食べ、よく寝て、よく歩いて・・・本当に良く頑張ったと思います 母は、帰国の翌日にはいつも通り、オフィスに出かけ、その足で父の介護施設へ。気力も大事ですが、やはり高齢になると、体力の維持もとても大事ですね
 仕事大好き人間の母は、昔から会社を休むことをとても嫌い、私が独身の頃にも、私と一泊旅行さえしたことがありません。今回の初めての母娘旅・・・デコボコばかりのイタリアの石畳の道を歩くため、ずっと母の足元に注意をしていたり、慣れないバスタブとシャワーが心配なので、ずっと一緒に入浴したりと、気遣うことが多くて、とても神経を使う旅で疲れましたが、良い親孝行になったのでは?と、自画自賛しています
 それに、「晴れ女」の母のパワーが強かったようで、日程中、ずっと冬の晴天が続きました ひたすら、母には感謝です

 そして何よりの収穫は
母が、「私は若い、えらい、と思っている自分の毎日の生活が、実際にはルーティンをこなしているだけの暮らしで、さほど頭を使っていないものだった」と気づいてくれたこと、でしょうか。
 私は、始まったばかりの年中児クラスの子ども達を諭すように、「毎日の暮らしには、たくさんの驚き、気づきがあるのよ。ダラダラといつもの時間に、言われたように身体を動かしているだけではダメ。もっと、ワクワクといろいろなものを眺めてご覧なさい」こんな言葉と同じようなことを、毎日、母に言い続けました
 訪れた、舌を噛みそうな難しい発音のお城や美術館の名前もリピートしてもらい、Buon giorno や Gracie も口に出して笑顔で言ってよー!とせがみ・・・ とにかく、脳みそフル回転状態の8日間だったことと思います 今回の旅行が、良い刺激となって、母を活性化してくれることを願っています

 さて、そのイタリア
今回は、フランクフルトからミラノに入り、ベローナ、ヴェネッチア、フィレンツェ、ピサ、ローマ・・・と、怒涛の丸6日間。世界一、世界遺産の多い国ですから、何を見てもひたすら「すごい」のひと言です。建築、絵画、彫刻、etc.etc. そんなことは、短くなんて言い尽くせません。
 ですから、敢えて別の観点から感じたことをお伝えするとすれば、私が何よりも感動したのは、それぞれの町の人達の「郷土愛」と「美しく装うとしている意識の高さ」でした
 
 小さな公国、共和国等が統一されて「イタリア」になってからは、まだわずか150年。そういう意味では、イタリアの地方は、まだその公国や共和国のなごりのような感覚があり、郷土愛が強いのは当然でしょう。ですから、ひとたびサッカーともなれば、まるで国と国の戦いほどの勢いで熱狂するのも理解に易いですね
 しかし、こういう郷土愛が、ひいては「Italia」という国を愛する思いとなっていることは確かです(私のイタリア語の先生はプッリア州出身。郷土への愛情は強いです)。今、国際化を合言葉に、若いご両親が「日本語」や「日本という母国」に対する愛情が薄いのは残念です しっかりとしたアイデンティティーを持つことが、国際人への一歩である、と私は強く信じているのですが・・・

 そして、「美しく装う意識の高さ」。そうです、ひと言でいえば、都市に住むイタリア人は、老若男女、みな、とーってもオシャレです 石畳の道を、ガラガラとショッピングカートを引っ張って歩くおばあちゃんも、バールの前で新聞を読んでいるおじちゃんも、服装を自分の個性として装おうとしていることを感じます 女性はみな、ネックレスやイヤリングを装い、コートの首元のマフラーにも神経が行き届いています
 私の母は、かなりオシャレな人だと思っていますが、その母が「私、がんばらんといかんなあ・・・完全にイタリア人のおばあちゃんに負けてるわ めちゃくちゃ、みんなカッコえんもん」と笑っていました。

 古今東西、誰だって歳は平等にとっていきますからね 若さがひとつの美しさの象徴なのだとしたら、1年1年、その美しさは失われていってもしかたのないもの、です。
 ならば、それを補ってまだあまりある「美しさを求める」という意味で、服装、ジュエリー、オシャレへの意識 こんな心意気を、私もずっとずっと持っていなきゃと、強く思いました。

コメント
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