わたしは
大きな水槽の前に立っていた
分厚いガラスの向こうに
樹脂か何かで作られた
偽物のサンゴ礁があり
その森の中を
青や黄色や灰色や時には紅の
かわいい魚がいくつも泳いでいる
上の方を見ると
大きなジンベエザメが
コバンザメを数匹つれて
まるで雲が流れているようにゆったりと泳いでいた
ああ ここは水族館だ
わたしはここで
婚約中の 将来の夫と
待ち合わせをしているのだった
わたしは
水槽のガラスに
自分の姿が映っているのに気づいた
黄色の小花模様のワンピースを着ている
かわいいけれど まるで似合わない
わたしはもっと 男っぽくて
地味なほうが好きなのだけど
今は 人間の女の子のふりをしなければならないので
こんなかわいい服を着ているのだった
ああ あそこに
モモイロサンゴが見える
ずいぶんと光っている
あれも偽物なのかな
それにしては きれいだ
わたしはふと
水槽のガラスのすぐむこうから
一匹のアオウミガメが
もの問いたげにじっとわたしを見ているのに気づいた
わたしは ふとほほえんだ
きっとこのカメは わたしを知っているのだろう
わたしが人間に生まれる前の わたしを
わたしは将来の夫のことを思った
彼は今は 美しいわたしに夢中だけれど
結婚してしばらくすれば
きっとわたしを愛さなくなるだろうと
思っていた
なぜならわたしは
女の子にしては 頭がよすぎたから
男は何よりも
自分より頭のいい女が いやだから
きっと彼は いつかわたしを憎むようになるだろう
でも それでも愛していかねばならないだろう
結婚とは そういうものだ
少なくとも 女にとっては
そういうわたしの顔を
ウミガメがじっと見つめている
悲しげな目だ
このカメには わかっているのだろうか
これからのわたしの 運命が
生きていくために
おとなしい女の子の振りをしなければならない
かわいい女にならなければならない
そんな努力をしようとしているわたしを
あなたは あわれんでいるんだね
わたしは 心の中で
ウミガメに言ったのだ
それにしても 彼は遅い
こんなに女を待たす人ではないはずだけれど
約束の時間を どれだけすぎたろう
待つのは それほど苦しくはないけれど
ちょっと遅すぎるのではないかと思う
わたしがようやく
夫が来るのが遅すぎるのに
しびれをきらしてきたときだ
後ろから声をかける人があった
もし
わたしはふりむいた
驚いた
ああ あなたは
お待たせしてしまいました
やっと来ましたよ
さあ いきましょう
ああ でも
わたしは夫を待っているので
もう 待たなくていいのですよ
さあ いきましょう
そうなのですか
そうなのですよ
その人は わたしの手をひいて
わたしをどこかにつれていこうとする
わたしはさからおうとしたが
吸い込まれるように
彼についていってしまう
もういいんですよ
耐えなくても
そうなのですか
女の人が がまんばかりする結婚なんて
もうありませんから
そうなのですか
その人は美しい
どこかで会ったような気もするが
今はわからない
ただ ついていっても
安心できるような気がしていた
ふり向くと 遠くに
あの水槽が見えて
サンゴ礁の中で ただ一つ
モモイロサンゴが きれいに光って
こちらを見ていた
ああ あれだけが
本物だったのだと
ようやくわかった