今日で震災から丸2年。
昨日の事のように、「あの日」のことが浮かんできます。
今までにない大きな揺れ、
停電と寒さの中で過ごした数日。
連絡が取れない被災地で生活していた娘の安否。
日々連続して起こる地震の揺れの恐怖。
原発事故の恐ろしさと、
先行きの見えないいらだちと不安。
まだまだ復興していない現実。
原発問題は復興とは裏腹の、
政府の無策と原発推進。
矛盾した、どうにもならないように見える
この世の中で、どうやって生きていったらいいのだろうか。
正直、途方に暮れる思いが勝ることさえあります。
昨日、私たち家族は、車の中で話をしていました。
「私たちは「3.11の語りべ」にならないとね!」と。
語りべ。
かつての戦争、原爆体験者はだんだんと老いて、
亡くなる方々も増えています。
もっともっと語って欲しいと願いつつも。
私たちのこの体験は、大地震、大津波、原発事故、
語るには重すぎる体験ですが、
今後も体験していくであろうことを含めて、
すべての体験していることを、次の人々のために
語り続けていく義務や責任を負わされていると感じます。
どんな形でもいいから、
語り続けて行こうと思います。
語ることによって、
私たち自身が決して忘れません。
まだまだこころの整理がつかなくて、
語りたくても語れない、被災された方々のためにも、
私たちが代わって語って行きたいと思います。
見たこと、聞いたこと、感じた事、考えたこと。
拙いことばをつなぎ合わせて、
パッチワーク的であっても
語り継いで行かなくてはと思います。
そのためには、いろんな被災された方たちの声を
今日も聞いて行きたいと思います。
聞くこと、語ること、
そして、やはり記録しておくこと。
残念ながら、3.11あおもりネットワークは、
この年度末をもって活動終了となり、解散します。
わたしは思います。
記録だけは残しておいてほしいと。
今までの活動と感想の記録を。
休止中の「虹の会」は、
別の新しい形ではじめたいと計画中です。
保養プロジェクトを支える形になるかと思います。
これからの話し合いの中で、
具体的になっていくと思います。
お祈り下さると嬉しいです。
ここあでした。
昨日の事のように、「あの日」のことが浮かんできます。
今までにない大きな揺れ、
停電と寒さの中で過ごした数日。
連絡が取れない被災地で生活していた娘の安否。
日々連続して起こる地震の揺れの恐怖。
原発事故の恐ろしさと、
先行きの見えないいらだちと不安。
まだまだ復興していない現実。
原発問題は復興とは裏腹の、
政府の無策と原発推進。
矛盾した、どうにもならないように見える
この世の中で、どうやって生きていったらいいのだろうか。
正直、途方に暮れる思いが勝ることさえあります。
昨日、私たち家族は、車の中で話をしていました。
「私たちは「3.11の語りべ」にならないとね!」と。
語りべ。
かつての戦争、原爆体験者はだんだんと老いて、
亡くなる方々も増えています。
もっともっと語って欲しいと願いつつも。
私たちのこの体験は、大地震、大津波、原発事故、
語るには重すぎる体験ですが、
今後も体験していくであろうことを含めて、
すべての体験していることを、次の人々のために
語り続けていく義務や責任を負わされていると感じます。
どんな形でもいいから、
語り続けて行こうと思います。
語ることによって、
私たち自身が決して忘れません。
まだまだこころの整理がつかなくて、
語りたくても語れない、被災された方々のためにも、
私たちが代わって語って行きたいと思います。
見たこと、聞いたこと、感じた事、考えたこと。
拙いことばをつなぎ合わせて、
パッチワーク的であっても
語り継いで行かなくてはと思います。
そのためには、いろんな被災された方たちの声を
今日も聞いて行きたいと思います。
聞くこと、語ること、
そして、やはり記録しておくこと。
残念ながら、3.11あおもりネットワークは、
この年度末をもって活動終了となり、解散します。
わたしは思います。
記録だけは残しておいてほしいと。
今までの活動と感想の記録を。
休止中の「虹の会」は、
別の新しい形ではじめたいと計画中です。
保養プロジェクトを支える形になるかと思います。
これからの話し合いの中で、
具体的になっていくと思います。
お祈り下さると嬉しいです。
ここあでした。