瑠璃ということばは好きだが、不思議にラピスラズリは持ちたいと思わない。
ふしぎなことだ。
かのじょは一度、ラピスラズリの勾玉を持ったことがあったが、それはすぐになくしてしまった。翡翠の勾玉は、姑にあげるまで長いこと持っていたが。
翡翠はかなりよかった。相性があうというわけではなかったが、かなり融通をきかせてくれた。長いこと手にあって、かのじょはそれを友のようにしていた。ときに、ペンダントとして首に吊り下げたこともあった。
なぜラピスラズリを欲しいと思わないのか。それは美しい色の石だが、何故にか、かのじょの波長に合わなかった。その軽さが、なんとなく不快に感じた。フレスコ画の青などにはよくこの石をすりつぶした顔料が使われる。その青は本当に高貴で美しいのだが。
アイオライトにはそういうことがなかった。感覚に心地よく入り、心に溶けてくる。
水晶は、相性というよりは、それを超えた愛を感じる。どんな人にも合わせてくれる、とても高貴な愛だ。誰が持っていても、響きあう。どんな色でもよい。
なぜラピスラズリを持ちたいとは思わないのか。それには、実は、少々人間には難しい、高度な理由がある。それは言えないが、自分と石との相性というのはある。そういうことも、いろいろ研究してみなさい。