2月26日 日曜日。
沖縄・座間味島サバニ合宿6日目。
日曜日も、我々にとっては休みではないよ。
今日も、昨日に引き続き、転覆の練習。というか、予期しないところでひっくり返ったので、風下に岸壁、横に係留している大型艇、という比較的危険な場所での転覆だったので、あせった。
さてさて、本日掲載の沖縄サバニエッセイは、2004年度製。
未来に向って、サバニの果たすべき役割、それに付随する自分自身の役割が、いよいよ見えてきたような気がし始めた頃の文章です。
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古来の海文化を子孫に伝える
サバニ帆漕レース2004
取材・文/西村一広
取材協力 スウォッチ グループ ジャパン 株式会社
【サバニの過去と新事実】
かつて(1988年)NHKが、『海の群星(むりぶし)』というタイトルのドラマを制作した。
舞台は、第二時世界大戦が終わって間もない頃の石垣島。主人公のサバニ漁師を緒方 拳が演じている。
このドラマのビデオを入手して鑑賞した。
ストーリー自体から離れた目で見ると、細くて不安定で、乗りこなすのに熟練を要するサバニを、緒方 拳以下の出演者たちが、ものの見事に操ってセーリングしていることに舌を巻く。
慣れない人間にとっては、転覆させないためには立ち上がることすら躊躇するサバニの上を、役者たちは何の不安もなく歩き、そのうえ主演の緒方 拳は、サバニの伝統通りに、脇に挟んだエーク(櫂)を使って、セーリング中のサバニの舵を自在に取っている。
現在の沖縄漁師にも、エークで舵を取ることができる人はそれほど多くはいないはずだ。
「フー(帆)降ろせー」という命令で、素早くスルスルと帆を降ろす子役たちも、熟練の技を見せる。
このドラマの制作当時の十数年前、役者たちにサバニの帆走技術やそこで使う言葉を指導する、バリバリのサバニ漁師たちがまだ存在したのだろう。
しかしドラマの主題は、サバニ操船法ではない。
物語りは、当時の沖縄の酷烈な漁業労働環境を軸に展開する。
第二次世界大戦争後に、それまでこの地域に伝統的に受け継がれてきた労働環境が急激に変化し、いい意味であれ悪い意味であれ、伝統の帆走サバニと、それを使った漁法が消えていかざるを得なかった背景が描かれている。
ドラマでは、人買い同然に周辺の島々から子供たちが集められ、サバニに乗せられ、海に潜らされる。そうして親方の家の納屋に数人単位で寝泊りしながら、彼らは厳しく漁を仕込まれていく。サバニの帆走技術もそういった生活の中で学んでいく。
中には、あまりに過酷な生活から逃れようとして脱走を試みる子供たちもいる。
2002年、ぼくが初めてサバニ・レースに参加したときの、島の老人の
「遊びでサバニに乗るんか?」
という言葉と、驚いていた表情の本当の意味が、このドラマを観て初めて分かったような気がした。
昔の過酷なサバニ漁を知る人にとって、サバニという舟は、決してロマンという言葉で簡単に括れるものではないのだろう。
縁があってサバニに関わるようになって以来、サバニを勉強すればするほど、後から後から新しい事実、歴史を知ることになる。TVドラマを観るまでは、サバニを単純に、沖縄海文化のロマンの対象として見ていた。しかし、もうそういう単細胞的な、無責任な観察眼でサバニを見ることはできない。
また、今回の沖縄取材で、糸満に住む熟練のサバニ乗りと話していて、ひとつ新しい事実を教わった。
かつて、糸満の漁師はサバニに乗って八丈島やパラオまで遠征していた、と書いた文献や人の言葉を鵜呑みにして、そう思っていたし、そういう文章を自分でも書いたことがある。
しかしそれは間違っていた。その糸満のサバニ乗りの話では、サバニは自力でそんな遠征ができる舟ではないという。
サバニだけで自力で南太平洋の島々に行ったのではなく、やんばる船という、やはり沖縄古来の船で、サバニよりももっと大きな大型船に載せられて現地まで行き、そこで海に降ろして現地行動舟として漁をし、その漁が終わるとまたやんばる船に載せて糸満に帰ってきたのだという。
確かに、あんな小舟のどこに食糧や水を積んで長期航海をしていたのだろうと、不思議に思わないこともなかったが、深く考えることをしないままそれらの文章や言葉を鵜呑みにしていた。速い、という特長があるとは言え、サバニとて、沖縄-八丈島を水や食糧を積まずに行き来できる魔法の舟ではなかったのだ。
【子供たちとの新しいステージへ】
そして現代。
サバニとその帆走技術は、子供たちの総合学習の題材として取り上げられるようになった。沖縄県の座間味中学校では、今年からサバニを操って海に出る授業を、総合学習の一環として始めた。
祖先が伝えてきたサバニという海洋技術・文化を次の世代に伝えるのである。過酷な労働条件の問題と一緒くたにして、サバニの帆走技術まで途絶えさせることはないのである。改めるべきものは改めればいいのだし、残すべき文化や技術は残すべきなのだ。
その授業の一つの区切りとして、座間味中学の生徒たちが自分たちだけでチームを組んで、2004年で5回目の開催になった座間味~那覇のサバニ帆漕(帆走しながら櫂で漕ぐ)レースに参加した。
現代の中学生たちが、自分たちの祖先が乗っていたのと同じ舟、サバニ、を操って、自分達が暮らす島を出て、海を渡ったのだ。
風は途中で凪ぎてしまい、櫂を漕ぐことだけが舟を進める唯一の手段になったが、子供たちは暑さや、手に出来たマメ痛さに耐えて、その航海を無事やり遂げた。
しかも、多くの大人のチームを尻目に、好成績でゴールラインを走り抜けたのだ。
現代の子供たちに操られるサバニは、重いテーマのTVドラマから抜け出だして、とても現代的で溌剌としているように見えた。
これからは、子供たちが助け合うことを覚えたり、夢や冒険心を育む舟として、サバニはその役目を背負っていくことになるのだろう。
(完。無断転載はやめてくだされ)
沖縄・座間味島サバニ合宿6日目。
日曜日も、我々にとっては休みではないよ。
今日も、昨日に引き続き、転覆の練習。というか、予期しないところでひっくり返ったので、風下に岸壁、横に係留している大型艇、という比較的危険な場所での転覆だったので、あせった。
さてさて、本日掲載の沖縄サバニエッセイは、2004年度製。
未来に向って、サバニの果たすべき役割、それに付随する自分自身の役割が、いよいよ見えてきたような気がし始めた頃の文章です。
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古来の海文化を子孫に伝える
サバニ帆漕レース2004
取材・文/西村一広
取材協力 スウォッチ グループ ジャパン 株式会社
【サバニの過去と新事実】
かつて(1988年)NHKが、『海の群星(むりぶし)』というタイトルのドラマを制作した。
舞台は、第二時世界大戦が終わって間もない頃の石垣島。主人公のサバニ漁師を緒方 拳が演じている。
このドラマのビデオを入手して鑑賞した。
ストーリー自体から離れた目で見ると、細くて不安定で、乗りこなすのに熟練を要するサバニを、緒方 拳以下の出演者たちが、ものの見事に操ってセーリングしていることに舌を巻く。
慣れない人間にとっては、転覆させないためには立ち上がることすら躊躇するサバニの上を、役者たちは何の不安もなく歩き、そのうえ主演の緒方 拳は、サバニの伝統通りに、脇に挟んだエーク(櫂)を使って、セーリング中のサバニの舵を自在に取っている。
現在の沖縄漁師にも、エークで舵を取ることができる人はそれほど多くはいないはずだ。
「フー(帆)降ろせー」という命令で、素早くスルスルと帆を降ろす子役たちも、熟練の技を見せる。
このドラマの制作当時の十数年前、役者たちにサバニの帆走技術やそこで使う言葉を指導する、バリバリのサバニ漁師たちがまだ存在したのだろう。
しかしドラマの主題は、サバニ操船法ではない。
物語りは、当時の沖縄の酷烈な漁業労働環境を軸に展開する。
第二次世界大戦争後に、それまでこの地域に伝統的に受け継がれてきた労働環境が急激に変化し、いい意味であれ悪い意味であれ、伝統の帆走サバニと、それを使った漁法が消えていかざるを得なかった背景が描かれている。
ドラマでは、人買い同然に周辺の島々から子供たちが集められ、サバニに乗せられ、海に潜らされる。そうして親方の家の納屋に数人単位で寝泊りしながら、彼らは厳しく漁を仕込まれていく。サバニの帆走技術もそういった生活の中で学んでいく。
中には、あまりに過酷な生活から逃れようとして脱走を試みる子供たちもいる。
2002年、ぼくが初めてサバニ・レースに参加したときの、島の老人の
「遊びでサバニに乗るんか?」
という言葉と、驚いていた表情の本当の意味が、このドラマを観て初めて分かったような気がした。
昔の過酷なサバニ漁を知る人にとって、サバニという舟は、決してロマンという言葉で簡単に括れるものではないのだろう。
縁があってサバニに関わるようになって以来、サバニを勉強すればするほど、後から後から新しい事実、歴史を知ることになる。TVドラマを観るまでは、サバニを単純に、沖縄海文化のロマンの対象として見ていた。しかし、もうそういう単細胞的な、無責任な観察眼でサバニを見ることはできない。
また、今回の沖縄取材で、糸満に住む熟練のサバニ乗りと話していて、ひとつ新しい事実を教わった。
かつて、糸満の漁師はサバニに乗って八丈島やパラオまで遠征していた、と書いた文献や人の言葉を鵜呑みにして、そう思っていたし、そういう文章を自分でも書いたことがある。
しかしそれは間違っていた。その糸満のサバニ乗りの話では、サバニは自力でそんな遠征ができる舟ではないという。
サバニだけで自力で南太平洋の島々に行ったのではなく、やんばる船という、やはり沖縄古来の船で、サバニよりももっと大きな大型船に載せられて現地まで行き、そこで海に降ろして現地行動舟として漁をし、その漁が終わるとまたやんばる船に載せて糸満に帰ってきたのだという。
確かに、あんな小舟のどこに食糧や水を積んで長期航海をしていたのだろうと、不思議に思わないこともなかったが、深く考えることをしないままそれらの文章や言葉を鵜呑みにしていた。速い、という特長があるとは言え、サバニとて、沖縄-八丈島を水や食糧を積まずに行き来できる魔法の舟ではなかったのだ。
【子供たちとの新しいステージへ】
そして現代。
サバニとその帆走技術は、子供たちの総合学習の題材として取り上げられるようになった。沖縄県の座間味中学校では、今年からサバニを操って海に出る授業を、総合学習の一環として始めた。
祖先が伝えてきたサバニという海洋技術・文化を次の世代に伝えるのである。過酷な労働条件の問題と一緒くたにして、サバニの帆走技術まで途絶えさせることはないのである。改めるべきものは改めればいいのだし、残すべき文化や技術は残すべきなのだ。
その授業の一つの区切りとして、座間味中学の生徒たちが自分たちだけでチームを組んで、2004年で5回目の開催になった座間味~那覇のサバニ帆漕(帆走しながら櫂で漕ぐ)レースに参加した。
現代の中学生たちが、自分たちの祖先が乗っていたのと同じ舟、サバニ、を操って、自分達が暮らす島を出て、海を渡ったのだ。
風は途中で凪ぎてしまい、櫂を漕ぐことだけが舟を進める唯一の手段になったが、子供たちは暑さや、手に出来たマメ痛さに耐えて、その航海を無事やり遂げた。
しかも、多くの大人のチームを尻目に、好成績でゴールラインを走り抜けたのだ。
現代の子供たちに操られるサバニは、重いテーマのTVドラマから抜け出だして、とても現代的で溌剌としているように見えた。
これからは、子供たちが助け合うことを覚えたり、夢や冒険心を育む舟として、サバニはその役目を背負っていくことになるのだろう。
(完。無断転載はやめてくだされ)