「ここのところ、クラブマナーズ・ニュースは、本当にオンタイムにアップされたこと、ありませんよ、先生。もしかして、先生、どこかお悪いんじゃないですか?」と聞いてくださる方・・・「同じ学年のママと、ご主人様か坊ちゃんが、また何か?と思ったものの、聞くに聞けず・・・」と書いてきてくださる方・・・
本当にすみませんでした すっかりご心配をおかけしてしまいました。
考査中でしたので、お知らせをするわけにはいかなかったのです
じつは、10月6日に、義母が亡くなりました。享年92歳でした。
私の父も、2016年の10月に他界し(義父も10月20日です)、みんな親達は「私の親孝行度を計っている?」と思ってしまいます。
昨年の10月は娘の結婚があり、お祝い事でしたので、教室のみなさまにもお知らせをいたしましたが、今年のことは弔事ですので、お知らせを控えました。
義母は、この36年間、私の自慢のお姑さんで、尊敬して止まない人でした いつまで経っても教えてもらうことばかり。立ち居振る舞い、言葉遣い、文章の書き方等々、義母からは習うことばかりでした。
長年、俳句を嗜んでおり、その影響を受けて、中学受験生だった12歳の息子が6年生の夏に「塾帰り、空見上げればアンタレス」と詠み、大層おばあちゃんに褒めてもらったことがありました それ以降、私は夏になるとさそり座の中で明るく光るアンタレスを見つけると、その句を思い出してムフフと笑います。だって、今の息子には、そんな趣味はもうありませんからね。
義母は6月、お世話になっている介護施設の自室で転び、大腿骨骨頭骨折をして、手術をしました それ自体は問題なく終えたのですが、2ヶ月弱の入院は高齢者にとっては非常に大きな負担で、一気に本調子ではなくなってしまったのでした。
そこで、お盆に帰省した時、敢えてお願いをして退院をさせていただき、自分の家である介護施設のお部屋に戻りました。その時には、義母は迎えてくださった施設の方々の手をとって涙を流して喜んたのでしたが・・・残念ながら低空飛行から脱することは出来ず、食べられなくなって、どんどん衰弱していって。92歳という年齢を思えば、本来は天寿を全うした、と言えるのですが、私としては「人生の師」を失ったような思いがあります
お盆以降、頻繁に主人と交替で大阪往復をしました。新幹線の車窓から見える静岡の茶畑や、滋賀県の近江米の田んぼに実る金色の稲穂など、眺めながら下手くそな俳句を詠み、義母に手直しをしてもらったり、ほめてもらったり・・・ もう、そんなことも出来なくなりました。
ほかにも今年は夏以降、バタバタといろんなことがあって、あっちもこっちも、と気持ちの休まる時間がなく・・・元気のゲンちゃんである私にしては珍しく、すっかり疲労困憊してしまいました
みなさまご存知の通り、歳をとることがちっとも嫌じゃない私ではありますが、61歳になると、やはり気持ちだけでは突っ走れなくなるのだなあ、としみじみ感じましたよ これが2年前ならば、きっとこうはならなかった、と思います。
そんな状況のもと、教室での子ども達との時間が、どれほど私にとっての「幸せ」であったかしれません
土曜日のクラス、サブクラス、振替のクラスで、いつもと何らかわりなく接し、接してもらい、笑ったり、がんばったり、困ったり、慰めたり、鼓舞したり・・・ああ、私は大丈夫だ、と確認しながら、いつも通り、一生懸命に日々に向かいあうことが出来ました 感謝、感謝でした